最上義光歴史館 - 山形県山形市

▼義光会だよりbP

最上歴史館ボランテア活動
出張こども講座「ヨシアキ☆すく〜る!?」の取り組みを紹介します。

 なぜ出張してまで子供達に講座をやろうとしたのか?
 私達が、館内案内する入口のところに「最上義光」と書いた旗があります。「この字はなんと読みますか」と聞きますと、「もがみよしみつ」と読んでしまう人が多いのです。山形市民でも、どこかに「よしあき」と言う言葉は知っていても、漢字を見せると「よしあき」と読んでもらえないことがわかりました。
 また、歴史館には小学校の生徒達が見学に来て、私達が案内をします。ある時、先生と対話することがありました。先生から「日本の歴史にでてくる信長・家康・秀吉などは生徒に話がしやすいが、小学校の副読本にでてくる、三島通庸や最上義光など郷土史的な人物は不得意で説明がしにくい。皆さんからこのようにして教えていただいて、また本物の鉄砲の玉が当たった兜を見せていただき、本当に有難いです。」と言われた言葉が印象に残りました。
 これがヒントとなり、役員会で取り上げ歴史館側と協議をしながら、歴史館が企画する子供講座とタイアップして、一緒に実現しようとなったわけです。
 そして、当初は歴史館に来た小学校の生徒に紙芝居のようにして説明しようとしたのですが、もっと積極的に一歩前に出て、パソコンとプロジェクターを持参して、こちらから学校へ出向いて行こうということになったのです。
 この企画で最上義光をどのように描いていくのか?私たちは子供達に何を伝えていくべきなのか?プロジェクト会議で検討しました。その結果、現在の山形の町並みの基礎を築いた“義光の業績と人物像”を伝える事にまとまりました。
 さっそくプロジェクトメンバーに役割・分担を決めて、最上義光の一生を年代ごとに集約して、その行なった主な業績をまとめることからはじめました。
 一番気を使ったのは、文章を小学校四年生の目線に合わせて、いかにやさしくまとめるかでした。
 そしてプロジェクト会議を何回も重ねてやっとニ月末に一応の完成のメドがつきました。プロジェクトのメンバーは各自仕事を分担しながら、家庭にもち帰って資料を作成し、それを繋ぎあわせては修正しそれの繰り返しです。うちの家内には「現役の頃、このように頑張って仕事していたらもっと偉くなってたろうになあ」と揶揄されたこともあります。プロジェクトのメンバーには頭のさがる想いであります。
 子供たちの反応をみるために前から決めていたモデル校の第一小学校・第四小学校と打ち合せをして、お披露目をすることになりました。
 発表している間も、大きな反応が見られました。特に「駒姫は十一才で関白秀次に認められて結婚を申し込まれました、ちょうど君たち位の頃ですよ」と話すと「ウワー考えられない!!」「早すぎる!!」などと聞こえてきました。反響はとても大きかったと思います。
また、あとから生徒たちが感想文を書いて送ってくれました。
 
・義光のころから七日町があり、一番にぎやかな町を作ったとは知らなかった。

・義光が自分のためでなく、みんなのためにお寺や神社をつくってくれた偉い人だとは知らなかった

等自分なりの言葉で書いて送ってくれて、ホロッとするところもありました。最後に「第一小学校の校門のところが三の丸のお堀であったことや、学校の校章が“おもだか”で水野藩の家紋であったことなど子供たちばかりでなく、自分たちも勉強になりました」と先生の御礼の言葉もありました。「本当にありがたく、やりがいがあったな」とつくづく感じました。
 来年度実施の子供講座に向けて努力していきたいと思います。
■執筆:義光会会長 阿部久照 
(「歴史館だより32 /「最上義光歴史館 義光会だよりbP」より転載)

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2026.06.30:最上義光歴史館

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