朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

04.佐竹家エリア:詳細について
第一番 水口(十一面観世音)
第二番 松程長松院(子安観世音)
第三番 松程馬頭堂(馬頭観世音)
第四番 杉山(糸引観世音)
第五番 針生(十一面観世音)
第六番 宇津野(聖観世音)
第七番 太郎祥光院
第八番 太郎南(子守観世音)
第九番 立木(千手観世音)
第十番 白倉(千手観世音)
第十一番 勝生(聖観世音)※道路拡張工事に伴い立木光源寺に仮安置
第十二番 大沼
第十三番 大沼浮島
第十四番 大暮山萬福寺(聖観世音)
第十五番 大谷馬神(馬頭観世音)
第十六番 大谷(聖観世音)
第十七番 富沢 大澤寺
第十八番 富沢
第十九番 左沢法界寺(子安観世音)
第二十番 樋ヶ沢
第二十一番 大巻
第二十二番 和合宗覚院(子育観世音)
第二十三番 送橋(千手観世音)
第二十四番 前田沢(聖観世音)
第二十五番 新宿東永寺(千手観世音)
第二十六番 宮宿小塩山(千手観世音)
第二十七番 八ッ沼(聖観世音)
第二十八番 能中(聖観世音)
第二十九番 川通
第三十番 夏草(聖観世音)
第三十一番 中沢福寿院(聖観世音)
第三十二番 雪谷(如意輪観世音)
第三十三番 雪谷(如意輪観世音)
番 外   宮宿福昌寺(筆観世音)
縁起
※観音霊場巡りはタクシーの利用をお勧めいたします。
 朝日観光 0237-67-2424
 ヨシダタクシー 0237-67-3131

 江戸時代、酒井藩のもとで朝日岳麓の白倉では銅などを掘る鉱山があったが、雨による水害の度にその鉱毒が流れ遠く左沢まで稲が枯れた。その原因を知らない当時の農民達は、朝日権現の下を掘ったための山の怒りだとして鉱山の閉鎖をしようとした。
 その首謀者であった水口の石橋太郎と中沢付近の待神(たいじん)上人が、遠くは七軒村・左沢まで閉山勧告旨を書いた廻状をやり、五百川一帯の百姓が、鉱山に酒米を供出していたその元締めであった白倉村の竹内家、立木村の阿部両家に押しかけ、米、酒の供出をしない旨を公約させ鉱山の経済封鎖をした。
 この農民一揆を怒った酒井藩(松山藩)は、首謀者の石橋太郎、待神上人を逮捕して左沢に送った。石橋の人徳に感心した上人は、これからの世をより良いものにするよう頼み太郎を逃亡させた。その当時は十年で時効となるため、石橋太郎は十年間西国八十八ヵ所を中心に日本全土を放浪した。
 十年間の長い月日を過ごして戻った石橋は、当然自分の家などなくなっているものと思ったが、水口の対岸の雪谷から見たら残っているのがわかり感激し、最上川を一目散に渡った。そして、佐竹文右衛門の許に走って、自分が今まで生き長らえたのはひとえに西国八十八ヵ所の観音様の為であるとし、待神上人の冥福を祈ることを目的とした「五百川三十三観音」を作るための援助を頼んだ。
 それがきっかけとなって五百川三十三観音は成立したと云われ、一番は自分の生まれた水口村で、三十三番は彼が自分の生家を見たという雪谷村となっている。
※『寒河江高校研究集録』昭和45年(1970)発行より
※「白倉騒動」は、天候不順による凶作の原因は、金掘りなどの山稼ぎや行人達の木川新道開発が山の気を動かしたためであるとして、天保3年(1832)6月に起こった。(朝日町史上巻より)
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