午後のひと時
ウスラバカそうな男が何処かを眺めておる写真である。 ウスラバカそうな男と言うのは、言うまでもなくオイラである。 まったくウスラバカそうである。 カメラのセルフタイマーの10秒が思った以上に短く、カメラ目線を決めようかと企んでおったのだが、何かをウスラバカな目線で眺めてしまい、どのみちウスラバカそうな顔で写真に納まった訳である。 首からぶら下げるナイロン袋にはウォークマンが収まっている。 ウォークマンの防水ケースは恐ろしい程高価である。 オイラの場合、汗が滴り、何とも水没及び塩害を受けそうなので、ナイロン袋を輪ゴムで止めて、子供のお守りか、きんちゃく袋かという姿になるのである。 このシーンでBeethovenのsymphonyNo,5を聞いているのであるが。 その次がNo,9で、次がガーネットクロウという日本のポップスである。 その次が、民謡日本縦断とか、系列を言えば、言えない系列なのであり、これを分裂症とは言わないから楽しいのである。 ブドウ園のナイロンはがしの続きの図である。 傍らには、ロザリオビアンコなる大そうな名前の緑のブドウを転がしておる。 甘すぎて、2粒喰ったが・・・それはいかんのである。 甘すぎてネバネバしそうである。 話はいきなり変わって、今朝の天声人語。 ポテチのお話が出ていた。 油と塩と甘味。 人は惑わされ目方を増やしていく・・・・。 そういえば、ついこの間、k農舎のY君が連れてきた、神奈川のY生協のK君に、こんな話をしたんだっけ。 西洋、Europe、フランス辺りの料理、料理人なんちゅうのは、シビエなどに代表されるが、素材の香りと、そして塩と脂と香辛料を操る魔術師の類である。 あれはまさしく、油と塩の使い手である。 そこに、果実の精を操り、酒の精を操り、巧みな魔術をかけて食を饗す。 ささやかながら、ポテチであってもその脂と塩の妙は人類の求める本能を刺激し、食指を止めるという防衛判断を破壊するに近いのである。 恐るべし。 油と食塩の誘惑は、ささやかな石清水の奥深さを堪能する舌の繊細さを破壊する。 初カツヲにショウガかニンニク、ワサビなど載せて頂くおちょぼ口の、そこのところの日本人的さが貴重であり、そしていきなのである。 旬は旬だが、いきな兄貴のいきは旬とは違う。 僅かな季節の変化を先取りするが鯔背ないきというものであろう。 放射能が、あちらこちらに降り注ぎ、 こりゃまたえらい事である。 心配のない世界に生まれちゃった気分でいたのであるが。 戦争の終結の後始末は何時も未来が負うのである。 俺は、おれたちは、未来と過去を負わなきゃならん。 そして、過去の事も、これからの事も全然責任を負う気がない(ように見える)のが政治家と言うものである。 会社役員じゃないから、いろいろあっても全然責任を負わないのである。 せいぜい要職の辞任くらいで、議員の首は繋がってる。 国会だろうが地方だろうが同じことである。 日本とはそういう国である。
2011.09.16