最上義光歴史館 - 山形県山形市

▼最上義光連歌の世界@ 名子喜久雄

最上義光連歌の世界@

96  波も音そひかへる釣舟        喜吽  
97 暮れはつる入江のむらは鐘なりて        景敏
98  やどりさだめぬ袖ぞものうき        義光
99 わかれつつまた誰をかはとひぬらん        紹由
  
   慶長三年(一五九八)卯月十九日
    賦何墻連歌  名残(なごり)の裏

[画像]


 義光の連歌を解読し、その作品の意図や背景となっている古典教養に言及したい。義光の句を意図を示すために、前句(直前の句)・打越(前句のさらに前の句)の内容を知る必要がある。よって、今回のように、二句前の96の句まで示すことがある。
 96は、夕べに釣舟が自分の港へ帰る姿である。97は、その行く先である漁村が闇に沈もうとしている時に、寺から夕べを告げる鐘の音が響くとする体である。
 96の世界の釣舟に乗っている人々は、なりわいのためではあるが、日々殺生を行うので、業の深いものとされた。97では、96に立脚して、「鐘の音」を響かせる。言うまでもなく、「鐘の音」は、罪業を滅消させるものであり、殺生と関わること大である。夕景の中、釈教・無常の世界が展開される。大むね叙景の句である。
98の句は、無常を背景とした叙景から、人物の独白の体に展ずる。この人物は、自分の運命を嘆く遊女である。大意は、「自分の住まい(=夫)を定めることが出来ない(=日々重ねる相手が代る)袖をつらく思う」ほど。
 さらに具体的には、江口(大阪府淀川河口)などの遊女たちが想定される。すでに、平安中期に公任が編んだ「和漢朗詠集 遊女」に
  
 白波のよするなぎさに世をすぐす 海人(あま)の子なれば宿もさだめず

とある。義光は傍線部を採ったわけである。
 その他に、「新古今集 羇旅」の作がある。
 
 天王寺へ詣で侍りけるに、にわかの雨の降りければ、江口に宿をかりけるに、貸し待らざりければ、よみ侍りける   西行
                 
978 世の中をいとふまでこそかたからめ かりの宿(やどり)もをしむ君かな
       返し            妙
979 世をいとふ人としきけば仮の宿に 心とむと思ふばかりぞ 

 世の中を仮の宿ととらえ、その世に生きることの難しさを、遊女を罪業とする妙は嘆いている。この贈答は、西行編と考えられていた説話集「撰集抄」・謡曲「江口」に取り入れられ、著名であった。97の無常を軸として、98では恋の情趣も加味されている。
 義光の加味した恋の情趣をとらえた紹由は、99で遊女が「別れた男は、今日、一体どのような女のもとを尋ねるか」と嘆く姿を詠む。
 このようにして、無常に立脚した叙景から恋の嘆きに、連歌は展開している。

■執筆:名子喜久雄(山形大学名誉教授)「歴史館だより24」より
画像 ( )
2017.06.01:最上義光歴史館

HOME

yoshiaki

powered by samidare