あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いいたします(*^^*)
今年もちょっとしたことを中川公民館日記にアップしていきたいと思います。
時間がある時でものぞいてもらえればうれしいです!
お正月用に昆布巻を購入しました。
昆布巻もお正月に限らず、お盆やお祭りの時も食卓に上ります。
中に入っているのは身欠き鰊(にしん)。
昆布も鰊も北海道が一大産地なので、江戸時代に北前船で全国にもたらされました。
昆布がおせち料理に入っているのは、「よろこぶ」に通じる縁起物だからですが、
保存がきいて、美味しいことが重要な理由と思います。
さて、大晦日といえば「年越しそば」ですが、我家では「年取り料理」で年取り魚は鮭です。
♪木っ端のような肴(とと)食って♪と唄われていました。
(お正月のわらべ唄は次回公民館だよりで紹介します)
置賜地方では年取り魚で鯉を食べる家も多いようです。
今年は残念ながら1度も出番のなかった臼と杵です。
正月用の餅を暮の28日につく家も多いことでしょう。
昔の餅つきの様子を紹介します。
明治、大正、昭和の初めごろまでは、餅は農家では最上の御馳走であったし、回数も多くついた。
餅をつく朝は、殊に正月の餅の様に、三臼も四臼もつく時は午前三時頃起き、釜に火を焚きつけ、大きな釜の上にセイロという箱型の蒸し器に、もち米を入れて上げる。
やがて、下の釜鍋の湯が沸騰すると、蒸気がセイロの中のもち米を具合よく蒸す。
寒中でも、雪降りでも餅がふけると、一刻の猶予はない。その頃は、どこの農家にも男は大勢いたから三、四人が臼を取り巻く。
掛声が掛かると、交互に杵を上下しつき始める。この時の杵は「手っ杵」というもので、堅木の棒状のもの。振り上げてつく杵は「打ち杵」といって、つき手が一人の時に用いた。
出来上った餅は、先ず第一に釜の神様と、水神様に上げて拝む。感謝の心のあらわれであろう。
「餅つき唄」
押せや持ちゃげろ 天竺までも
天の河原のホンニ底までも
染屋の後で狐鳴く なんと鳴く
浅黄が薄いとて 紺と鳴く
引用:南陽市史編集資料第2号「おらだ若いとき」安部惣七 著