ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
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閑話休題(その1)
トンボと田んぼと熊の関係
経費節減のため、春に散布すれば秋まで効果が長く続く殺虫剤や殺菌剤が、広く田んぼで使われるようになっている。
トンボの多くは田んぼで生まれるが、幼虫(ヤゴ)の段階でほとんどが死んでしまう。
夏になると、生き残ったトンボは山に向かい、山で暮らす。
そして秋になると、再び田んぼへと戻ってくるのだが、
山では、ナラ枯れやブナ枯れの原因となる虫を盛んに食べてくれていた。
ところがトンボがいなくなったことで、その虫が大発生するようになった。
全国で蔓延しつつある「ナラ枯れ」は、カシノナガキクイムシという虫が原因だが、トンボが減ったことでこのその虫が大発生し、
ナラが枯れ、ドングリが少なくなり、餌を求めて熊が里に下りてくるようになった。
ブナ枯れについてもほとんど同じ。
ブナを枯らす虫から木を守ってきたのもトンボ。
農薬が、トンボを極端に減らし、ナラやブナを枯らし、熊の出現に至る。
根本的な解決は、熊を殺すことではない。農法を見直すことだ。
我が家では、米作りの原則として殺菌剤や殺虫剤を使っていない。
それでも米作りは可能だ。農家だって、本当はそんな農薬は使いたくないのだから。
こんな米作りを、少しずつでも他の人たちに働きかけていきたい。
みんなでやりましょう。
2026.04.15:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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熊への感謝
閑話休題(その1)
熊への感謝の気持ち
3月9日、朝日連峰のふもと、西根の里に熊が出たという。まだ山にも里にもたくさんの雪がある。
何を求めてのことだろうか。食べる物などない。あったとしても、すべては深い雪の下だ。それでも出てきた。なんだか、かわいそうな気がする。
昨年の秋は、ほぼ毎日のように熊の出没注意報が出た。ブナやナラの実は不作。秋に実りを迎えるドングリやクリ、ブナの実などは、熊にとっては重要な栄養源だ。この時期に十分な栄養を摂らなければ、冬を乗り切ることはできない。そのため熊は木の実を求めて長距離を移動し、ときには人里にも下りてくる。
わが家のすぐ近くにも、熊に食べられた柿や、木に登った痕跡が見られるし、熊の糞もあちこちに落ちている。その糞を見ると、種のようなものがたくさん含まれている。
「あ、これだな……。」糞を棒で突っつきながらよぉーく見る・・・。やはり種だ。
朝日連峰は、日本最大級のブナとナラの森を有する広葉樹林帯だ。その広大な面積の隅々までブナやナラの種を運んだのは、熊だと言われている。熊は25〜100㎢ものテリトリーを移動しながら行動するという。その広い範囲でブナやナラの実を食べ、いくつかの種を糞(肥料)と一緒に落としていく。
その数百年、数千年の営みが、この広大な広葉樹林帯を作ってきた。熊は自然の一部なのだ。それを考えると、危険だからという理由だけで殺してしまう前に、私たち人間が考えなければならないことが、まだあるような気がする。
2026.04.15:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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令和の百姓一揆 第2弾
「令和の百姓一揆」第二弾を行います。下のポスターをご覧ください。
=各地区連携のもと、「別個に起って共に!」=
1,首都圏の場合;日時は3月29日。場所は東京都港区六本木「青山公園南地区・多目的広場」(昨年と同じ場所です。)下のポスターをご覧ください。
2,首都圏が遠い場合は、(実行委員会が作られているところでは)日時を同じくして、各地実行委員会主催の「一揆」を行えるよう働きかけています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆食と農の問題は「いのちと生存とその持続性」に関わるの問題です。主義、主張を超えた大きな連携が求められます。「対決軸」では解決しません。また、そうして良い課題でもありません。
☆食の生産現場では、2〜3年前のような「時給10円」ではありませんが、生産者の所得は不安定なままです。その為、農家の離農に歯止めがかかりません。離農はそのまま消費者の「食の危機」につながっています。
☆離農の流れを食い止めるための必要な政策である「生産者への欧米並みの所得補償」はまだ実現できていません。また、それは「国民的要求」になっていません。生産者の離農の背景には、生産現場の深刻な事態に対する多くの国民の無関心があります。
☆生産の持続性を守る為にも、農と食の生産現場で進行する、深刻な事態を多くの国民に知ってもらうためにも、再度の「一揆」を敢行します。
☆それは政府を追い詰めることを目的とする運動ではありません。生産者、消費者、関係機関・・ともに農と食の「希望」を作り出そうとする運動です。いのちと食を守る共同の運動です。大らかに、ほがらかに、やりましょう。
<お願い>これを「拡散」していただければありがたい。
2026.02.23:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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冒頭部分の再掲載
全号の冒頭部分の再掲載です。
再度、お読みいただいたらありがたい。
一部修正しています。
今年に入って二つの文章を書いた。
その中の一部をここにあげたい。題して・・
「コカ・コーラの瓶の中のトカゲ・・」
俺は最近、よく寺山修二のコカ・コーラとトカゲに関わる詩を思い出す。(「書を捨てよ 町に出よう」から)
「中学校の頃、公園でトカゲの子を拾ってきたことがあった。コカコーラの瓶に入れて育てていたら、だんだん大きくなって、出られなくなっちまった。コカコーラの瓶の中のトカゲ、コカコーラの瓶の中のトカゲ。おまえにゃ、瓶を割って出てくる力なんてあるまい、そうだろう、日本。(後略)」
コカコーラはアメリカで、トカゲは日本。その一節はやがて有名な「身捨つるほどの祖国はありや。」と続くのだが・・・。
戦後80年にもなろうとしているのに・・国の外交政策も、国内政治の舵取りも、その予算編成も、当然ながら沖縄も、その他の基地問題も、原発も、農業政策でさえもコカ・コーラのビンの中だ。こんな国は世界に例がない。誇りを失った国、「植民地」ニッポン。
「イイじゃないか、その方が、安上がりでトクだから」
バカタレ!損得の話でない!この国の自立とそこにすむ我々の尊厳にかかわることだ。
過日、鹿児島の知覧に行って来た。若くして、特攻隊の一員となって死んでいったたくさんの青年たちの手記に出会うためだ。
18歳で、19歳で、20歳・・で。自分たちの死から教訓をくみ取ってくれるなら、俺達の死も決して無駄ではないはずだ。無駄にして欲しくない・・・。
未来に希望を託し、そう信じて飛び立って行った多くの青年たち。そんな彼らの、たくさんの手記に出会えた。
俺は昭和24年生まれの戦後世代だ。彼らが託した「未来」の中に生まれ、育ち、生きている。
そして、悔しいが、いまだにビンの中だ。
彼らに対して恥ずかしい。
何とかして、何とかして・・と思い続けているうちに願いが叶えられないまま俺も76歳になってしまった。
せめた彼らに顔向けができない生き方はしたくはない。それは当然だが、単なる個人の「生き方」に留まってはならない。
俺は百姓だ。いま、農業に関わり、国の自立に関わる深刻な課題が横たわっている。コカ・コーラの瓶の中の農業政策。さて、どうする。どこから始める?
まずは選挙だ。
戦後世代の責任ををもってしっかりと向き合う!
そうだよな、ご同輩!百姓の仲間たち!
2026.02.02:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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つながろう! 希望が小さな時代に
「つながろう! 希望が小さな時代に」
「コカ・コーラの瓶の中の・・」
俺は最近、寺山修二のコカ・コーラとトカゲに関わる詩を思い出す。
トカゲの子どもを捕まえてコカ・コーラのビンの中で飼っていたら、やがて成長しビンから出られなくなってしまった。そんなトカゲに向かって、お前にはビンを割って出てくる力なぞはあるまい、そうだろうニッポン・・と寺山修司。コカ・コーラはアメリカ。
戦後80年にもなろうとしているのに・・国の外交政策も、国内政治の舵取りも、その予算編成も、当然ながら沖縄も、その他の基地問題も、原発も、農業政策でさえもコカ・コーラのビンの中だ。こんな国は世界に例がない。誇りを失った国、「植民地」ニッポン。
「イイじゃないか、その方が、軍事費が掛からないし、安上がりでトクだから」
バカタレ!損得の話でない!この国の自立とそこにすむ我々の尊厳にかかわることだ。
過日、鹿児島の知覧に行って来た。若くして、特攻隊の一員となって死んでいったたくさんの青年たちの手記に出会うためだ。18歳で、19歳で、20歳・・で。自分たちの死から教訓をくみ取ってくれるなら、俺達の死も決して無駄ではないはずだ。無駄にして欲しくない・・・。未来に希望を託し、そう信じて飛び立って行った多くの青年たち。そんな彼らの、たくさんの手記に出会えた。俺は昭和24年生まれの戦後世代だ。彼らが託した「未来」の中に生まれ、育ち、生きている。
そして、悔しいが、いまだにビンの中だ。
彼らに対して恥ずかしくない生き方に努めるのは当然だが、単なる個人の「生き方」に留まってはならない。俺は百姓だ。いま、農業に関わり、国の自立に関わる深刻な課題が横たわっている。さて、どうする。どこから始める?
日本のコメの生産は年間670万トン。一方で輸入される小麦は550万トン、大麦200万トン。あわせて食糧穀物は750万トンだ。そのほとんどがアメリカから。それが毎年増加している。その分、そう、ここが重要だが、その分の日本のコメを減らすのだ。今年も4割の減反。来年度も同じ量の減反が予定されている。鈴木農水大臣は「受給調整」だと言ったが・・何が!相変わらずの植民地農政ではないか!
他方、牛、豚、鶏など家畜に与えるトーモロコシ、大豆などの濃厚飼料と呼ばれるものの自給率は13%。毎年1300万トン輸入している。これもほとんどがアメリカからだ。コメの4割減反を即時やめて、すべての田んぼにコメを作付けすべきだ。そしてその余りを減反強化ではなく、家畜のエサ米に回せばいい。
1971年の減反政策を皮切りに、政府は一貫して日本農業の主軸であった自作農を切り捨て、規模拡大を進め、農業の再生産構造を破壊してきた。最近ではIT技術を駆使して、いわば「工業的農業」を進めている。しかし、大規模化と「工業的農業」が可能なのは、耕地の3割程度だ。7割の耕地は中山間地にあり、特にその内の5割は、それこそ効率の悪い山沿いに広がっている。それらを丁寧に耕してきたのは自作農たちだ。その自作農の離農が止まらない。まさに日本の農業が崩壊しようとしている。それと連動して国民の食料危機も深まっていく。
瑞穂の国、日本のコメ農家の平均年齢は71.1歳。
65歳以上の農業従事者は全体の72%。
農家の年齢層として一番厚い世代は団塊の世代で76〜78歳。
この層が日本農業を支えていると言っていい。あと長くて4・5年もすれば羊羹を切ったように後継者が消える。農民が消える。村が消える。縄文以来の歴史をもつ瑞穂の国がまさに崩壊しようとしている。おそらく、我々は今、未曽有の食料不足からくる社会の大混乱を前にしているのではないか。
「ちょいと話が変わるがな。」
今年の3月下旬の夜半。わが家の鶏舎にキツネが侵入して、ニワトリ100羽を残らず殺していくという事態が発生した。厳重に警戒している中での出来事だった。もし侵入に失敗したら、俺たちが彼等を捕まえていた。現に菅野農園では今までにも7匹ほどのキツネを捕まえ、こっぴどく懲らしめてやった。それでも奴らは来た。食べ物を求め、覚悟の上での侵入だったのだろう。食べ物が無いという事はそういう事だ。命がけのこと。人間だってキツネにもなる。
そんな事態が予想されるにも関わらず、マスコミも含め、表に出てくるのは、コメが高いの、安いの、まずいの、まずくないのと、そこだけだ。広く国民に問わなければならないのはそこではない。「日本の国づくりの中に、農をどう位置づけるのか」「その為には何をすべきか?」、「このまま農家をつぶし、農民を切り捨てていいのか?」「国の自給率は?」国民的にはからなければならないのはそこだろうが!
日本農業の崩壊と食の危機。そんな事態が進んでいるにもかかわらず、相変わらず食べ物を粗末にするおバカな番組が横行して、食の危機を改善する民意が育たない。政治も国民のいのちを守る、最低限の役割を果たしていない。もはや日本は「ゆでガエル」状態だね。ゆでガエルの話・・水槽の中のカエルを捕まえて熱い湯の中に放したらびっくりして逃げ出そうとするが、徐々に時間をかけて温めて行けば、ゆでガエルになるまで逃げだそうとせず、やがて・・というあの話。異変を感じた段階で飛び出ていけばいいものを、それをせずに、変化する環境に順応しようとする。その中で生きていけない自分が悪いのだ。そう思いつつ懸命に順応しようとし、最後は果ててしまう。
環境問題の中で良く聞いた話だが、このことは、環境問題にのみ限定される話ではなく農家にも、無権利状態におかれている非正規労働者(労働者の36・8%、女性労働者の54・4%)の中にも同じことがいえるのではないか?そこに共通していることは、自分を取り巻く深刻な事態が、政治や社会の仕組みの問題としてではなく、自分の個人的な努力の足りなさ、力不足にあると思っていること。そう思い込み、自分を責め続けていることなのではないか。
もしそうなら、それは違う。そう思わされているだけのことだ。それは政治や人為的に作られてきた社会の仕組みの結果なのであって、それらを変えれば、境遇を変えることが出来る。未来を変えることが出来る。社会や経済の為の一つの駒の様な状態から、人の為の社会や経済の仕組みに替えていく。事は単純にそういう問題なのだ。国や社会を作るモノサシを変えよう。
「つながろう! 希望が小さな時代に」
先日、新聞の小見出しの中に、こんなコピーを見つけた。
「つながろう! 希望が小さな時代に」
いま、我々の足元では「農と食の危機」が一体的、構造的に進んでいるが、多くの人々はこの事の持つ深刻さを理解できてない。知ろうともしていない。俺にはそう見える。
「当面の食が手に入ればそれでいい」「安ければどこの国が提供しようが構わない」
かいつまんで言えば、こんなところか。だから「令和の百姓一揆」だったのだが・・。
さて、ここからだ。
「農と食の危機」はそのまま生活の危機、社会の大混乱につながっていく。だからこそ、この危機に対して、単なる農政批判、時代批評で終わらせてはならないのだ。農と食の深まる危機に対して、求められているのは「そうではない道」を具体的、実体的に作り出すことだ。
農家が消費者・市民の食を支え、消費者・市民が農家の持続的生産活動を支える。
農民と市民が互いを支えあう関係を地域的に作り出すこと。
まず消費者、市民に呼びかけたい。近い範囲に、イザという時の為の「かかりつけ医者」というのがあるが、それを見習い「かかりつけ農家」を見つけよう。次に高齢化し、慢性的な労働力不足に悩む農家に一時的でも手を貸そう。「近くにはビルばっかりで村がない」と嘆く必要はない。関係を地理的に広げるばかりではなく、「つながり」としても広げるのだ。辿(たど)って行けばどこかで村や農民にたどり着けるはずだ。そこから始まる交流から温かい関係を築いて行けばいい。
農家が離農する前に、安心して作付けできる環境を作り、他国の農業への依存ではなく、自国の農を守り、育てる道こそ肝心であり、それが、消費者が安定して食べ物を確保できる唯一の道でもあるのだが、農政の方向はそうなってはいない。
2025年、国の軍事予算は8兆7000億円に対し農業関係予算は2兆2700億円でしかない。国の予算配分の中にどんな国造りを目指しているのかが如実に示されている。そこには明るい未来が感じられない。
「令和の百姓一揆」が行われた
そんな情勢を受けて3月30日。東京・青山の公園を主会場に「令和の百姓一揆」が行われた。4500人の農民・消費者市民と30台の農耕用トラクターによるデモが行われ、全国の人々に農業、農村の危機的現状を知らしめると同時に、国民に身近に迫る食料危機への早急なる対応の必要性を訴えた。
その日に連動して決起したのは沖縄、奈良などの13都道府県。それを起点に更に多くの県に飛び火した。東北の一番手は秋田だ。稲刈りが終わった11月10日に秋田市中央部で決行。次は山形。11月24日、農耕用トラクターを先頭に200人の農民、市民のデモ隊が続き、「農民に所得補償を!」「市民が生活できる食の補償を」「食料自給率の向上を」と 訴え、その後、300人が参加して農と食の現状を共有し、これから何をしなければならないかを話し合った。
このような農民と市民が連携した「一揆」は、3月30日から12月下旬まで全国各地、およそ25の県で行われた。
2026年3月下旬には、再び「令和の百姓一揆」の全国展開が準備されている。日本の農と食と農村を守ろうとする一揆はいよいよ正念場を迎える。
「負けるわけにはいかないのだ」
食糧自給率が38%。実際は、アメリカに依存している種の自給率を含めれば、わずか9%しかないという学者もいる。世界的な気候変動と政治不安が深まる中、国民の食といのちがますます危機にさらされる。求められているのは「農と食」を基軸にしたこの国の大胆な軌道修正。令和の百姓一揆はこれを求めてやってきた。この矛を収めるわけにはいかない。
来る年も、引き続きこの路線を進むしかない。
「すべての国民が安心して国産の食料を手にできるために」
「すべての農民に所得補償を」
「未来の子どもたちにも国産の食料を食べてもらえるように」
「日本の食と農を守ろう」
小農・家族農の隣にはたたくさんの兼業農家、日曜農業、多様な市民参加の農業が続いている。それは、人々と農との結びつき、土といのちとの一層広くて、深い結びつきにつながっている。そしてそれが瓶を割る力にもなっていく。
だからこそ負けるわけにはいかないのだ。潰れるわけにはいかないのだ。
2025.12.20:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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人を獣(けもの)にしてはいけない。
<人を獣(けもの)にしてはいけない。>
キツネが来た。我が家は朝日連峰の麓(ふもと)にあり、水田5hと納豆用大豆(小粒大豆)栽培3h、自然養鶏1,000羽とを組み合わせた小さな循環農業を営んでいる。主な働き手は42歳の息子。俺は76歳。村ではついこの間まで「若手百姓のホープ」だったのだが、腰と膝にトラブルを抱え、今は事務労働に専念している。専業農家だ。自然養鶏と言っても聞きなれない方もいようが、要は健康でうまい玉子を得るためと、肥料に使う鶏糞の自家調達が目的で、ニワトリ達を野原に放し飼いする放牧養鶏だ。夜と冬は鶏舎の中での平飼いで、1年もすれば、その年に必要な肥料が貯まる。養鶏歴は40年になる。
山すそ野で自然に近づけてニワトリを飼えば、当然のことながら自然の方だって近づいてくる。そこに生息する腹ペコのタヌキやキツネにとって、ニワトリ達は歩くおにぎりやパンと同じだ。かくして、長きに渡って奴らと我が家とのニワトリ達のいのちをめぐる攻防戦が繰り広げられてきた。意外と思われるかも知れないが、今まで数多くのタヌキやキツネを捕まえはしたが、多くは半死の状態にして森に帰してきた。数多い奴らの中から、数匹をヤッツケテしまうよりも
「あそこには行かない方がいいぞ。殺されるところだった。」とのPR効果をねらってのことだ。しかし、彼らを何度懲らしめても繰り返し, 繰り返しやってくる。同じ奴も負傷した足を引きずりながらやってくるのだ。そこで私は彼らの家庭を思った。
「なんだって?もう行くのは嫌だって?何いってんのよ。子どもたちを飢え死にさせる気?グズグズ言わないで、とっとと行っておいで!」
奴らは女房から(たぶん)こっぴどく叱られ、子を餓死させるよりは・・と、恐怖に震えながらやってくるのではないか。きっとそうに違いない。食べ物がないということは命がけのことだ。
人だって食べ物が無くなれば容易にタヌキにもなり、キツネにだってなってしまうだろう。食べ物をめぐっての争いにとどまらず、殺し合いすら起きかねない。歴史が教えてくれている。
近年、農業の衰退が著しい。農業の問題は農民の収入の問題をはるかに超えて、この国に住む人たちのいのちの問題、この国の存続にかかわる問題だ。人をタヌキやキツネにしてはいけない。ケモノにしてはいけない。
<いま農村で起きていること>
いよいよ農業の世界は切羽詰まってきた。特に稲作では際立っている。「おれ、都会人だから関係ない」って?食糧を供給してきた農業の危機は、あなたの食といのちの危機に直結しているよ。
まず、いま食べ物の供給地である農村で起きていることを、稲作を中心に思いつくままあげてみる。
農民はどんどん離農していっている。もちろんずいぶん昔からその傾向はあったのだが、ここ数年はそれ以前とは比べものにならないぐらいの早さと規模で離農者が相次いでいる。このままでは日本の農村から農民がいなくなる。村がなくなる。農民が作る作物がなくなる。村では今までになかった「農仕舞い」(農終い)という言葉が行き交うようになって久しい。WTOやTPPに示されるように、安さを求めて風土の違う海外の農産物と無理やり価格競争させ、安い方に、より安い方にと国内農産物を買い叩いてきた結果だ。農家のコメの出荷価格は、生産原価にすら届かない年が20年以上続いた。こんな国ではアホらしくて農民なんてやってられないという事だろう。自分の家族の為のわずかな畑や水田を残して、後はきれいサッパリと離農する。
その結果、農業は少数の大規模農業法人と、「今さら勤めには……」と残った年寄りだけになってしまったと言っていい。就農している農民の年齢層(5年刻み)の中で、65歳以上と75歳以上がダントツに多い。その人たちもあと数年で現場から離れていくだろう。そのあとを継ぐ世代はほとんどなく、いてもやがて離農に追い込まれていくに違いない。無策のなか、国内農業には破綻への道だけが大きく開かれている。
戦後の日本農業を支えてきたプロの農民たちが逃げ出すぐらいだから、稲作の現場は慢性的労働力不足。だから圃場も充分に管理できない。水田から春の若草の風景が消えつつある。代わりに広がっているのは、除草剤による赤茶けた枯草の風景だ。農法の省力化、ケミカル化の結果だ。SDGs?どこの話だ?
そこに追い打ちをかけているのが、海外に依存している化学肥料と家畜のエサとしての飼料穀物、そして農業機械の高騰だ。機械への補助金があるだろうって?それは昔の話。今は規模拡大など「成長路線」を基調とした計画書を提出できなければ補助の対象にはならない。よって土と作物の循環を大切にして、経営規模の拡大の道を選ばない我が菅野農園などの家族農業には一切の補助金が無く、いったん大型機械が故障したらそのまま離農するしかない。経営規模の拡大か、離農かを補助金の窓口、地方自治体の農林課に迫られる。つまり、農政の基調は「小農はやめてしまえ」という事。事実、有機農業を旨としている農家を含め、どんどんやめていっているのが現状だ。
その上、かぶさる異常気象や政変などによる流通ルートの不安定さ。それが顕在化すれば、他国の田畑に依存してようやくのところで命をつないでいる現状に狂いが出てくる。その結果、最悪のシナリオが始まっていくように思える。そうなれば遺伝子組み換え作物であろうが、農薬漬けの穀物であろうが、それがコオロギなどの昆虫食であっても、手に入るものは何でも食べなければならなくなる。
予想できるこの事態への対策は国民的な問題だが、深刻なのは国民の多くがこの現実を知らないか、知っていても深刻に受け止めることができないということだ。なんという感性の鈍さだろう。
<多くの都道府県で「令和の百姓一揆」が>
農家が離農する前に、安心して作付けできる環境を作り、他国の農業への依存ではなく、自国の農を守り、育てる道こそ肝心であり、それが、消費者が安定して食べ物を確保できる唯一の道でもあるのだが、農政の方向はそうなってはいない。国民の意識もそうなっていない。
2025年、国の軍事予算は8兆7000億円に対し農業関係予算は2兆2700億円でしかない。国の予算配分の中にどんな国造りを目指しているのかが如実に示されている。明るい未来が感じられない。
そんな情勢を受けて3月30日。東京・青山の公園を主会場に「令和の百姓一揆」が行われた。4500人の農民・消費者市民と30台の農耕用トラクターによるデモが行われ、全国の人々に農業、農村の危機的現状を知らしめると同時に、国民に身近に迫る食料危機への早急なる対応の必要性を訴えた。
その日に連動して決起したのは沖縄、奈良などの13都道府県。それを起点に更に多くの都道府県に飛び火した。東北の一番手は秋田だ。稲刈りが終わった11月10日に秋田市中央部で決行。次は山形。11月24日、農耕用トラクターを先頭に200人の農民、市民のデモ隊が続き、「農民に所得補償を!」「市民が生活できる食の補償を」「食料自給率の向上を」と 訴え、その後、300人が参加して農と食の現状を共有し、これから何をしなければならないかを話し合った。
このような農民と市民が連携した「一揆」は、3月30日から12月下旬まで全国各地およそ25の都道府県で行われた。
2026年3月下旬には再び「令和の百姓一揆」の全国展開が準備されている。日本の農と食と農村を守ろうとする一揆はいよいよ正念場を迎える。
<地域の為の農業、生きる為の農業へ>
さて、農業政策には、「産業政策」と、「地域(づくり)政策」の両面がある・・というか、そうでなければならない。しかし今の日本には規模の拡大を進める産業政策しかない。その延長線上では地域を飛び越えて海外と直につながる例も出てきている。地域農業の地域社会離れ。その結果として地域の台所では『外米』食が進んでいる。
さて、ここからだ。進行するこの現実の中に、地域と地域農業の結びつきを取り戻す。地域(づくり)政策の課題は、地域農業と教育、福祉、健康、市民参加をつなぎ、市民の台所や、学校給食、病院などをつなぐこと。俺は山形県長井市の「レインボープラン」(乞う、検索)や、「置賜自給圏」(乞う、検索)を通して実際にその道を歩んできた。
地域の為の農業。生きる為の農業。市民が健康に暮らすための農業。つまりは地域社会農業だ。その全国的な連携を軸に日本農業を立て直す。立て直したい。
この視点に立って、まず、都市の消費者に呼びかけたい。共に「食といのちの自給圏」を作ろうと。ここで言う自給圏とは地理的概念ではない。人と人との関係性を表す概念だ。都市の生活者と全国各地の農民、農村が相互に連携して、共に「自給圏」を作って行こう。
食料危機が予見される都市の暮らしと、危機の中にある農村、農民が具体的、実体的につながることで、食と農の希望を足元から創り出して行こうとする。
求められている地域政策の一つはここだろう。
食糧自給率が38%。実際は、種(たね)が自給できていないことを織り込めば、わずか9%しかないという学者もいる。求められているのは「農と食」を基軸にしたこの国の大胆な軌道修正だろう。進むべき道の根本的な見直しだ。それを人々の共同の事業とすることなのだが、生産者と消費者、町と村、政治的立場の違いなどからくる『対立』からはこの流れは生まれない。求められているのは、違いを超えてつながる共同事業だ。連携なのだ。令和の百姓一揆はこれを求めてやってきた。この矛を収めるわけにはいかない。
小農・家族農業潰しの政策はいよいよ勢いを増し、仕上げ段階に入ろうとしている。果たしてそこに日本の食と農の未来があるのか?俺には、どうしてもそうは思えない。思えないのは俺だけではあるまい。だからこその野火のような一揆の広がりであり、思いを共にする消費者、市民との連携の拡大なのだ。暮らしと共にある農業、家族農業を切り捨てようとする君たちよ!どんな社会(国)を創りたいのだ?それはどこに向かう社会(国)づくりなのだ?
一揆は米どころの秋田、山形、青森を経て、岩手、宮城、福島へと続くだろう。そこから再び全国へ。小農・家族農の隣にはたたくさんの兼業農家、日曜農業、多様な市民参加の農業が続いている。それは、人々と農、土との結びつき、土を基礎としたいのちの世界の構築、循環型社会の可能性につながっている。
だからこそ負けるわけにはいかないのだ。潰れるわけにはいかないのだ。
「すべての国民が安心して地元産の食料を手にできるために」
「すべての農民に所得補償を」
「未来の子どもたちにも国産の食料を食べてもらえるように」
「日本の食と農を守ろう」
3月下旬の令和の百姓一揆に結集を強く呼びかけたい!
2025.12.18:
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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つながろう! 希望が小さな時代に!
新聞の小見出しの中に、引き付けるコピーを見つけた。
「つながろう! 希望が小さな時代に」
いま、我々の足元では「農と食の危機」が一体的、構造的に進んでいる。多くの人々はこの事の持つ深刻さを理解できて知らない。知ろうともしていない。俺にはそう見える。
「当面の食が手に入ればそれでいい」「安ければどこの国が提供しようが構わない」
かいつまんで言えば、こんなところか。
「農と食の危機」はそのまま生活の危機、社会の大混乱につながっている。だからこそ、この危機に対して、単なる農政批判、時代批評で終わらせてはならないのだ。
求められているのは政府や国に頼らない「そうではない道」を、持てる力をつないで具体的、実体的に作り出すこと。
農家が消費者・市民の食を支え、消費者・市民が農家の持続的生産活動を支える。その為に、農民と市民が、職業や政治の壁を越え、互いを支えあえる関係を作り出そう。その為の行動を起こそう。まさに今、この機会を失っては二度と創れない。
まず消費者、市民に呼びかけたい。近い範囲に、イザという時の為の「かかりつけ医者」というのがあるが、これからは「かかりつけ農家」の時代だ。それを面的に広げ、共に『食といのちの関係を作ろう。(前号のフェースブック参照)
「近くにはビルばっかりで村がない」と嘆く必要はない。関係を地理的に広げるばかりではなく、「つながり」としても広げよう。辿(たど)って行けばどこかで村や農民にたどり着けるはずだ。そこから始まる交流から温かい関係を築いて行けばいい。
急いで辿ってほしい。農家が離農を決意する前に!今や「絶滅危惧種」と言われるまでに追い詰められている農民達。
それも中・山間地の農民たち。彼らに離農を思いとどまらせることが出来るのは消費者・市民たちだ。もちろん崖っぷちでとどまっている我々農家も力を尽くす。
つながろう! 希望が小さな時代に!
2025.11.08:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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少し恥ずかしいですが、76才になりました。
たくさんの誕生祝いのメッセージを頂きました。ありがとうございました。この歳での誕生祝いは少し恥ずかしいですが、76才になりました。
アッチコッチに傷と故障を抱えてはいます。だけど元気です。この元気が続く限り、これからも誇りある日本の百姓の一員として、農業処分・小農切り捨ての嵐に抗して歩んでまいります。
大、小、非農家、市民問わず、日本の農業を守らんとする仲間たちとともに!いつまでも!みんなでなるべぇ、柿の種
<注>柿の種
雪をかぶった柿の実がぶら下がっている。
こんな光景をみるといつもの柿の種の話を思い出す。
ふふ・・、オレの創作話だけど・・。
今にも落ちそうな柿の実に聞く。
お前の今の気持は?
「俺は危機のなかにいる。情勢は非常に厳しい。希望を見いだせない。」
今度は柿の実の中の種に聞いてみる。
「希望が近づいたぞ。俺たちの時代がやってくる。」
同じ柿の中にはまったく違う物語がある。
柿の実から絶望を語るのも、種の立場から希望を語るのも、どちらも現実だ。
だけどこの両者の違いは大きい。
みんなでなるべぇ柿の種。
みんなでなるべぇ柿の種。
2025.11.08:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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食といのちの自給圏
農業政策には、「産業政策」と、「地域(づくり)政策」の両面がある。
しかし今の日本には規模の拡大を進める産業政策しかない。
そこに地域政策を取り戻す。
地域政策の課題は、地域農業と教育、福祉、健康、市民参加をつなぎ、市民の台所や、学校給食、病院などをつなぐこと。
俺は山形県長井市の「レインボープラン」(乞う、検索)や置賜自給圏を通して実際にその道を歩んできた。
地域の為の農業。生きる為の農業。市民が健康に暮らすための農業。
つまりは地域社会農業だ。その全国的な連携を軸に日本農業を立て直す。
この視点に立って、まず、都市の消費者に呼びかけたい。
共に「食といのちの自給圏」を作ろうと。
ここで言う自給圏とは地理的概念ではない。人と人との関係性を表す概念だ。
都市の生活者と全国各地の農民、農村が相互に連携して、共に「自給圏」を作って行こう。
食料危機が予見される都市の暮らしと、危機の中にある農村、農民が具体的、実体的につながることで、食と農の希望を足元から創り出して行こうとする。
求められている政策の一つはここだろう。
2025.10.09:
kakinotane
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ため息がでる美しさ
朝晩に肌寒さを感じるようになってきた。
盛んに鳴いていたミンミンゼミやヒグラシの声はもう聞こえない。
代わって鳴いているのは秋の虫たち。
イワシ雲などの秋の雲が観られるようになってきた。
見渡す限り一面に広がる田んぼは、隅々まで黄金色に輝いていて、まぶしいほどだ。
後ろには朝日連峰の雄大な山並みが青く連なり、夕方ともなれば、それらは鮮やかな夕焼けを伴いながら、ゆっくりと群青色に変わって行く。
思わずため息がでる美しさだ。
やがてこれに柿やリンゴなどの色づく果物、山々や里の紅葉が加わって行く。
春、夏、秋、冬、全ての季節が美しい。
移り行く季節を五感いっぱいに感じながら、改めて田舎の豊かさ、ありがたさを思っている。
2025.09.21:
kakinotane
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ありがたいことです。
今年も暑い夏でした。
働く稲もずいぶん辛そうに見えました。
でも、その暑さに負けることなく、今年も黄金色の稲穂
をつけてくれました。
苗が成長し稲になる。一粒の種から一本の苗が生まれ、それがやがて20本前後の株となって穂をつけます。1本の穂におよそ80粒のモミが。春の一粒が秋の約1,600 粒に。一杯のご飯は約4000粒と言いますが、元をたどればわずか2〜3粒の種です。
人間の科学がどんなに発達しても、人工的には種一粒も作れません。すべては土と植物の恵みです。ありがたいことです。
菅野農園ではコメ作りの基本を、殺菌剤ゼロ、殺虫剤ゼロ、化学肥料ゼロに置いています。その為、一般農家が目標収量を10a あたり10俵(1俵60kg)に置くところを、7〜8俵と低く抑え、その分、密植せず、稲の根元まで日光が差し込み、風の通しの良い環境を作り、稲に無理を強いず、追い込まず、健康な稲の身体を作ることに置いてきました。
肥料も、ニワトリを飼い、鶏糞とレインボープラン堆肥を原料にして有機肥料を作ります。
一般的に、ニワトリが豚になったり、牛になったりするのですが、それも有機肥料を自給するため。そんな経営を有畜複合経営と呼んでいました。今となっては懐かしい言葉です。
菅野農園が小さいながらも、有畜複合経営として何とか続けて来ることができたのは、このようなコメ作りを支えてくれる消費者の方々がいてくれたからです。
これもまた、ありがたいことです。
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2025.09.17:
kakinotane
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一揆は東北に火が付いた
いよいよコメどころ東北にも「令和の百姓一揆」の火が付いた。
東北の一揆は秋田が早い。
稲刈りが終わる11月10日が決行予定と聞く。
秋田の次は山形だ。
いま、「令和の百姓一揆・やまがた」に向けての準備が着々と進んでいる。
決行日は11月24日だ。デモの後にシンポジューム:会場は山形市の「ビックウイング」。
秋田集会には新潟と山形の実行委員会からも連帯のメッセージをもって応援に駆け付けるはずだ。山形の集会にも新潟、秋田からも駆けつけてくれるに違いない。青森でも準備が進んでいると聞く。コメどころ東北での一揆の広がりと連携の拡大。
日本の農と食と農村を守ろうとする一揆はいよいよ正念場だ。
「時給10円」に象徴される低価格は、明確な意図を持った政策価格だった。ねらいは小農、家族農潰し。
「こいつらがいるから農地の団地化が進まない。まず小さい奴らを潰せ。そして農業から追い出せ。」
一時的に米価は上がるが、すぐに元の「時給10円の世界」に戻るだろう。農家潰しの政策には何の変更も加えられてはいないからだ。その政策はいよいよ勢いを増し、仕上げ段階に入ろうとしている。
果たしてそこに日本の食と農の未来があるのか?子どもたちと共に歩む、いのちの未来はあるのか?
俺には、どうしてもそうは思えない。思えないのは俺だけではあるまい。だからこその野火のような一揆の広がりであり、思いを共にする消費者、市民との連携の拡大なのだ。
暮らしと共にある農業、家族農を踏みつけて進む君たちよ!どんな社会(国)を創りたいのだ?それはどこに向かう社会(国)づくりなのだ?
一揆は米どころの秋田、山形、青森を経て、岩手、宮城、福島へと続くだろう。そこから再び全国へ。
小農・家族農の隣にはたたくさんの兼業農家、日曜農業、多様な市民参加の農業が続いている。
それは、人々と農の結びつき、いのちの世界の可能性につながっている。
だからこそ負けるわけにはいかないのだ。
潰れるわけにはいかないのだ。
2025.09.03:
kakinotane
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