やっと3月らしい陽気となりましたね!
今日の午後は上着を着ずに出かけました( *´艸`)
少しでも春を感じられるように昨年の桜をアップしました。
画像のような桜を早くみたいですね☆☆
元中山地区の字大貝(オオガイ)です。
上山市中山地区と隣接し、中山から釜渡戸を経由し宮内へ至る宮内道が通ります。
カイ(貝)は峡谷(峡:カイ)や崖地、また開墾地(開:カイ)をいう場合があります。
大貝は山と山に囲まれていますが、大きい(深い)峡谷ではありません。山麓の傾斜地に水田や畑が広がる場所ですので、開墾地の意で名付けられたと考えられます。
1595年頃の邑鑑によれば、中山村(元中山含む)は戸数72、人口434、村高1700石でした。
江戸時代、中山村では開墾が進められ、文政10年(1827)村目録では戸数199、人口979、村高2927石と大きく発展しました。
大貝もその開墾地の一つと考えられます。
参考:地名のなぞを探る~やまがた~ 木村正太郎著
南陽市史中巻
小岩沢地区の字中ノ倉山と山の麓が字御林下(オハヤシシタ)です。
御林は江戸時代、米沢藩の官林のことで、御林に取立てられると山年貢その他税負担を免除されますが、その山では草を刈ることも出来ません。
江戸時代は草葉を使った刈敷(カリシキ)※に頼って田畑を耕作していたので困ることになります。
米沢藩は山を単なる木材の供給地とするだけでなく、水林や保安林として重要視していました。
「御林集」という藩の台帳によれば、南陽市に関係ある御林は53カ所あり、中ノ倉は雑木立と書かれていますので保安林として管理されていました。
さて中ノ倉の地名ですが、小岩沢地区には「倉」がつく字名が一ノ倉山、柴倉山、免古倉とありいずれも山で急傾斜地です。
盆地の中にある倉(山)で中ノ倉になったと考えます。
※刈った草葉を地中に埋めて発酵させた肥料
参考:南陽市中巻