元中山字代に戦没者慰霊のために建立された忠魂碑があります。
碑は大正12年5月6日に建てられました。
左側の芳名塔は昭和17年に、元中山出身の相田小市氏が寄贈されました。
以前は旧中川中学校裏にありましたが、国道13号バイパス工事に伴い、
元の中川小学校(前児童館)跡地に移転されました。
岩部山の東麓に岩崎神社が祀られています。創建年は不詳ですが、宝暦年間(1751~
1764年)に社殿を再建したと伝えられています。
境内には赤ん坊を抱いた子安観音も見られます。
参道入口には水道の記念碑が建立されています。昭和31年に赤痢が大発生し、これが直
接の起因となって簡易水道の創設につながりました。(竣工:昭和35年3月10日)
赤湯町史より引用
岩崎神社 元指定村社 大字小岩沢字岩部山
祭 神 天手力男命
由 緒 創立年月詳かでないが宝暦年中社殿を再建す
大正九年二月炎上、昭和九年新築
社 殿 木造の本殿と幣殿及び拝殿あり
境 内 二一五坪
例祭日 十月十八日
市道川樋線沿いに川樋山津見神社(山の神様)があります。
春3か月、つまり1、2、3月の17日は、山に入って木を切ってはいけないとして、この日山仕事を休む。これは置賜一円共通した伝承で、今も守られている。山の神が木を数える日なので、この日山に入ると、木に間違えられて数え込まれ、大怪我をするからだという。
2月17日に祭りが行われる。
山の神はこの日以後田に降りて田の神になるとの伝承がある。再び山の神に戻るのは10月17日である。
山の神社には木製の男根が奉納されていた。山仕事の安全を祈願したものである。山の神は女性で、しかも醜女であったといわれ、そのため男子の参拝は喜ぶが、女には嫉妬するので、女は参拝しないことにしている。
引用:南陽市史