最上義光歴史館 - 山形県山形市
▼博物館とデジタルアーカイブ 佐藤琴
博物館とデジタルアーカイブ
「デジタルアーカイブ」という言葉は和製英語です。今から約30年前に月尾嘉男東京大学教授(当時)が考案しました。初めて世に出たのは1994年12月に開催された「世界の文化を未来に継承するデジタルアーカイブ国際会議」。高度情報化社会の始まりを告げるWindows95発売の直前です。
当時、情報技術がもたらす未来に対する期待が関係者のなかで高まっていました。パソコンや通信網などはそれを実現するにはいたっていませんでしたが、情報技術の進化と普及のために、1996年4月に文化庁・通商産業省(当時)、自治省(当時)が支援し、関連企業等により「デジタルアーカイブ推進協議会(会長 平山郁夫)」が設立されました。この頃、「源氏物語絵巻」や広隆寺・薬師寺の仏像などの貴重な文化財が最新技術をもちいてデジタル化されました。それによって情報技術の有用性を証明しようとしたのです。しかし、あまりうまくはいかず、2005年にはデジタルアーカイブ推進協議会も解散してしまいました。多額の費用をかけてデジタル化しても当時高精細画像を表示できるのは高価なスタンドアローン端末のみ。しかも最新であるがゆえに技術の賞味期限は一瞬。すぐに古びて、次々と新しい技術が生まれます。そのどれが生き残るのかも数年経たなければわからず。2017年にデジタルアーカイブ学会が設立されるまでのおよそ10年間は、試行錯誤を繰り返しながら、私たちの生活にインターネットが浸透していく期間でした。
1996年から東北歴史博物館(1999年開館)の情報システム構築担当となった私はデジタルアーカイブ推進協議会のシンポジウムなどにも参加していました。その場では、世界中の人々の瞬時にお互いの状況を理解しあえるようになり、世界は平和になるという説明がなされ、私はそれを信じていました。もう一つ当時話題になっていたのは博物館側が非協力的だということでした。博物館側は収蔵資料をネット上で公開してしまうとそれで満足して来館者が来なくなるという強い危機感を抱いていました。しかし、30年後の現在、ウクライナとロシアの戦争は終わらず、アメリカでは自国第一主義の大統領が当選しました。人々が移動コストをかけてわざわざ見に来るのはネット上で話題になったものであり、来館者は見たものをスマートフォンで撮影してSNSで共有できなければ満足しません。
このように情報技術は博物館とそれを取り巻く人々の価値観を大きく変えました。今後も大きな変化にさらされていくことでしょう。そんな時代だからこそ、私は原点に立ち返る必要を感じています。「アーカイブ」という言葉はそもそも「保存(庫)」という意味です。ヨーロッパにおいては、後世の人々に利用される可能性がある文書を保存し、利用に供する文書館のことをいいます。アーカイブスで保存されるのは貴重な美術作品だけではありません。
インターネットの普及によって保存と利用は必ずしも同じ場所である必要がなくなり、検索によって人間の記憶力をはるかに超えた大量のデジタルデータを扱えるようになりました。その恩恵については私が説明するまでもないでしょう。
博物館が今後も役割を果たしていくためには収蔵資料のデジタル化は不可欠です。しかし、その作業が非常に困難であることも30年近くこの仕事をしてきた私にはよくわかります。ですから、私が現在携わっている「山形アーカイブ」ではできるところから少しずつ情報を掲載していくこととしています。ただ範囲は広く、山形の過去だけでなく現在の風景や人々の記憶も掲載することとしました。現在は一瞬で過去になりますし、今を生きる人たちにとって大切な思い出ですから。この記憶の蓄積は今だけでなく未来の山形の方々が自分たちのまちの在り方を考える手がかりになるはずです。博物館もデジタルアーカイブもそのために存在すると私は考えています。
■執筆:佐藤琴(山形大学附属博物館 学芸研究員・楽師課程基盤教育院 教授)「歴史館だより32」より
2025.11.09:最上義光歴史館
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