最上義光歴史館 - 山形県山形市

▼義光連歌の語るもの

◆◇◆義光連歌の語るもの◆◇◆

 最上義光は古典文学に関して深く豊かな教養をもち、すぐれた感覚で見事な連歌を物した。こうした義光を京洛の縉紳が高く評価したことは、同席連衆の顔ぶれからもあきらかである。
 ところで、われわれの歴史理解は、とかく日本人の書き残した史料に頼りがちだが、16C末〜17C初頭、すなわち義光の時代ともなれば、ヨーロッパ人による文献記録も大いに参考になる。
 たとえば古来日本人の理念とされてきた「文武二道」について、ジョアン・ロドリゲースは、「この両者はいずれも国家にとってきわめて必要なものであり、あたかも車が動くための両輪、鳥が飛ぶための両翼のようなものだと言われている」と、当時の日本人の価値観に敬意を込めて書き記した。(以下引用は、大航海時代叢書X『日本教会史・下』〈岩波書店・/1970刊〉による。)
 その「文事」の重要な部分をなす「連歌」についても、彼らの見方が参考になる。
 「(文事つまりのうち)能は学芸を意味し……高官、武家貴族および公家貴族によってそれ自体名誉とされ、重んじられ、行われている」とし、十種の能を挙げた。
 その第八が連歌である。
 「多くの人々が一緒に集まって、ある主題なりある詩句〔発句〕なりにもとづいて作るもので、各自は前の句に関連させて自身の句を作って続けてゆく。これは貴人の間ではよく行われることで、多大の理解力と判断力を要するものである。」と、「能」十種中最も高度なものと彼は見ていた。
 現在のわれわれは、当時の大名や貴族なら連歌など常識的な嗜みだったかのように思いがちだが、実際は誰も彼も堪能というわけにはいかなかったのである。清雅幽玄の連歌世界に遊ぶことは、天分に恵まれ、古典文学に通暁した者にのみ可能だったことを、ロドリゲースは示唆する。
 そして共通の教養を身に付けた人間同士……大名、公家、宗教人、豪商らは、連歌を媒介として独特な社交世界を形成していたらしいのだ。
 数多い最上義光連歌は彼の人間そのものの表現であるが、同時に桃山文化界の思いがけない一面を語りかけているような気がする。

執筆:長谷勘三郎「歴史館だよりbX/研究余滴2」より
2006.11.04:最上義光歴史館

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