般若心経
まあ、このところ般若心経に触れたのであるが、 朝のYBCラジオ、「武田鉄也の今朝の三枚おろし」の話題になっているから、 それが終日頭の中を巡っているのである。 無とは何か、 あるものはあって、無い。 無いものなくて有る。 老いる事もなければ死する事もなく、 老いて死する事もなくならない。 意味を調べるに当たり、何と何と、 これは理解できるのである。 深く理解できるのである。 全て理解できるのであり、この考えは以前から我が中にあった。・・・気がする。 若かりし頃、家を飛び出し、人生に迷った。 お金も持たず、ジムニーと犬と釣り竿、キャンプ道具だけを持ってあてのない旅に出たつもりであったが、現実は甘くなく、燃料代も食費も無くなり、この高畠町に居ついてしまったのであるが・・・・。 親との確執や、失恋、生きる目的に疑問を持ち、ただ、その日を暮らすのであった。 なぜ生きるのか、 なぜ生まれてきたのか、 なぜ死ぬのか、 生きると言う事の意味を知りたかったのである。 青年期に多くが患う病なのだろう。 楽天的な人間ではあったが、人との付き合いは明るく、棲みかに戻れば死ぬ事ばかり考えていた。 数年そうあった。 歩けば答えが見つかるのだろうか・・・。 高畠での就職口を2年でやめ、九州から歩いてみた。 山にも登ってみた。 分からんのである。何も分からない。 有る時、テレビである和尚が人生についての相談に、こう言っているのを耳にした。 「人は何故いきるのかぁ~? そりゃ~生まれてきたんだからしょうがねぇじゃないかぁ~ 死ぬまで生きるだけよ~。」 その一言で悟った。 全てを悟った気がした。 生き、認識する全てを悟った気がした。 救われた気がした。 有るものは無く、無い事はあるのである。 人間が認識し得る全ては、あって、ないのである。 その中で、俺たちは生きているのであり、認知し合っているのである。 そして、これは無い事なのであり、 俺が、彼岸にわたる時に、そのすべてを知る事になるのだろう。 そう、俺は、俺であるうち俺であり、 俺が悟りそのものになった時に、全てを知り、知り得たものは無であるという事なのだろう。 あわてる事はない。 いつか全てに平等に知らされるならいであろう。 僧莎訶 ソワカ=めでたし
2010.11.18