歴史探訪
▼東北の関ヶ原3
この合戦では様々な評価がありますが、ほとんどは直江兼続の見事な撤退作戦ばかりが取り上げられます。確かに難しい撤退戦を成功させたことは間違いないでしょう。また前田慶次など有名な武将の活躍もありました。しかし、寡兵の最上勢、特に長谷堂城兵にもっと注目するべきだと思います。本隊2万といわれる名将兼続率いる天下の上杉勢を相手によく防いだものです。もしかしたら上杉勢も油断があったのかもしれませんが、最上家とてかりにも強敵に囲まれながら戦国を戦い抜いた大名です。そう簡単に勝負は着かなかったのでしょう。
いずれにしても長谷堂戦後、家康より庄内および秋田南部由利郡を加増され57万石となります。(石高について不明な点も多い。関ヶ原戦前は24万石、戦後は33万石加増との説が定着しているが、のちに庄内を治めた酒井家は14万石、由利郡そのほかを考えても33万石も増えないのでは、元々30万石くらいはあったのでは、と思います。これは私見ですが。)
余談ですが、のち最上家改易時、近隣大名により領内の城郭が接収されますが、長谷堂城を担当したのが上杉家だったことは皮肉というほかありませんね。
2010.07.12:yusuke1970
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