やるせない日々
稲も、だいぶ黄色くなり、頭を垂れた。 我が田は、倒伏しているところもあり、全体的に倒伏傾向。 頭が重く、実り多いという兆候であるが、倒れてしまっては品質が心配である。 が、天気が続けば何とかなるだろう。 一部カモの田んぼは、和田地区で一番・・・・と言うくらいの稗の田んぼになってしまって、すごい事になっている。 稲刈りに向け、草刈りをしておる。 これまた、愚痴になるが、 雨の間に、御近所の90を超えるばあさんと、茶のみをする。 「息子に、隣の田んぼの草刈りでも手伝ったらどうか(病の親友の事、息子の同級生である)」 と言ったら、「○○で忙しいから、しておれん」と言ったそうである。 まあ、いいわ。 そんなことはどうでも。 誰もかれも、暇で、病気の彼の家の手伝いを買って出ているのではない。 年がら年中、○○で忙しいわけでもあるまい、自分の事は隣近所の迷惑も顧みずまかり通すお人であるから。(もう削除したのだが、先の記事をお知りになる方は想像出来るでしょう) もう、このお人の事は考えまいとするのであるが、地区のお年寄りとお茶を飲みながらおしゃべりする機会が多いので、後から後から話題がやってきては気分を曇らせる。 我が家の土地も、ブドウ園も氏より借地しており・・・・・、 俺がもの申すには、弱みがありながら、それなりの覚悟で訴えているのである。 最悪、土地を返せ・・・・ それでも、みんなの利益になれば、御恩がある彼の利益になればと、改善可能な指摘は以前からしてきたし、彼の家族に対しても、非常識についていさめた事もある。 ことごとく、そんな指摘するやつは悪である かの如き・・・。 地区で和を持ってありたい。 そのためには、我儘を通してばかりでは、誰かが苦虫を噛まねばならない。 我儘なのが特定の一握りだけであれば、いつかフラストレーションが溜まり爆発する。 常に、ガス抜きは必要なのだ。 誰かが憎まれ役を引き受けて、ガスを抜かなければならない。 はぁ~ 再び、曽野綾子さんがエッセイ中で語っていた事を記す。 最近の民主社会で語られる権利・義務についてその使用法は間違っている。 権利は、自分がすぐ行使するものではなく他人がそれを持つ事を承認するためのものである。 これに対し、義務は、相手に要求するものではない。それは、誰がやらなかろうと、自分が黙々と遂行すればいいものなのである。 めいめいが、この二つを行えば社会は必ずうまくいく。 しかし、最近では、人は全く逆の事を言ったりやったりしている・・・・・・ 相手の自己認識のない、故意でない落ち度(過失)を指摘するのは、改善して良くなってほしいからである。 確かに、お互い苦しい時間を産む事にはなるのだが、それを相互理解の上に乗り越えたい。 悪意をもって、相手を落とし込むためのものではないのに、 人によってはそう受けてくれない。 次には、憎しみや悲しみが生まれるだけである。 そんなんが 世の中なのだろうが・・・・ よし、がんばろう!! 追記 誰を責めるのもやめよう。 そう、やめる。 いい方に向かうべく、議論を尽くせればよい。
2010.09.08