最上義光プロジェクト
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◇最上家家臣団(あ行)
有路但馬守(ありじたじまのかみ)
生年不明~没年不明 野辺沢(延沢)城主・野辺沢家の家老。 笹原石見守 とともに 野辺沢満延 (能登守)を支え、「能登内に有路笹原なかりせば義光公にくびを延沢」という狂歌が伝わっている。最上家改易後、有路家は畑沢(尾花沢市)にて帰農したという。
2017.11.13
安食信重(あじきのぶしげ)
慶長十八年(1613)~延宝五年(1677) 安食光信 の子。七兵衛。藤次郎や太兵衛とも名乗る。父の死後、幼くして家督を相続したものと思われる。最上家改易により浪人するが、南光坊天海の助力により水戸藩徳川家に仕えた。
2017.09.07
安食光信(あじきあきのぶ)
生年不明~元和三年(1617) 大和守を称す。中里楯(山形市中里)の楯主、のちに土生田城(村山市土生田)の城主を務めたという。また、義光分限帳によれば、元は成澤城(山形市蔵王成沢)の城主で5千石を領していたという。伊達軍と蘆名軍が戦った摺上原の戦いに、伊達軍への援軍として派遣され、百余騎を率いて伊達政宗の陣に加わったと伝わる。
2017.09.06
落合伯耆守(おちあいほうきのかみ)
生年不明~没年不明 落合楯(山形市落合)の楯主。山形城北面の防衛に当たったという。山形市長町の熊野神社を厚く信奉していたと伝わる。
2017.08.26
小国元俊(おぐにもととし)
生年不明~寛永十四年(1637) 小国親元 の子。母は日野薩摩守の娘、妻は高井淡路守親重の娘。父・親元と同じく西監物を称す。最上家改易後、岳父・親重と弟二人らとともに出羽仙北郡刈和野村に蟄居した。その後、秋田藩佐竹家に仕官を果たす。佐竹家には東西南北の御一門四家があったことから、西野と称するようになったという。
2017.08.01
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