最上義光歴史館 - 山形県山形市

▼山形城の立地

◆◇◆山形城の立地◆◇◆

 最後の山形藩主水野氏についてきた高名な学者塩谷宕陰が、「山形は江戸に似ているというより、京都に似ている」と言って、新封地に着任した主君に賀詩を献じた。たしかに、京都は中央に川、東西に山・・ということで、盆地の山形と似たところがある。
 ところで、山形が出羽国の中枢年として発展してきた背景には、十四世紀の斯波兼頼の入部、以降十七世紀初頭までの最上時代があった。十五世紀などは、史料不足の「暗黒の時代」だが、とりあえず最上氏の存在が山形を支えてきたのではあるだろう。
 それなら、山形城がなぜこの場所につくられたのか。
 高橋信敬先生の名著『最上時代山形城下絵図』では、斯波兼頼入部時代の近辺の地勢や歴史的な沿革には触れておられるが、「なにゆえに、この場が選ばれたか」についての所見は、残念ながらない。
 先頃、中川重先生、伊藤清郎先生とご一緒したとき、「風水」ということについておたずねしたことがあった。「山形城の風水(学)的立地はどうなんでしょう」という私の質問に、お二方は町づくりにおける「山あて」の事例を教えてくださったが、「風水」についてはお話しにならなかった。学術の網に掛かりそうもない(?)「風水」を取り上げるのはお避けなさるのが当然と、私は納得をもらったのだったが、その後も山形城の位置・立地は気にしていた。
 山形県の地図を広げて、眺めて、今のところ次のことは確かなようだ。

[画像]

@ 山形城の位置は、北西四二qに見える月山の頂上(一九八四m)と、南東一〇qにそびえる龍山(一三六二m)の頂を結ぶ直線上にある[直線A]。 この二つの山は、山形城から見て一番高くて目につく。

A 山形城の位置は、西(三五q)の大朝日岳の頂(一八七一m)と東(一四q)の神室岳の頂上(一三五六m)を結んだ線上にある[直線B]。この両山は、めだたぬながら、山形城の真東、真西にある最高の峰である。

B つまり、直線AとBの交点が山形城の現場に当たるわけである。

 馬見ケ崎川扇状地の中央部分。標高一三〇m前後。水はけよく乾いた平地、地下水は豊冨。所々に泉が湧いている雑木林。積雪は山形盆地のなかで最も少ないところ。人が暮らし集落を形成するには具合がいい。このあたりの条件は、誰でも気がつきやすい。
 しかし、山形城が周辺の山岳(等)と関係づけて築かれたかとなると、私には何も言えない。もう一つ、山形の随所で遠望される雁戸山(一四八五m)は、無関係なのか。どうなのだろう。

■執筆:長谷勘三郎「歴史館だより23/研究余滴16」より
2020.04.17:最上義光歴史館

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