ダリア日記

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『花の西洋史辞典』

ダリアのルーツを紐解きより深く探るため、「花の西洋史辞典(アリス・M・コーツ:白幡洋三郎・白幡節子訳)」を購入しました。

この辞典は、世界各地から導入された植物のヨーロッパにおける園芸史などを、詳細に解き明かした文化史辞典。アイリスからワスレナグサまで114項目が取り上げられている。

今後、「ダリアの項」の内容について、折々に紹介させていただきます。


〜訳者あとがき〜
本書は、イギリスの園芸植物史家アリス・コーツ(Alice M. Coats)の“Flowers and their Histories”Adam & Charles Black,London,1968(初版1956)と“Garden Shrubs and their Histories”Vista Books,London,1963の抄訳である(わが国では一般に栽培されない植物、特に馴染みの薄い花のみを割愛した)。上記2書はそれぞれ「花の西洋史 草花編」(1989)、「花の西洋史 花木編」(1991)として八坂書房より刊行されたが、本書はこれらを改版し、事典として再編集したものである。
・・・・・                    (白幡洋三郎、白幡節子)





NHKドラマ「江」とダリアの関係は?

本日よりNHK大河ドラマ「江」が始まります。
その、ストーリー本の表紙に主役の江姫役の上野樹里ちゃんがブルーをバックに写っていますが、江姫の頭上に「江」の文字、そして、赤に爪白の鮮やかなダリアも写っています。
本屋さんでは以前から確認はしていましたが、本日の朝日新聞のテレビ欄に広告が掲載されてビックリ。
とてもとても、不思議な絵・光景です。

「江姫」と「ダリア」。
イメージでしょうが、単純脳の私にはその結びつきが思い浮びません???
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ダリアの天恵国!

日本は、温帯地方に位置し湿潤でしかも温暖な期間が長い「ダリアの天恵国」と、岩本熊吉著の「最新ダーリヤ栽培法」でも言っているように、世界の中でも、ダリアの栽培にはもっとも適した国です。

しかし、梅雨明け後の連日続く猛暑の日々を見る限り、そして、暑さに疲弊しているダリアを見るにつけ、「天恵国」と言うの呼び名にも陰りとむなしさを感じます。
(日焼けするダリア、紫の単色花が暑さで周辺部が白変)

確かに猛暑の7、8月を乗り切れれば、ダリアにとって快適な涼しい季節はやってきます。しかし、近年の目まぐるしい気温上場に、暑さを嫌うダリアは9月を待たずして音をあげ、しまいには枯れてしまうものが多くなりました。そして、生育適地も東北以北や西日本でも高地に絞られてきているように感じられます。とても残念なことです。

ストップ・温暖化!




「最新 ダーリヤ栽培法」 岩本熊吉編著 (大正13年5月20日発行)

 序
 二十年前の事を考えると夢のようだ。その頃ダーリヤを知っていたものが果たして何れだけあったろう、恐らく指を屈するに止まったであろう。そして今日はどうだろう、日本の津々浦々まで、恐らく山間の一つの家まで、ダーリヤを知らぬ者はあるまい。
 ダーリヤの伝播力は実に凄ましいものであった、燎原の火の如く誰も之が前に立って防止することは出来なかった。これには様々の犠牲も払われただろう、様々な宣伝も預かって力があるだろう、けれども第一はダーリヤの本質その物がそれだけの価値があったからだ。ダーリヤが若しつまらぬものであったら、如何に宣伝しても如何に犠牲を払っても、それ等は悉く徒労で水泡に帰せねばならぬ。然らばその価値とはどんなものであろう。
 第一に美麗だ、それから変化が多い。第二に花季が長い、恐らくこれほど長く咲きこれ程多くの花を呈供するものは他にあるまい。第三に培養が平易だ、一通り説明されたら誰にも花を咲かせ得らるるであろう。一口に言うとこの頃の流行言葉で即ち民衆的である。民衆的であるから、貴族も平民もなく、皆人が之に和同し之に傾倒するのである、乃に今日の隆盛を来した所以である。
 以上はダーリヤそのものの方から言った事であるが、これを一般の草花の方から言って見ると、また思い半ばに過ぎる事がある。それは他でもない、目今夏向の切花として若しダーリヤを取り去ったらどうだろう、恐らく半分と言いたいが七八分は減らせられ淋しい世界となって了うであろう。即ちこの処にもダーリヤの繁昌を証拠立てている、同時にこれはダーリヤの実用を意味するものである。
 こうしてダーリヤは最早全盛期に這入っているが、物盛んなれば衰うるのは理の当然であるから、我々この全盛に酔って踊っていてはならぬ。これはダーリヤに限らぬ事だが物には必ず先覚者と云うものがあって、普通人よりは一歩先に進んで道を切り拓いて行く。で、このダーリヤに全盛期に当たっても、そうした人が居てダーリヤの新しい道を開いて行かなければならぬ。この著書も大いにここに注目して居るらしい。ダーリヤに関しても従来少なからぬ著書があったが、一体著書と云うものは、原則としてその時々の必要に応じて筆を進めて居る、だから時経ると多少ずつその価値を減ずるのは止むを得ない事である。そしてこの著は大いに現時のダーリヤ界に必要があると思われる。即ちこの書の出て来る理由が十分あると思う、因って一言以ってその首めに序す。
日本ダーリヤ会常務幹事  北秀園主  野 口  秀

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『ダリアのカタログ』

山形川西ダリア園を管理する「川西町観光協会」では、これまでにダリア球根の販売を目的として一度だけカタログを発行したことがある。川西ダリヤ園開園の翌年、昭和36年に発行されたものである。
以降、川西ダリヤ園ではカタログは発行せず、もっぱら園内の実際の花を見て球根注文する方法をとっている。
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『山形のダリア事情(昭和30年頃)�◆�

山形県内におけるダリア事情はVol.130で紹介しましたが、県内各愛好会の中でも鶴岡市・鶴岡ダリア研究会の活動がとても盛んに行われていたと記録されています。同研究会会長・松木正利氏はダリア栽培の傍ら自ら品種改良に取り組み、東北ダリア作出家協会の代表を務め、また、同本部を鶴岡に置くなど、東北・全国にその名を馳せられました。現在も庄内各地でダリア栽培が盛んに行われていますが、先人の努力の賜物でしょう。

写真は、昭和31年の川西町ダリア会主催による品評会時もの。
審査員に、米沢市の中津川政次氏、鶴岡市の松木正利会長、同水野重昭副会長をお呼びして開催しました。





『山形のダリア事情(昭和30年ごろ)』

明治時代から大正期にかけて全国に広まったダリア栽培。しかも、その中心は小輪やポンポン種などの可愛らしいダリア達でした。
本格的な広がりを見せるのは昭和初期にはいってからとなります。ダリア愛好家(研究家)は、ある条件を備えた場所に生まれ、各地でピンポイントに拡大(普及)して行ったのです。
当時、大輪系の品種は輸入に頼るか、一部の改良家によって生み出される品種に限られ、その球根は極めて高価であり貴重なものでした。一例を上げると、30年代初めに生まれた赤い超巨大輪「宇宙」は、発売価格が4000円を付ける程でした。(30年代の4000円の価値を想像して見て下さい)
そう限られた場所とは、高価なダリア球根を購入できる人々がいる城下町などの古くから栄えた大きな都市部か、地主や商人が集まる裕福な農村都市と言うわけです。
昭和35年発行「ダリア全書(著者・松尾真平)」では、日本国内におけるダリア関係団体一覧の中に、県内から「鶴岡ダーリア研究会」「花いっぱい会(山形市)」「川西町ダリヤ会」などを紹介しています。他にも、米沢市や酒田市でダリア栽培が盛んに行われていたと言われています。

上の写真は、昭和32年9月に「山形市の丸久デパート内」行われた「ダリア展示会」の様子。山形市役所内に事務局を持つ「花いっぱい会」が主催し、県内各地から千点を超える名花が集まったと記録されている。




『川西ダリヤ園』の誕生!

 昭和35年5月2日、川西町小松地内の「原田城(屋敷)」前に広がる畑地に、川西町ダリヤ会長の高梨万吾氏が立っていた。「川西ダリヤ園」の開園に向けて数年来、町や商工会などの各方面に働きかけて来た「ダリア」への熱い情熱が実を結び、今まさに現実化されようとしている。写真には「ダリヤ園建設予定地」の看板が見える。

 川西町ダリヤ会は「川西ダリヤ園」の設置場所選定から、世界から集められた球根の提供と9月開園を目指した栽培計画の作成を手掛けます。そして、園地作りや植え付けから日々の栽培指導を繰り広げ、日本初の鑑賞型ダリア庭園・川西ダリヤ園の開設に大きな功績を残します。

 同年9月に開園した「川西ダリヤ園」が間もなく50年の時を刻もうとしています。多くの人々が訪れる川西ダリヤ園の「歴史」は、川西町ダリヤ会の「情熱の歴史」とも言えるのです。





東北ダリヤ名花展の歴史

川西ダリヤ園で開催されている「東北ダリヤ名花展」は、今年で53回を数えました。この名花展のはじまりは、昭和29年の8月(地元の神社祭礼時に実施)に川西町内のダリア愛好者(小松花の会主催)が自慢のダリアを持ち寄って展示会を行ったことが、起こりとなっています。

ダリアに対する深い愛情と確かな技術力を持った川西の愛好者は、町外のダリア展示会で賞を独占し続けました。そんな中いつしか、川西町ダリヤ会の展示会が東北で一番権威の高い展示会と呼ばれるようになり、町外、県外からも多くの出品がなされました。

写真は、昭和35年9月23日「東北ダリヤ名花展」の会場となった川西町立小松小学校体育館の外での一枚、左から、川西町ダリヤ会の高梨氏、東京春光園の竹内氏、松方農場の亀井氏、千葉の黒相氏、川西町役場の大河原氏。(川西ダリヤ園の誕生・開園の2日後である)
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本日は川西町上小松にある「諏訪神社」の祭礼!
おしゃぎりの渡御を中心として、中央公民館前では地区の夏祭りが開催され、露店が立ち並び歌に踊りにと賑わいをみせ、町内が祭り一色になります。

さて、9月23日前後に川西ダリヤ園内で行われている「東北ダリヤ名花展」、この展示会の始まりは、8月26・27日の「諏訪神社祭礼」と9月15・16日「皇太神社祭礼(上小松)」の時にダリヤを多くの人に見てもらおうと昭和30年に始めたのが起こりです。

「お祭りとダリア」どちらも人を引き付け、魅了し続けている!

(写真は、昭和40年の諏訪神社祭礼時のダリヤ展示会)




ダリア(天竺牡丹)の来日!��

日本ではじめにダリア(天竺牡丹)を取り入れ栽培した内山長太郎は、江戸の巣鴨の植木屋(花屋)さん。長太郎は文化元年(1804年)に笊(ざる)屋の息子として生まれ、15才で植木屋を目指します。後に富山藩前田利保などの大名家と親交を持ち、江戸の有名な園芸家(栽花園を経営)として活躍します。

長太郎は、今日身近にある多くの草花などを発見し広めました。その中で「長太郎百合」の名前に彼の名を残しています。

なお、「長太郎百合」は葉に白い覆輪斑が入る鉄砲百合の変種。大輪矮生種の清楚な花は、現代でも人気の品種となっています。

(長太郎百合の写真は、HP「うにゃ子の花畑」よりお借りしました)

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ダリア(天竺牡丹)の来日!

古文献によると、ダリアは江戸時代オランダ船により長崎に輸入され、それが関西、関東に広がったものであることが察しられる。
すなわち「天竺牡丹に三品あり、極紅吹詰の一品は天保十二年(1841年)初めて巣鴨の地に住む長太郎となんよべるもの、長崎より取り入れ、紫花黄花の二品は今年浪花より来れり」《弘化三丙午年(1846年)松平菖翁著「百花培養考」》。
また一説には天保十三年にポルトガル人の手によって「薬玉」と称するポンポン咲きのものが初めて輸入されたとも伝えられる。
(ダリア全書・松尾真平著・1960年)