11.18 ひろりんモーニングセミナーレポート

  • 11.18 ひろりんモーニングセミナーレポート

音声のみ聞くことができます→??http://youtu.be/96krjF2x-4o

11月18日(火)のモーニングセミナーは、

一般社団法人倫理研究所?法人スーパーバイザー
?㈱三田商会 代表取締役
三田 望?氏?

『ハチドリのひとしずく』というテーマでお話しいただきました。

倫理法人会は実践の場と言われるが、モーニングセミナーは正に実践の場であり、自己革新の場・修練の場である。
自分で目標を持って参加すると、同じ時間でも尚一層活きて来るのだと思う。

50歳の時に、倫理を全く分からないまま会長職を引き受けることとなった。
全く分からないので倫研に指導を仰いだ。
その時に指導を受けたこと、
「あなたはおじいさんのことを知ってますか?」聞かれた。

高校1年の時に、父が49歳で亡くなっていたので祖父の事を聞く時間がなかった。
また父が6歳の時に、祖父も34歳という若さで亡くなっていたので、父もよく祖父の事を知らなかった。
そのような事情で、これまで祖父の事など全く考えたことが無かった。

そんなある日、いろいろな書類が手に入り見ていると、祖父が子供の頃に卒業した尋常小学校、高等小学校、旧制盛岡中学校の各学年の修了証書や卒業証書が出てきた。曾祖母(祖父の母)がまとめていたのだろうか、直接会ったことのない祖父の母親の深い愛情を感じることができた。

また、若い頃から後藤新平氏(初代満鉄総裁)の秘書として、後藤氏に付いて満州に渡り、後藤氏が第7代東京市長として戻るまで、祖父は家に戻らなかった。祖父が母親に出した手紙がたくさん保管されており、読ませてもらった。子を思う母(曾祖母)、母を思う祖父の人間を知ることが出来た。

そして奇しくも、父も28歳の時に、
日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人の五族協和 (満州国)を理念とした建国が始まったばかりの満州に、建国のお手伝いをしたいとの情熱に燃えて渡った。
満人と親しくなることが大事だということで、無料の夜学塾を開いたりし、塾生達と夢を語り合った事が両親の残してくれた本に記されていた。

残念ながら、終戦となった。8月15日が終戦であるが、実は満州はその日から戦争が始まったといっていいくらい、略奪や婦女暴行・殺人など様々な犯罪行為が始まった。
父は、そのさ中、吉林におり、日本人難民の世話をしていた。
私たち家族が先に引き揚げても、一人満州に残り、病人らの世話をしていた。
その後、無事引き揚げて来たが、814人分の遺書遺品を持ち帰り、3年ほどかけて遺族に戻すなどした。
短命で他界したが、いつも他人のために満ち足りてお世話をし、人生を全うした。

母は、鶴岡の出身で、当時は珍しく宮城学院に通い、クリスチャンとなり、日本と満州の架け橋となろうという価値観を父と共有し、満州で結婚し、そして終戦後の死と生が隣り合わせの激動の満州で私が生まれた。
当時は、たくさんの日本人が亡くなっており、その6割が赤ん坊と老人だった。
そのような中で、私を守り育ててくれた両親に大変感謝している。


母は父が亡くなってから社長職を継ぎ、私に承継する70歳まで、社長に携わっていた。
退任後に中国語と腹話術を勉強し、帰国した中国人残留孤児のお世話をしたり、老人ホームの慰問をしていた。
80歳になってからは、講演活動であちこち飛び回っていた。
現在は97歳だが、その間、歌集を出したりするなど、元気に生活をしている。

私自身は、自由奔放に生きてきたつもりだったが、結局は両親の敷いてくれたレールに乗っている。知らず知らずの内に、両親の生き方を下敷きにして生きてきたのかなぁ、と思う。


これからの自身の生き方考える上で、先ず、明朗でなければ他人の指導はできないと教えられた。明朗は限りない気持ち、明るく楽しいとかではなく、恐れや妬みなどマイナスの感情を捨てさった気持ち。
自分の死に対する覚悟を持つこと。明朗になるためには死を意識する。我儘を捨て去ること。
自分が出来ることを、これからやっていくこと。
誰か他人にために生きる。

「ハチドリのひとしずく」
―この物語は南アメリカの先住民に伝わるお話です―

森が燃えていました
森の生き物たちは われさきにと 逃げていきました
でもクリキンディという名のハチドリだけは 行ったり来たり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落としていきます
動物たちはそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」と笑います
クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」

我々は一人一人はそんなに大それたことができるものではないが、
精一杯生きて、それでも他が為に何が出来るか?
誰かが思わないといけないのだと思う。

丸山俊夫氏も
焼け野原の中で、我一人及ばずながら、一人でこの責を負って行動を起こす決心をした。

父の時代とは違えども、私は自分が出来ることをやらなければならないと思っている。
それぞれがそれぞれの役割をもって生まれてくる。
生を受けた途端に、人は宿題を背負ってる。

宿題をやり遂げた時に、実は死を迎える。
逆の言い方をすれば、

死ぬ時まで宿題を抱えながら、宿題に答えを書きながら生きている。

人は蛹から蝶になって飛んでいく。
人は蛹に入っていて、死ぬ時に初めて、宿題をやり遂げた時に、蝶になって天空へと飛んでいく。

そうであるならば、我々はまだ蛹であるから、その内にやり残した仕事を精一杯、手抜きをせず、自分に正直に、そして愉しくやっていきたいものだと思う。
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2014.11.18:hirorin:[レポート]