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大東亜戦争の正体(それはアメリカの侵略戦争だった)

 大東亜戦争の正体(それはアメリカの侵略戦争だった)(清水馨八郎著)を読んだので、その概要を紹介する。太平洋戦争史観は捏造されたもので、ウソ・デタラメと知れば戦後の戦争史観は一変するだろう。

序章 記憶(歴史)を消された日本人(なぜ日本人はアメリカの残虐行為を怨まないのか)

 大東亜戦争は世界史的に大観すると、日本にとって人類解放の聖戦であった。どの国よりも国際法を遵守した日本軍。太平洋戦争史観でなく、大東亜戦争史観こそ日本側の史観である。一国を亡ぼすには刃物はいらぬ。民族固有の歴史を抹殺し、新しい歴史を捏造し、注入すれば良い。

1章 歴史認識のコペルニクス的転回

 人類はアフリカで誕生したが、強烈な太陽の下で、紫外線を避けるためにメラニン色素で覆い黒色になるのが普通である。太陽の乏しさに応じて黄色の人種となった。白人はアジアの獰猛な蒙古民族に追われ極北の寒帯圏で生き延びた人種である。白人の野蛮性と世界制覇への道。ヨーロッパは農業がだめで狩猟と畜産で暮らす。常に殺戮と搾取を繰り返し、メンタリティーの中に残虐性、闘争性、搾取性の気性が組み込まれた。

 近世白人の世界制覇植民地化、人身売買奴隷化は人類史上、人道上の最大の犯罪である。西郷隆盛は西洋野蛮人論と達観していた。この戦争で、白人は植民地を失い、アジア・アフリカの植民地は解放され、日本にとって負けるが勝ちの結果になった。日米戦争の目的達成度でみると、アメリカは何も得る所が無かったのに、日本は開戦の目的であるアジアの解放と帝国の自存を達成した。

2章 元寇、露寇、米寇  日本を襲った三大国難

 日本の過去の戦争はすべて大国の小国日本への侵略戦争である。清国はアヘン戦争に敗れ、西洋列強の分割に屈した。それを弱い朝鮮で取り戻そうと、朝鮮の内乱に付け込んで軍を進め、支配を強化した。朝鮮の独立を守るため、日清戦争は勃発した。三国干渉で遼東半島を清に返還させ、その後、ロシアは遼東半島を清から譲り受け、旅順に大要塞を築いた。北清事変が鎮圧されたのに、ロシアは満州に居座り、続く朝鮮まで勢力を伸ばした。

 日露戦争は有色人種が白色人種に勝った初めての戦争で、ロシアに苛められたフィンランド、ポーランド、トルコは日本を称賛した。乃木大将は敵将ステッセルに武士道精神を示した。

3章 アメリカの日本侵略、百年来の野望のはて

 アメリカは1776年の独立から、原住民や他民族への侵略の歴史だった。インディアンは200~500万人いたが、殺戮によって20万人まで減少した。太平洋岸に達した後、矛先をハワイ、グアム、フィリピン、日本に達したのが大東亜戦争である。メキシコとの戦端は「アラモの砦を忘れるな」であり、テキサスやカリフォルニア州を併合した。スペインとは「メーン号を忘れるな」と宣戦布告し、中南米諸国を支配し、フィリピンを併合した。ハワイのカメハメハ王朝を崩壊し併合した。「リメンバー・パールハーバー」も同じ手口で日本を挑発し、先に手を出させることで侵略戦争に持ち込むパターンだ。

 日露戦争による日本の勝利は、黄禍論を生み、日本が強くならないうちに打倒するオレンジ計画に繋がった。人種差別撤廃論は11名/19名賛成したが米英が否決した。ワシントン軍縮会議も英米の対日侵略戦争の布石だった。

 第二次世界大戦で領土を拡張し共産国を増やし戦争目的を達したのはソ連だった。支那事変の発端は盧溝橋事件で、スターリンが中共に仕掛けさせた罠で国民党と日本を戦わせることだった。中共は日本人虐殺の通州事件、上海事件を次々おこし日本をドロ沼に誘い込んだ。アメリカは、フライング・タイガーと名乗る空軍兵士を支那事変に送り込んだ。

 アメリカの日本叩きは、1924年の排日移民法の制定、石油とクズ鉄の輸出禁止、ハルノートを最後通牒として突きつけられれば、戦う選択しかなかった。ルーズベルトはパールハーバーを攻撃するよう挑発し、自国の兵士二千人を見殺しにした。チャーチルは、跳び上がって喜び、アメリカは日本と同時にドイツ、イタリアに宣戦布告した。世界のどこの国からも真珠湾攻撃は歓迎された。

 「日米戦は、米の一方的な侵略戦争だった。」(ピアード)「日本がアジアを代表して植民地宗主国連合に対する革命戦争だった。」(ミアーズ)「日本の過去の戦争はすべて自衛のための戦いで、東京裁判は間違いだった。」(マッカーサー)フルブライト留学制度は原爆投下など日本に与えた残虐行為の懺悔の印として制度を作った。サンフランシスコ講和条約で日本に賠償金を要求しなかったのは、悪いのは自分たちと知っていたから。日本と直接戦争していない中共と韓国が賠償や戦争責任を言うのはナンセンス。

4章 中国大陸に仕掛けられた罠

 満州は支那ではなく、20世紀初頭はロシアに占領されていた。日中戦争は中共が創った戦争であり、盧溝橋事件は中共軍の発砲であり、後日、毛沢東らが告白している。毛沢東は、日本軍のお陰で中華人民共和国を作ることができたと日本に感謝の発言をした。

・韓国だけは戦後日本政府に膨大な賠償を要求、1965年の国交回復に当たり1080億円を支払った。中共は、日本を叩くことが国民的娯楽になっており、南京虐殺30万人と宣伝しているが、1950年代の大躍進政策で3千万人が餓死、チベット侵略で120万人が虐殺、文化大革命で1千万人が犠牲になった。日本からODAなどで6兆円の援助を受けた。

5章 逆恨み国家・韓国と日本

 マッカーサーが、反日の頭目である李承晩を韓国大統領に据え、反日政策を国是とした。日韓基本条約で解決づみ、援助協力金は3千億円、ODAは7千億円で漢江の奇跡と言われる経済発展を遂げた。朝鮮半島に清国が侵入してきたのを追い払ったのが日清戦争であり、ロシアが侵入したのを追い払ったのが日露戦争だった。

 教育の普及は韓国の近代化に与えた影響は大きい。韓国による合併請願運動があり、合併の結果、人口やコメの生産量が2倍になった。

6章 A級戦犯は存在しない

 日本の戦犯はすでに赦免され、それ自体存在しない。東京裁判が違法で、判決も無効である理由 ①事後法禁止の公理に反している。②裁判官の構成が著しく不公正であったこと。③証拠書類の取扱いが著しく不公正であったこと。④裁判の時間的管轄を無視していること。⑤日本政府の共同謀議をデッチ上げたこと。

 東條英機の宣誓供述書では、日本は侵略戦争をしたのでなく、自衛戦争をしたことである。パール判事は、日本の行為は国際法に照らして無罪であり、欧米の白人たちこそ日本を非難する前に、自らのアジア・アフリアの植民地支配を反省すべきである。非戦闘員まで無差別に大量虐殺した原爆の使用を、国際法違反と断定した。

 原爆記念碑の碑文「安らかに眠って下さい、過ちは繰返しませんから」は、アメリカ大統領が述べ、誓うべき言葉である。米軍が押し付けた憲法は、米国植民地のフィリピン憲法を下書きしていた。植民地民族は絶対に主人に歯向かってはいけないと言う羊の憲法である。

7章 負けて勝った大東亜戦争

 世界を一家と考える日本建国の理想の八紘一宇の精神からすると、あの戦争を契機として、人種差別が撤廃され、全ての植民地が解放され、独立国が200以上になった。日本が国民と国家の総力を挙げて、防衛的軍国主義に向かったのは当然の選択だった。

8章 日本の強さを支える五つの文明力

 風土力(豊穣、繊細、多彩、生気、湿潤、温暖)、天皇力(万世一系の天子の国、君民一体でまとまっている国)、国語力、タテ思考力、勿体ないの思考力

終章 日本そのものが世界の自然文化遺産

 大東亜戦争は戦闘(戦術)に負けたが、その目的(戦略)では勝った。戦後日本の非常識を正常に戻すには、東京裁判史観と占領憲法を取り払えば足りる。

2022.04.27:dai:コメント(0):[学習]

世界史の中の日本「大東亜戦争は日本が勝った」

 世界史の中の日本「大東亜戦争は日本が勝った」(ヘンリー・ストークス著)と言う図書を山形市立図書館で見つけ読んだので、その読書抄録を紹介します。

 日本軍は大英帝国を崩壊させた。白人列強による世界支配を終焉させ、人種平等の世界の実現へと舵を切らせる歴史的偉業を果たした。マッカーサー占領後70余年は、連合国戦勝史観で自らを洗脳し呪縛してきた。そろそろ真実に目覚める時である。

1.日本が戦ったのは「太平洋戦争」ではない

 日本軍がアジアで戦ったのは、欧米の植民地の宗主国である。アメリカが行った空爆や原爆投下は戦時国際法違反であり、全くの民間人大虐殺だった。大東亜戦争は、自存自衛のための戦争で、東亜新秩序建設の目的が示されていた。左翼は大東亜戦争は侵略戦争だったと言うが、アジア解放戦争の側面があり、欧米の侵略戦争や植民地支配の戦争とは異なるのは明らかである。

2.「太平洋戦争」史観で洗脳される日本

 日本が戦ったのは、大東亜戦争である。500年にわたって続いた西欧列強による植民地支配を、終焉させたのが大東亜戦争であった。アメリカの占領政策WGIPによって洗脳されたために、「侵略戦争だった」「残虐行為を犯した」などGHQによる刷り込まれた虚構を、未だに真実と信じ込んでいる。マスコミには言論統制が敷かれた。

 アジアを侵略したのは欧米列強であり、日本が侵略戦争を起こしたのではない。「レイス・ウォー」人種戦争、太平洋戦争のもうひとつの真実である。1919年、パリ講和会議で日本が人種差別撤廃提案をすると、11対5で可決したにも関わらず、ウィルソン大統領によって拒否された。

 ペリーがパンドラの箱を開けた。日本も欧米列強によって植民地支配されるのではないかと脅威を感じた。

 現地人は、侵攻してきた日本軍を、ありとあらゆる方法で手助けし、逃げようとするイギリス人に、あらゆる妨害を試みた。日本軍が進攻したアジア諸地域では、有色人の現地人が日本軍を応援していた。真の侵略者が白人列強の宗主国側で、その侵略から、被侵略民族を救い出したのが、日本軍の軍事進攻だった。

 中国人にとって日本軍は、白人による搾取と奴隷扱いから自分たちを解放してくれる「救世主」だった。日本は、アジア諸民族が独立することを切望していた。

3.日本は「和」の国である

 シナジー効果とかウィンウィンとか対立軸を超えた二者択二のアプローチがある。日本に民主主義をもたらしたのは、アメリカではない。民ありて、のち君おこる。民主主義の資質は、もともと備わっていた。

4.世界に冠たる日本の歴史

 古代からひとつの王朝が続く日本。日本が世界に誇れる「万世一系」。世界四大文明よりも古い日本の文明、旧石器時代から侵略されることなくずっと民族が続いて現在に至る国。古事記や日本書紀に描かれた神武東征が、大阪平野の発達史によって史実と分かった。

5.オリエントにあった世界の文明と帝国

 「文明の衝突」(ハンチントン著)で、日本文明を八大文明の一つと位置付けて、日本一国のみで成立する孤立した文明と定義した。

6.侵略され侵略するイギリスの歴史

 イギリスとフランスの二重王国と百年戦争。帝国を築く礎になった海賊、アルマダ海戦でスペイン無敵艦隊を破る。イングランド共和国とクロムウェル。王政復古。

 専制政治は身分的支配者が行う圧政、独裁政治は国民大多数の支持によって権力を付与された者によるもの。ロシアのプーチンや中共の習近平は独裁者にあたる。

 大英帝国の日本侵略「長崎フェートン号事件」、支那で勃発したアヘン戦争、インドにおけるイギリス植民地支配への抵抗運動があった。

7.アメリカのマニフェスト・デスティニー

 キリスト教徒が人身売買をしており、秀吉の伴天連追放令の目的は日本人奴隷売買の禁止であった。幕府は、白人キリスト教徒による有色人種大虐殺を防止するため鎖国をした。

 ローマ法王によって、加速された大虐殺と奴隷制度。新大陸で悲惨に酷使された黒人奴隷。奴隷制度を支持したアメリカ民主党と廃止を訴えた共和党。共和党初代リンカーン大統領は南北戦争で勝利した。

 江戸の庶民は、世界一文化的な生活を送り、世界史に類例のないほど教育が普及していた。

 

8.白人キリスト教徒による太平洋侵略

 マニフェスト・デスティニーの西部開拓は太平洋の侵略へ。尊王攘夷は、日本防衛と国体護持のため。ジャーディン・マセソン商会の日本代理店がグラバー商会であり、坂本龍馬を使い薩長同盟を作り、幕府との内戦・内乱によって植民地化しようと目論んだ。

9.マッカーサー親子によるフィリピン侵略

 白人キリスト教徒によるフィリピン侵略。米西戦争で、アメリカがスペインにとって代わり、マッカーサー親子は独立軍を殲滅にかかった。

10.大日本帝国と西欧列強の帝国主義の違い

 大日本帝国は、侵略ではなく防衛のための帝国だった。白人列強から日本および同胞の朝鮮人、台湾人、大陸のアジア人を防衛しようとした。

 白人帝国ロシア南下の脅威。日清戦争は朝鮮半島が戦場で、朝鮮は清やロシアに媚びて毅然と独立する状況になかった。三国干渉という白人列強の侵略行為。朝鮮半島の独立を認める。日本は自衛のために戦争を余儀なくされた。

 日本による人種差別撤廃提案は、圧倒的多数で採択されたものの、全会一致でないとして不採択になった。アメリカが日本を脅威と意識し始めたのは、日露戦争に勝った頃からで、満州を独占していると日本批判を始めた。

11.大日本帝国は植民地支配などしていない

 日本はアジア最後の砦だった。独自の軍事力で、アジアで独立を保つことができた独立主権国家は日本だけだった。日本の朝鮮統治は、侵略的な意図によるものと言うより、防衛的な必要性からだった。日本の朝鮮統治は植民地支配ではない。植民地を潤すために、本国が犠牲を払ったようなもの。

 朝鮮人と日本人を、少なくとも法的には、同じ日本人として対等に扱ったのが、日本の朝鮮統治だった。朝鮮人にハングルの教育を施したのが、日本の統治時代だった。このため、それまで低かった識字率が大幅に向上した。日本の皇室が朝鮮の王族に嫁がれたことは、日本と朝鮮が合邦して、対等に扱おうとした。八紘一宇は、世界は一家、人類は皆兄弟という日本の理想である。

12.日本は中国を侵略していない

 大東亜戦争は自衛戦争だった。日本の満州への進出は、侵略ではない。当時の満州はロシア領だった。日露戦争の勝利で、日本は満州の権益を獲得した。支那は、自国の領土かのように口を挟んでくる。国際条約によって満州の租借権を獲得した。五族協和・王道楽土の満州国。

 日本の大陸への進出は、パリ不戦条約を侵していない。支那事変は、中国共産党の挑発であり、国民党政府を日本と戦わせ、戦力を消耗させてから国民党を打倒し、共産党の国家を創ることを目指した。

13.アメリカによる先制攻撃の共同謀議

 日本の真珠湾攻撃は、卑劣な奇襲攻撃だったと信じられているが、追い詰められ自衛のために英米と戦端を開いた。それ以前に、フライング・タイガースは、アメリカの退役軍人が義勇兵として中国軍の航空部隊のパイロットをして、戦争を仕掛けたのはアメリカである。

14.大統領がアメリカ国民を欺いた

 アメリカを開戦に導いたのはルーズベルト大統領である。キンメル太平洋艦隊司令長官は、ルーズベルトの戦略(真珠湾をおとりにする作戦)を知らされていなかった。

 真珠湾の奇襲は、アメリカの罠だった。太平洋戦争は、アメリカの侵略戦争だった。南京大虐殺も、蒋介石政権のプロパガンダ機関が捏造した虚構であり史実でない。

15.大英帝国を滅ぼしたのは日本だった

 日本が大東亜戦争を戦ったことで、大英帝国は崩壊し滅びた。大東亜戦争に勝ったのは日本だった。アメリカにとって太平洋戦争は、日本が始めたものではなく、ナチスドイツに参戦したいアメリカが仕掛けた戦争だった。

 今こそ全ての日本人は、WGIPによる洗脳から解放され、真実を見つめなければならない。日本の戦争は、太平洋における対米戦争ではなく、アジアにあった大英帝国の版図での対英戦争テーマに語られるべきだ。

 大東亜戦争はアジア解放戦争だった。欧米列強の白人キリスト教徒たちから、差別され、搾取されてきた有色民族を救おうとした。日本軍の進攻は、歓喜をもって出迎えられた。

 万世一系の天皇の存在なくして、日本は日本でありえない。

2022.04.12:dai:コメント(0):[学習]

「日本国紀」の天皇論

「日本国紀」の天皇論(著者;百田尚樹、有本香)を読んだので、その抜粋を紹介する。

 平安時代の終わり以降、日本には権力と権威が分かれて存在する。天皇の権威と万世一系は、中国などの易姓革命とは異なる。そして、万世一系こそが守るべき原則だ。

 日本という国名は日が昇るところと言う意味で、神話と結びついた国名だ。歴史上、女系天皇はいない。男系男子である。性染色体(男xy、女xx)のy染色体は神武天皇と同じ染色体を受け継いでいる。古代の人は、本能的にこれを知っていた。

 「民のかまど」の逸話。仁徳天皇が民のかまどから煙が出ていないのを見て、民の苦労

を悟り、三年間の税を免除した。君臨すれども親裁せず。

 教育勅語は人として当たり前の内容である。十七条憲法の第1条は「和を以て貴しとなす」。五箇条の御誓文は、「広く会議を起こし、万機公論に決すべし」。このように、日本は常に話し合いで物事を決めてきた歴史がある。

2022.04.12:dai:コメント(0):[学習]

禁断の幕末維新史

 以前、「日本人が知っておくべき「この国根幹の重大な歴史」」(加治将一他著)を紹介したが、 今回、さらに深掘りしたく「禁断の幕末維新史」(加治将一著)を読んだので紹介する。自分自身、これはほぼ真実であるとの確信を得ている。

(坂本龍馬暗殺の真犯人は)

 尊王攘夷派とは、薩摩藩、長州藩など天皇を尊び、外敵を排斥するグループである。公武合体派は、幕府、孝明天皇など朝廷と幕府(諸藩)が協力して、幕藩体制の再強化を図ろうとするグループである。第3のグループとしての反孝明・南朝崇拝の秘密結社があり、岩倉具視、大久保利通、桂小五郎などにより、南朝天皇へのすり替えが計画された。

 武力革命派は、岩倉具視、大久保利通、薩摩藩、長州藩、土佐藩の一部、アーネスト・サトウ、中岡慎太郎、板垣退助であり、無血革命派 坂本龍馬、後藤象二郎、勝海舟、英国パークスである。龍馬暗殺の真相は土佐藩の内ゲバだった。田中光顕は、後日談で「中岡は、剣を持っては龍馬よりはるかに上であった。この目で見ての実感である。」と言っている。

(北朝から南朝へ明治天皇はすり替えられた)

 ひ弱な睦仁親王は、天皇になったとたんに武士を相撲で投げた。睦仁親王は右利きだったが、明治天皇は左利きだった。天皇の妻は皇后と呼ばれるが、明治天皇だけは皇太后。睦仁親王の践祚から即位まで1年7ヶ月と長過ぎる。南朝の血筋は幕末まで根強く残っており、根強い南朝崇拝思想が幕末に息を吹き返した。水戸光圀が作らせた「大日本史」は南朝正統論の決定版にあたる。

 戊午の密勅は、孝明天皇から水戸藩に下った大老井伊直弼の暗殺指令があり、安政の大獄、桜田門外の変と続く。南朝すり替えの原作者は吉田松陰であり、これと言った功績の乏しい吉田松陰の名前が残っている理由である。明治天皇の権威が増すとともに、明治時代の中後期にかけて長州閥がのし上がっていった。

 尊王攘夷から倒幕開国へ、第三の勢力「薩摩+長州+英国」が倒幕に動いた。倒幕の密勅のシナリオは、南朝天皇復活を目指す第三の勢力の元で練られた。倒幕+南朝秘密同盟は、攘夷だけの孝明天皇の排除、公武合体派の粛清のため義弟の徳川家茂を暗殺した。大政奉還で幕府側から権力を奪還するために、鳥羽伏見の戦いで騒乱状態を作り、一気に御所を囲んで南朝天皇にすり替えた。南朝武将を祀る神社の建立と再興、建武の中興15社の建立、南朝の忠臣・楠木正成の騎馬像を皇居に設置。江藤新平の佐賀の乱、西郷隆盛の西南戦争も秘密を知っている者の口封じと見える。

(皇女・和宮のすべては抹殺)

 孝明の妹・和宮は、相思相愛といわれた有栖川宮熾仁親王との婚約を破棄し、将軍・家茂との政略結婚に及んだ。和宮の殺害現場は、京都から東京へ向かう途中の箱根山中。明治7年、襲撃され自害。岩倉の企みを示唆している。死の噂をかき消す偽装工作として、南部家の娘が使われたが、偽装工作に関わった人は若死か消息不明になっている。

(出口王仁三郎は有栖川宮のご落胤ゆえに弾圧)

 孝明天皇亡き後、天皇になる気満々だった熾仁の子は、北朝の血脈ゆえ王仁三郎は追い込まれていく。

 NHK大河ドラマで渋沢栄一が描かれているが、徳川慶喜や岩倉具視の配役をみると、最近の歴史研究の成果が伺える。

2021.04.14:dai:コメント(0):[学習]

京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘

 「京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘」(落合莞爾著)と言う本を読んだので、その内容を紹介する。これまで、「薩長史観の正体」では、薩長は倒幕の密勅を偽造したが、徳川慶喜は大政奉還により平和的に権力移譲され、戊辰戦争は無意味な戦いだったことを示した。「明治維新の正体~徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ」では、イギリスが薩長を支援し内戦を誘導したが、徳川慶喜は自ら手を引いて諸外国の誘いに乗らなかったことを示した。「日本人が知っておくべき「この国根幹の重大な歴史」では、坂本龍馬は内ゲバで倒され、攘夷論者の孝明天皇を暗殺し、睦仁親王をも殺害し、南朝天皇の子孫の大室寅之祐を明治天皇にすり替えたことを示した。今回は、その考え方をベースにしながらも、堀川政略と言う戦略の下に実行したとする説を紹介する。

 現在の公認史実の根底に「大ウソ」がある。その根幹は明治維新に際し皇太子睦仁親王の入れ替えであり、これは体系的に学説や皇室の権威をもって周到に固められている。

(大政復古の知られざる内幕)

 奇兵隊の天皇と三公卿の果たした役割がある。国民の歴史常識に潜む二大偽史とは、明治天皇と睦仁皇太子の入れ替えと孝明天皇の偽装崩御がある。皇室偽史の淵源は南北朝に由来する。護良親王→崇光天皇→栄仁天皇→伏見宮貞成親王→後花園天皇(第1皇子を朝廷天皇)永世親王伏見殿(第2皇子をウラ天皇)としてウラ天皇を作り出した。護良親王の長男興良親王を周防国田布施郷に入れ、同地の佐藤甚兵衛家が興良末裔の大室家を代々保護し、大室家の血を引く地家作蔵と南朝門徒の興正寺スエとの間に生まれた大室寅之祐が、皇太子睦仁親王と入れ替わり明治天皇になった。

 中山忠能は皇太子睦仁親王の祖父であるが、その日記には奇兵隊の天皇と表記している。中山忠能は討幕密勅を発し、維新後も高官として新政府に参加した態度・行動から義理の息子・孝明天皇の毒殺と孫・睦仁暗殺は偽装したと考えるしかない。

 堀川政略は、孝明天皇の偽装崩御と睦仁と寅之祐の入れ替えが根底にある。奇兵隊の天皇とは中山ら三公卿仲間の隠語であり、中山忠能日記はそのまま明治天皇に献上され宮内省文庫に収められている。孝明朝廷を仕切っていたのは、孝明の義兄で魔王こと弾正尹中川宮朝彦親王と、禁裏御守衛総督一橋(徳川)慶喜が力を合わせた一尹政権だった。慶喜が15代将軍に就いた直後に孝明が偽装崩御され、堀川政略に沿って維新工程に入った。一方、実父でウラ天皇の伏見殿邦家親王の補佐役の魔王は慶喜と組んで公武合体派の首領役を演じてたが、維新工程に入ったことで役割を終えた。

 1867年1月に皇位を継いだ奇兵隊の天皇は、御所の生活に慣れておらず、実質的に朝廷を仕切ったのは、中山忠能・正親町三条実愛・中御門経之の三公卿連合である。三公卿連合の朝廷支配は1867年12月の小御所クーデタまで続く。堀川殿とは、堀川御所に隠棲された孝明先帝ではなくウラ天皇になられた睦仁親王である。水戸斉昭は堀川御所を本圀寺に建てた。この本物の御所を隠蔽するために京都御所内に小さな建物を設け堀川御所と公称した。

 小御所会議は維新政府の設立総会(1867年12月9日)と言うべきものだった。新官制議定書は大政奉還後の王政復古の在り方を示している。孝明不在の朝廷を取り仕切っていた三公卿は、大政奉還から王政復古まで全てを取り計らっていた。小御所会議は慶喜排除の無血クーデターだった。三公卿は予想していた。慶喜に辞官と納地を命ずるしん断を引き出せたので、倒幕親政派の目的は達成された。慶喜の辞官と納地が意味することは、自党専制の政府を立てることであり、岩倉・島津連合と三条・毛利連合と三公卿が結託したとのことである。公武合体派を排斥し倒幕親政派が政府権力を独占しようとするもので、だからこそ慶喜を排斥した。

 旧幕臣の渋沢栄一は、明治体制の誕生にまつわる不公正を批判するために編纂したのが「徳川慶喜公伝」である。堀川政略の明治工程は、慶喜の新政参加を予定していなかった。大政奉還から王政復古にかけての最大の功労者は、三条・岩倉・長州・薩摩ではなく、中山ら三公卿である。徳川から薩長藩閥の専制政体に変わり、1889年に明治憲法で開設された民選議院により、堀川政略の明治工程が予定していた明治公議体制になった。

(明治の通貨政策)

 万延幣制が堀川政略の維新工程の一環とすれば、その立役者は小栗忠順である。金貨二本立てにより、通貨資産を保有する民間人に、万延二分判よりも古金と万延金を選好させて退蔵させるために行った。

(神道国教化)

 表面は仏像でも最も大事なのは先祖の位牌である。戦国武将は火薬入手のためイエズス会のカトリック布教を許した。信長誅殺を光秀に命じたのは、天海と見るべきである。江戸幕府は、仏教の国教化を進めるために寺請制度を設け、戸籍行政と身分証明制度を寺院に担わせたので、国民すべてが仏寺の檀家になることを義務付けた。

 神道国教化と廃仏毀釈を、尊王攘夷の延長線上で捉え、幕末から勃興した国学と復古神道に関わる勢力が、倒幕の功績で新政府の要職を得たため、彼らの神道国教化政策を採らざるを得なかったと通説があるが、祭政一致は神仏分離のため、神仏分離は廃仏毀釈のため、廃仏毀釈は覇道一神教(キリスト教)の侵入に備えたガス抜きとして行われた。

 明治天皇のすり替えは真実のようである。この歴史改ざんは国民にはにわかに受け入れ難いが、ゆっくりと国民の間に浸透して行くだろう。薩長新政府の東北地方で行った蛮行も、徐々に暴かれてきている。象徴天皇としての男系男子の議論にも影響あるだろう。

2021.04.09:dai:コメント(0):[学習]