ぞーこー太郎 蕎麦屋の冒険
▼3月23日(水) 曇りのち晴れ
どーもっし、ぞーこー太郎です。
相変わらず平和な伊佐沢です。
原発問題について、考えます。
今ワタクシが一番頼りにしている情報源が兄のブログです。
それぞれの判断で、決めるのは自分。
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〜ほんじつのおしゃかさま〜
p117 第5章 「愛するもの」より
1 愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる。愛するものを離れたならば憂いは存在しない。どうして恐れることがあろうか?
2 愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる。愛するものは変滅してしまうから、ついには狂乱に帰す。
3 世間の憂いと悲しみ、また苦しみはいろいろである。愛するものに由って、ここにこの一切が存在しているのである。愛するものが存在しないならば、このようなことは決して有り得ないであろう。
4 それ故に、愛するものがいかなるかたちでも決して存在しない人々は、憂いを離れていて、楽しい。それ故に、憂いの無い境地を求めるならば、命あるものどもの世に、愛するものをつくるな。
5 愛するものと会うな。愛していないものとも会うな。愛するものを見ないのは苦しい。愛しないものを見るのも苦しい。
6 愛する人々と離れるが故に、また愛しない人々に会うが故に、はげしく憂いが起る。それによって人々は老いやつれてゆく。
7 時が来て、愛する人が死ぬと、親族知人が集まって来て、長い夜を徹して悲しむ。実に愛する者と会うことは苦しい。
8 それ故に、愛するものをつくってはならぬ。愛するものであるということはわざわいである。愛するものも憎むものも存在しない人々には、わずらいの絆は存在しない。
岩波文庫 『ブッダの 真理のことば 感興のことば』中村元訳 より一部抜粋
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