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第20回記念誌より 献詠二題

  • 第20回記念誌より 献詠二題
「米沢は雪よし 酒よし 祭よし 人のなさけは またさらによし」
靖国神社宮司 大野俊康

「純白の 雪に点せる まつりかな」
靖国神社宮司 湯沢 貞
2006.09.30:yukidourou:[  過去の雪灯篭まつり]

【平成18年の情報】火種30,000プロジェクトとは

  • 【平成18年の情報】火種30,000プロジェクトとは
上杉雪灯篭まつり30周年記念企画
火種30,000プロジェクト~輝け米沢の未来!米沢市3万世帯のキャンドルナイト!

開催30周年を迎える上杉雪灯篭まつり。市民有志によりささやかに始められたこのおまつりは、次第にともし火の数も増え、米沢の冬を代表するおまつりとなりました。
メインとなる上杉神社周辺に作られる約300基の雪灯篭や雪ぼんぼりは、市内企業や学校生徒によるすべて市民の方の協力で作られています。
その他、各町内や商店街など市内各地にも雪灯篭や雪ばんぼりが作られるなど、市民手作りのおまつりとして盛り上がりを見せています。
今年度30周年を迎えるこの雪灯篭まつりですが、市民総参加を目標に市民を対象とした記念事業を計画して30周年のお祝いをし、今後のおまつりの発展につなげていきたいと考えるものです。
今回のプロジェクトは、「市民の市民による市民のための計画」という発想のもと、全市民(家庭)が雪灯篭まつりに参加することをねらいとした壮大な計画です。期間中、米沢市内3万世帯それぞれがローソクに火を灯すことで、市全体が会場となり、市民それぞれが主役となり、おまつりが一層の盛り上がりをみせ、かつ世界の恒久平和と米沢の未来に希望の火種を灯すのです。

そのために!
☆火種「手作りローソク」を市民の手で30,000個作り、米沢市内約30,000世帯に
 配布し、各家庭で灯してもらうという計画なのです。

 実行委員会では、これからいろんなイベント、いろんな場所でローソク作り体験コーナーを設け、参加者を募り、ローソクを作ってもらうようにいたします。
 また、各地区公民館や企業、サークルなどで講習会をおこない、ローソク作りを実践していただくように依頼していきます。
 また、一緒にこのプロジェクトを応援して、ともに活動をしていただけるボランティアスタッフを募集していきます。

 それと、ローソク作りの原料となるロウですが、昨年おととしに会場で使用したローソクを再利用することでエコにもつながります。
今までの家庭や企業、お寺などでいらなくなったローソクを提供してもらうようにお願いしていきます。
環境にもやさしいおまつりを目標にしていきます。

市民の手によるローソクで、米沢市の各家庭にローソクの火がともり、雪灯篭まつりには米沢市内全体が会場となり、米沢市全体がやさしい光に包まれる。
それが観光客へのおもてなしの行動と心につながるものと思うものです。

この壮大なプロジェクトを成功させ、記念すべき30周年を迎えるために、ぜひご協力いただきますようよろしくお願いいたします。


2006.09.30:yukidourou:[◇火種30,000本プロジェクト]

雪灯篭まつりの歴史 「雪灯篭事始め」

  • 雪灯篭まつりの歴史 「雪灯篭事始め」
昭和52年2月28日夜。深く息を吸うと鼻毛が凍り、吐く息で眉毛が白くなる寒い夜であった。
「月見の会」(現:観月会)は、この日上杉神社社務所で雪見酒を楽しんでいた。
会員は東光蔵元の小嶋弥左衛門、米沢女子短期大学教授の上村良作、山形屋染物店の佐藤富寿、河北新報記者杉村敬三、上杉神社宮司大乗寺健、小山内鴻、小野栄の諸氏7人。会長も会則もなく、季節折々の月をめで、酒を楽しむ集いであった。
酒宴の始めに、誰かひとりが10分か15分、自分の得意な話をするのが慣わしで、その夜は上村教授が「北越雪譜」の話をした。この本は、越後の豪商鈴木牧之が、天保年間に江戸で出版した当時のベストセラーである。その講和がきっかけとなって、酒宴では雪の功罪について喧々諤々の論戦が始まった。
雪の美、雪の風情、それを楽しむ催しがないものか。雪をめでながら酒を楽しむことができないものか・・・に話題は集中した。小嶋氏からは十日町の雪祭り、横手のかまくらまつりの視察談が披露された。
そのうち「雪の中にローソクを点したらどうなるだろう」という話になり、物は試しと、神社社務所の庭の雪の壁に、頭ほどの穴を穿ってローソクを立て火を点した。部屋の電気を消すと、白銀の中にオレンジ色の光が揺らめく幻想の空間が出現した。夢想だにしなかった妖しい光芒に、一同思わずハッと息をのんだ。
雪ぼんぼり、雪灯篭の誕生である。
このように美しいものを、われわれだけで楽しむべきではない、多くの市民に呼びかけ雪灯篭の宴をやろうと、話は発展した。名称は上村氏の提案で「上杉雪灯篭まつり」と決まった。
善は急げと、その日を3月3日のひな節句の夜と定め、雪洞造り、雪見の宴の世話人を立て、各団体に案内を出した。最終打ち合わせ会は3月1日、上杉神社内の臨泉閣で開いた。雪洞造りは、東光・丸の内青年会、南部体育振興会、佐藤造園の面々を中心として行われた。雪見の宴は佐藤氏が中心となり、鍋料理と雪菜の漬物が準備された。酒は米沢酒造組合の協力を得て、会費は1000円とした。
参会者は予想を超える200名に達した。鍋の煮えるまでの間、上村氏から「雪の美と雪灯篭と」の講和があり、参会者に深い感銘を与えた。
2006.09.29:yukidourou:[  雪灯篭まつりの歴史]

雪灯篭まつりの歴史 第20回上杉雪灯篭まつり記念誌より

  • 雪灯篭まつりの歴史 第20回上杉雪灯篭まつり記念誌より
第20回上杉雪灯篭まつりを迎えて 実行委員長 小嶋弥左衛門

これは、平成9年に上杉雪灯篭まつり20回を記念して作成された20回記念誌の中の
当時の実行委員長 故 小嶋弥左衛門氏の文です。
雪灯篭まつりを創められた小嶋氏の思いが記されてあります。
2006.09.29:yukidourou:[  雪灯篭まつりの歴史]

上杉雪灯篭まつりの歴史 朝日新聞記事より

  • 上杉雪灯篭まつりの歴史 朝日新聞記事より
平成18年8月15日 朝日新聞 夏の伝言 山形を見つめる
「雪灯篭まつり」
2006.09.29:yukidourou:[  雪灯篭まつりの歴史]