ダリア日記

ダリア日記
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快進撃を続けるナポレオン!
心の支えは、6歳年上のパリでも有名な美貌を誇る未亡人「ジョゼフィーヌ」
激戦下でも、遠くパリにいる愛しい彼女に手紙を出し続けるのです。

背が低くブ男、訛りのきつい田舎者の「ナポレオン」に対して「ジョゼフィーヌ」は、さほど魅力を感じていなかったものの、32歳になり美貌も衰え始めてきた彼女は「時代の風雲児・ナポレオン」の将来性に賭け、結婚を決意するのです。

それから9年たった1804年、ナポレオンはフランス皇帝となり、ジョゼフィーヌも皇后になるのです。この時ジョゼフィーヌは41歳、ナポレオンは35歳。権力を手に入れた女好きなナポレオン、二人の中には微妙なスキマが生まれてゆくのでした。

さて、ヨーロッパ各地に広がり行くダリア。同時に各地の研究者によってその研究が進められて行くのですが、大きな問題が生まれていたのです。





食用として成就しなかったダリア(Vol.10)

ダリアが再び現れたのは1790年。
前年にメキシコの植物園よりスペイン王室植物園へ送られたダリア(まだアココトリと呼ばれた)の種子が花を咲かせた。(半八重咲の紫色花、一重裂きのローズ色花)
これが、ヨーロッパにおける「ダリア」の誕生である。
(「アココトリ」が「ダリア」と名付けられるのは1791年)

これの誕生を機に、ダリアはヨーロッパ各地に広がってゆくのです。

この時代ヨーロッパは大きな変革期を迎えていた。フランス革命を中心とした封建社会からの脱出である。そして、英雄ナポレオンが生まれるのです。

ナポレオン軍がヨーロッパを駆け巡るが如く、ダリアも各地に伝わって行くのです。
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ダリアは多彩な球根草です。
花の大きさ、花の色、花の形、草丈、葉の形の違い等によって品種が定められます。
特に、花径の大きさ、花びらの形、花びらの色で分類され、アメリカとイギリスのダリア協会と日本ダリア会で分類基準を作っています。

まず、ダリアの魅力の一つ花の大きさ(花径)による分類法です。
「超巨大輪」:30cm以上のもの
「巨大輪」 :平均28cm前後のもの
「大輪」  :平均24�兪宛紊里發�
「中大輪」 :平均21cm前後のもの
「中輪」  :平均17�兪宛紊里發�
「中小輪」 :平均13�兪宛紊里發�
「小輪」  :平均10�兪宛紊里發�

写真は「エモリーポール(オーストラリア産)」
現存する世界最大のダリアです。大きいものは40�僂鯆兇┐泙后�
 




川西ダリヤ園のそばに「浴浴センターまどか」と言う温泉施設があり、日帰り入浴、宴会そして宿泊に訪れる方で賑わっています。

まどかでは、川西産のブドウを使ったオリジナルワインを販売しています。糖度の高いデラウェアを使ったとてもスウィートな白とロゼの2種類、女性に大変な人気になっています。

ラベルも、町の花「ダリア」の花びらをベースにしています、ピンクの淡くかわいいデザインになっています。
ぜひ味わってみてはいかがでしょうか。

浴浴センターまどか ☎0238−42−4126




ダリアはもともと食料!

アステカの人々はダリアの球根を食用としていました。
球根は、芽を出させ、枝葉を生長させ花を咲かせる(最低限の)エネルギー(養分)を蓄えた優れた器官。ダリアをはじめとする球根植物は、苛酷な環境でも花を咲かせること(子孫を残すこと)が可能な高度な植物です。

さて、コロンブスの新大陸(アメリカ)発見後、ヨーロッパの探検家は南北アメリカから多くの物を持ち帰ります。アステカやインカ帝国のお宝から鉱物資源、植物、食料等など

そんな中に植物としては、ジャガイモ、サツマイモ、トマト、カボチャなどがあり、ダリアもその一つです。食用としてヨーロッパに渡ったダリアですが、食味が好まれず食料としての成功は見られませんでした。
なお、ヨーロッパで最も成功したのはジャガイモと言われています。

写真はジャガイモ「インカのめざめ」(北海道農業試験場のパンフより)

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ダリアは変化に富んだ花で、花の大きさ、花の色、花の形によって分類されています。そのため品種も多彩で、世界には数万種が存在していると言われています。日本でも明治の頃より品種改良が行われていますので、これまで発表された品種数は相当なものでしょう。

天竺牡丹日記では、数多いダリアの品種の中から優れた花を紹介致します。

はじめに紹介するのは「虹」、秋田市の鷲沢幸治氏が改良し2003年に発表した品種です。
中大輪種(花径が21センチ前後)、桃色の花びらの底の部分が白くなる水蓮咲き(WL)の端正な花で、草丈は中高性(110〜120センチ)、比較的育て易いダリアです。

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ダリアの楽しみ方が広がってきた。
ダリアと言えば、庭で楽しむ花といったイメージがとても強い。
確かに7月から11月まで花が咲き続き、花壇や庭を彩る花として欠かすことの出来ない花のひとつであり、何よりもその存在感は見事!

しかし、その存在感の大きな花も、切花にしてしまうと水揚げの悪さ、日持ちの悪さからダリアは切り花に向いていないと敬遠されてきた。

近年、ダリアがフラワーアレンジのメインフラワーに使われている。
フラワーアレンジ、生け花関係の雑誌で取り上げられることが増え、またTVでの露出度も急激にアップしている。

ダリアの魅力がますます高まっている。




昭和35年9月 川西町に町のシンボル「川西ダリヤ園」が誕生する。

時を同じくして、ダリアをイメージして作られた一つの菓子パンが誕生することになる。
コッペパンの時代、まだまだ一般の人々が菓子パンなど容易に買えない時代、3種類の味が楽しめる夢の様なパンであったと今でも伝わる。

中心にジャムを配置し、その周囲にバターそぼろ、中にはアンコを配した「ダリアパン」が産声を上げた。ジャムの赤はダリアの花心(頭状花)をあらわし、黄色のそぼろと整形したパン生地で花びら(舌状花)を表わした。

川西町上小松の「パリドール・サノ」で販売する人気のパンである。
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ダリアは空洞植物である。
ダリアの茎は花首から球根まで空洞・ズンドウになっている。

メキシコのインディアン、アステック族の名づけた身近な花「アココトリ(Acocotolis)」又は「ココクソチトル(Cocoxochitl)」は、現在「ダリア(Dahlias)」と呼ばれている。

アココトリとは「水茎」または「水管」と訳され、ココクソチトルは「茎の花」または「中空の茎の花」と訳されます。いずれもココトリ(Cocotli)の「茎の空洞な植物」から来たものです。

ダリアはまさに茎が空洞なゆえに、ダリアなのです。

写真は1570年代に描かれたアココトリの木版画です。




太陽の光をいっぱい浴びて咲くダリア!太陽の光、それは生命の源である。

冷涼な気象条件を好む花「ダリア」ですが、輝く太陽の日差しも大好きのようです。
変幻自在にそして、色鮮やかなダリアの花々、その美しさのエネルギーも太陽の恩恵でしょう。

晩秋に見られる減少ですが。
日照時間が短くなり、また、光が弱まりだすと色彩が変化し全く違った花色になったり、輝きを失ったようになる花を見かけます。

そんな時に強く感じることは、太陽パワーの偉大さです。
(写真は、朝陽に輝くダリア:ジェシカ)





冷涼な地方を好むダリア。
現在、日本国内での主産地は東北地方から北海道にかけて。

ダリアの原産地中央アメリカ、特にメキシコ合衆国は日本より緯度が低く、赤道に近い。
そのため、ダリアは熱帯の花というイメージが強くなっています。現に、真夏に真っ赤に咲く大輪のダリアを見ると、夏花としか思えないことでしょう。

しかし、秋が深まるにつれてダリアはその色彩を増して行きます。冷え込んだ晩秋の早朝には、その魅力に吸い込まれそうになります。

メキシコ合衆国は国土のほとんどが山岳地帯でとても急峻。夏は涼しく過ごし易いと言われます。
「天竺牡丹=ダリア」は、そんな高地冷涼な地帯に自生していた花だったのです。




ダリアの和名は、このタイトルのとおり『天竺牡丹』です。

ダリアが日本にやってきたのは江戸時代後期の1841年(天保12年)となっています。
長崎の出島を経由して江戸に届いた八重咲きの赤い花、名もなきこの花はいつしか「天竺牡丹」と呼ばれるようになりました。

さて、天竺とはご存知のとおりインドのこと。
現在もTV(月曜日)で放送していますが、孫悟空一行が旅する「西遊記」で有名ですね。
当時、海外から国内に入ってきたものには「南蛮・・・」とか、「天竺・・・」とかと名前を付け、呼んだようです。
ダリアについても「海を渡り外国から届いた牡丹のような美しい花」と言うことで、「天竺牡丹」という呼び名になったのです。

写真は「ネリー ブルム ヘッド」藤色のポンポン咲き。
大正時代に発行されたダリア専門書にも紹介されている、生まれて100年の時を過ごしている品種である。