手作りのいちご大福を頂きました。
甘酸っぱくてとても美味しかったです(*^^*)
いつもありがとうございます!
うちのシニアちゃんが歩けなくなってしまった為、バギーを購入しました。
といっても犬用ではなく人用ですが( *´艸`)
久しぶりに外の空気にふれ、満足げなご様子!まだまだ元気!
黒柴ちゃんもお散歩中何回も立ち止まってくれて気にかけてくれる優しいわんこちゃんです(*^^*)
川樋地区の字天矢場(テンヤバ・テンニャバ)です。
天矢場は一般国道13号上山バイパス改築事業に伴い、山形県埋蔵文化財センターによる天矢場遺跡の発掘調査が行われたことがあります。
調査報告書に
「天矢場遺跡を含む周辺には縄文時代の中期~晩期にかけての集落跡が存在していたものと考えられ、陥穴や石鏃から天矢場遺跡は当時の狩猟場の一部であったと推測される。」
と記載されています。
天矢場を通る通称日影道の近くには昔、秋になると鳥を捕獲するための霞網が仕掛けられていました。(現在は違法で、所持することも違反です。)
それだけ野鳥が集まる場所だったようです。
天矢場の地名の由来は鳥獣を捕獲するため、矢を射たところから名付けられたと考えます。
引用文献:天矢場遺跡発掘調査報告書 山形県埋蔵文化財センター調査報告書第174集
平成21年 財団法人 山形県埋蔵文化財センター
参考文献:中川風土記
中川小唄の原作の作詞者は小関仁四郎先生です。
小関仁四郎先生は明治32年東置賜郡伊佐沢村※に生まれ、大正15年から昭和6年3月まで中川尋常高等小学校に勤務していました。
当時の卒業アルバムがありましたので紹介します。
中川小唄の原作の歌詞は小関先生が、中川村の様子や風景を織り交ぜて作られたようです。
当時の資料がなく、現在の歌詞とは少し違うといわれています。
また、小関先生は岩部山三十三観音について、昭和5年に「北山観世音由来」という冊子を書き著しました。
現在、中川公民館で保管している「北山観世音由来」は手書きの文章をコピーしたもので、判読できない箇所が多数あります。
原本をお持ちの方がいれば、中川公民館までご連絡願います。
※現長井市
当時、伊佐沢村は東置賜郡に属していました。昭和23年4月1日に所属郡が西置賜郡に変更されました。
参考:中川小唄について 後藤嘉一著(元館長代理)