最上義光歴史館 - 山形県山形市

▼館長裏日記 令和7年3月29日付け

■ AIを性格付ける話
 以前、この館長日誌で、AIに多様性を求めるならばAIに性別を入れる方法もあるなどと書きましたが、「人工知能」という専門誌に「AI にジェンダーを組み込むことはどういうことか」と題し4人の専門家に質問した記事が35巻5号2020年9月号にでていました。内容は、ジェンダーを組み込むことの意味やそのメリットデメリットとか、AIと人間の関係性に関わるハラスメントとルッキズムというものなどです。
 「工学的にジェンダーを入れたほうがインタラクション(=会話などのやり取り)がスムーズになるというのは以前からいわれていますが,一方で,これを導入するとステレオタイプ(=らしさ)の再生産になるという意見もある」という話からはじまり、それがまたハラスメントやルッキズムとも関係してきます。AIとの関係ではインターフェイスが介在するわけで、つまりは外見においてもその性能が評価されてしまうのです。それにしてもAIにルッキズムまで絡んでくるとは想像が及びませんでした。
 こうなると見た目ばかりでなく、およそ人に関わることはAIにも関係してくると思われます。例えばウイルスやワクチンという言葉がコンピュータでは普通に使われるようになりましたが、これがAIで言えばドラッグとかデトックスなどというプログラムとなり、さらにAIにも酩酊状態とか禁断症状とか依存症とか痴呆とか妄想とか暴走といった症状が現れるかもしれず、はたまた電気羊の夢もみるかもしれません。少なくても現に、出来の良いAIとか出来の悪いAIとかはあります。しかしながら多様性とか新たな進展のためには、あえてそういうことを盛り込むことも必要かもしれません。例えば、人が指す将棋の面白さは、理屈を超えた勘であったり思わぬ悪手であったりするわけで、確率優先、倫理優先だけではつまらなくなるわけです。
 連歌も連歌師ばかりではなく、公家、武家、寺家などさまざまな生い立ちや立場の人が集うことで面白みが得られるわけです。さらに入試出題文では「当日はなんと私のこれまでの六千首あまりの歌をすべて学習した『永田君AI』まで登場して驚いた」とありましたが、特定の情報ソースで学ぶことによりAIの性格付けができます。この方法で「最上義光くんAI」というのも構築できるわけです。
 しかし実はこうした学習準備をしなくとも、現在公開されているAIに「〇〇風に」などと指示すると、AIがその人物の特徴を調べ、それを模した結果が得られます。例えばコウメ太夫風にとすると、コウメ太夫の芸風や特徴を分析し、それに沿ったものをつくってくれます。あるいはジョイマン風にとすれば、「ただ韻を踏むだけではない」などと分析したうえで、何らかのパワーワードが出てくると思われます。こうなると、どんな芸風(?)がいいのか、そのセンスが問われるわけでして、AIがその場に応じて勝手に芸風を考えてくれるまでにはまだまだかと。それでも連歌を導いてくれる宗匠AI、例えば「里村紹巴くんAI」などの登場であれば時間の問題かもしれません。
 一方、連歌における序破急の話ですが、芸人さんで言うと、ハライチの岩井さんが澤部さんに繰り出す語句が、当初のお題からどんどん離れていく、あの展開が序破急のひとつのパターンではないかと。そのやり取りはまた、岩井さんの語句に澤部さんがのっかり、それを見て岩井さんがひねって返し、それを澤部さんが懸命にひろっていく、というまさに連歌の基本がそこにあるのです。連歌はその場にあって人の句に臨機応変に付けていくものであり、あらかじめ用意されたネタを披露するといったものではないのです。
 「宗伊宗祇湯山両吟」(新潮日本古典集成「連歌集」に収録)という、その題のとおり宗伊と宗祇の2人が湯山(有馬温泉)で吟じた連歌があります。二人だけで交互に連歌をまいたもので、途中何度か上の句(五・七・五)と下の句(七・七)を詠むのを交代したりします。これはつまり芸人さんで言うと、笑い飯の「Wボケ」つまりボケとツッコミが入れ替わるようなことが行われているわけです。連歌、恐るべし。

■ AIならこう言うという話
 現在のAIは、性別などという次元を超えて、個々の性格付けまでできるようになりました。この性格付けというか、なりすましということで思い出したのが、「ブロンソンならこう言うね」という本です。田口トモロヲさんとみうらじゅんさんの2人が人生相談をして、それに自分たちがブロンソンになりきって回答するもので、雑誌「スタジオ・ボイス」に連載されていたものです。
 このブロンソン(チャールズ・ブロンソン)については、還暦を過ぎた私と同世代の方には説明不要かとは存じますが、ハリウッドスターとしては独特の風貌で、かつて男性化粧品のCMに出ていました。そのCMテーマ曲「男の世界〜Lovers Of The World」は大ヒットしました。ジェリー・ウォレスというカントリー歌手が歌っていまして、その歌詞の最初を翻訳すると「すべての世界は、一人の恋人を、あらゆるところのすべての女の子たちを愛している。愛する喜びを知ることは、マンダムの世界に生きることだ。」という、わかるような、わからないようなものではあります。実は昨年購入した「洋楽ジャンクEP10枚セット福袋」というものにこれが入っていて、ちょっとうれしかったのですが、いやその、こんなものを買わずに、断捨離やら終活やらをしなければならない年齢なのは承知しているのですが、現在進行形でジャンクものばかりが増えております。
 閑話休題、とにかくAIに性格付けし回答が得られると知って、早速やってみました。まずは、あの名言について尋ねてみました。「俺はいいけど、YAZAWAが何て言うかな?」ということについて、YAZAWAになって教えてください、と。これは、矢沢永吉さんが地方のコンサートで、スタッフの手違いによりスウィートルームではなくツインルームが用意されてしまったときに発した言葉で、スタッフはすぐに他のホテルのスウィートルームを手配したそうです。この言葉の意味がうまく説明できず、あるいはこの意味がわからず、もやっとしている人がいるとのことでしたが、GPT-4o miniモデルに基づいている「チャットGPT日本語」というAIからはつぎのような答えが返ってきました。
 【「おれはいいけどYAZAWAは何ていうかな」という言葉は、矢沢永吉さん自身のキャラクターやスタイルを反映した表現です。ここでの「おれ」は矢沢永吉さん本人を指し、「YAZAWA」は彼のステージネームや公のイメージを指しています。
 この言葉の意味は、矢沢永吉さんが自分自身の意見や感情を持ちながらも、彼の公のイメージやファンに対する期待に応えようとする姿勢を示しています。つまり、プライベートな自分と、パブリックな自分との間での葛藤やバランスを考えているということです。
 このように、矢沢永吉さんは自分自身を大切にしつつ、ファンや社会に対してどのように振る舞うべきかを考えているというメッセージが込められています。】
 あ〜、すばらしい。パーフェクトです。調子に乗って、さらに質問を続けてみました。「おれはいいけどYAZAWAは何ていうかな。」という名言がありますが、これはブロンソンだったらなんと言うでしょうか、と。するとAIは、
 【「おれはいいけどYAZAWAは何ていうかな」という名言は、矢沢永吉さんの独特なスタイルやキャラクターを表現したものですが、もしこれをブロンソン(チャールズ・ブロンソン)に置き換えた場合、彼のキャラクターや映画の役柄を考慮すると、もっとストレートで力強い表現になるかもしれません。
 例えば、「俺はどうでもいいが、周りはどう思うだろうか」といったような、自己中心的ではなく、周囲の反応を気にするような言い回しになるかもしれません。ブロンソンのキャラクターは、しばしば冷静でありながらも、強い意志を持っているため、彼の言葉には力強さが感じられるでしょう。
 このように、矢沢永吉さんとブロンソンでは、同じテーマでも表現の仕方が異なるのが面白いですね。もし他に知りたいことがあれば、どうぞお知らせください。】
 あ〜、なんともすばらしい。ここでふと思いました。これは高校入試の小論文問題でもいけるのではと。例えばこんな設問です。
 「おれはいいけどYAZAWAは何ていうかな。」という言葉の意味を答えなさい。さらにこれがチャールズ・ブロンソンだったらどう言うかを答えなさい。
 あ〜、これは難問、というか、昭和生まれでないと返せない設問でしょうか、やっぱり。

■ デペイズマンの話
 「私たちが持つ言葉は、現実の世界に対応するには隙間だらけなのであり、あえて表現されなかったものにこそ思いを致す」とのことですが、本当に、視覚だけではなくその他の聴覚や嗅覚など感覚あるいは感情などについても、言葉で表そうとするとそれはなんとも荒いヴァーチャルリアリティにしかなり得ず、しかも送り手と受け手のリテラシィの違いもあり、例えば百聞は一見に如かず、というか、言葉よりも一枚の写真のほうが正確に伝わるようなことも多いです。一方、最近では、大規模視覚言語モデル(VLM)という画像を言語で表し処理する技術研究が進んでいるようです。
 しかしながら、「あえて表現されなかったものにこそ思いを致す」とあるように、それは想像力で補うこともできます。小説でも映画でも事細かに描写するよりも、あえて省略して想像が膨らむようにつくる方が高度のような気がします。特に詩歌などはそのようなことをもって上等とし、なおかつ、意外性を持たせることに腐心するわけです。ただ、省略しすぎたり、飛躍しすぎたりすると、えてして独りよがりのものとなってしまう危険性も孕んでしまうのですが。
 意外性を持たせるには、デペイズマンという「異なった環境におく」ということを意味する手法があります。いわゆるシュールな表現などに用いられます。連歌の醍醐味というのは、このようなデペイズマン的な手法によることが多分にあると思います。ということは、強力な連歌師としてはシュルレアリスト、例えばサルバドール・ダリなどもいいのかと。その作品をAIに読み込ませて(まさにVLMで)、歌を詠んでもらうという、なかなかに高度な技術となりますが。
 シュールと言えば芸人さんでは、ふかわりょうさんとなるのでしょうか。う〜ん、その連歌をみたいような、みたくないような。連歌を巻いているときに「お前ん家の連歌、季節感薄くない?」とか言われそうです。そしてシュールすぎると言えば、ネプチューンのホリケンさんとかでしょうか。ところで、この「シュールすぎる」というのは、つまりはどういう評価としてとらえたらいいのかしらん。
 蛇足ながら、デペイズマンの典型的な例として「解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然なであいのように美しい」というロートレアモンの美少年を讃えた詩の一節をあげることができます。この語句はシュルレアリスムの芸術家たちに好まれマン・レイの写真作品ともなっているですが、なんじゃそれは、と一言で片づけてしまう人もいるかと思います。私も、若い時にはこのタイトルにインスピレーションを刺激され呪文のように脳裏に刻まれていたのですが、感性が干からびてしまった今となっては、やはり、なんだかなぁ〜、という感じもします。
 ついでに思い出したのですが、梶井基次郎の代表作「檸檬」に、丸善に行き爆弾に見立てた檸檬を乱雑に積まれ本の上に置く、という場面があります。若い時にはこれに感化され、いつかそんなことをやってみたいと思っていたのですが、今となっては、やっぱりこれは迷惑行為だよなぁ程度にしか思えず、歳はとりたくないというか、歳をとるとこうも変わるものかと。

■ 熱ショックタンパク質の話
 入試出題文の作者である永田和宏さんは、細胞生物学を専門とされている方(元日本細胞生物学会会長)です。京都大学卒業後、民間研究所を経てアメリカ国立がん研究所客員助教授となり、コラーゲン生成に特異的な機能を持つ熱ショックタンパク"HSP47"を発見しました。帰国後、京都大学胸部疾患研究所(現在の医生物学研究所)教授となり、小胞体における変性タンパク質の品質管理機構に関する新規遺伝子を次々と発見したとのことです。京大を定年前に退任し京都産業大学で務め、現在、JT生命誌研究館館長とのこと。著書としては専門書の他、一般向けの著書として「タンパク質の一生」(岩波新書) 、「生命の内と外」(新潮新書)などがあります。歌人との二足の草鞋というか、本職がこちらの方ですが、 歌人としても宮中歌会始詠進歌選者であり紫綬褒章を受章されています。
 実は著書「タンパク質の一生」出版の5年後、同じ岩波新書で「近代秀歌」という著書を、続けてその翌年には「現代秀歌」を出しています。それぞれ百首づつを選歌し解説している本です。岩波新書で理系と文系の本を一人の著者が書いた例はないと担当編集者から水を向けられた、と新書のあとがきにはありました。それもさることながら、「タンパク質」も「秀歌」も同じ編集者が担当したとのことで、これもまた驚きではあります。
 いずれにせよ、私ごときが物を申すなどということは恐れ多いことではありますが、せっかくですのでここでタンパク質の基本的なお話でも。
 実は学生時代に微生物による水処理を扱う研究室にいたことがあります。処理の対象となる主な物質が脂質、糖質、タンパク質で、最終的には水とガスに分解するというものです。微生物はそれぞれの物質を分解してエネルギーを得ていくのですが、その分解は酵素でなされます。
 とある試験で「酵素とはどのようなものか説明しなさい」というど真ん中の直球のような問題がありました。これが意外に解答できないもので、まさか酵素とは、汚れを落ちやすくするとか、消化を助けるとか、お肌が若返るとか言う説明では、やはりだめでありまして。回答のポイントとしては、@化学反応を促進する触媒であること、Aタンパク質の一種であること、という2つの記述があれば、まずは正解です。さらにその性質として、@特定の反応しか触媒しないこと(特異性)、A温度、pH、基質濃度などによって反応速度が異なること、B加熱やpHによって変性して活性を失うこと、まで書ければ満点です。
 ここで注目すべきは加熱やpHによって変性することでして、タンパク質は単なる化学式で決定されるものではなく、その立体構造(コンフォーメーション)で性質が異なります。その構造はアミノ基の配列、水素結合、親水性や疎水性の極性により、折りたたみ(フォールディング)がおき構造が定まります。ただちょっとした環境の変化、それは加熱やpHあるいは光でも、その構造はすぐにほぐれたり変形したりもします。そのようなことでタンパク質の変性や凝集がおきます。ちなみに変性とは折りたたまれた状態から折りたたまれていない状態に移行することであり、凝集とは立体構造を失いそれが会合して大きな塊になることです。
 さて、フォールディングが正常になされるようにするシャペロンというタンパク質があり、これはタンパク質の性質管理(複合体形成、輸送、リフォールデング、脱凝集)も担っています。つまりシャペロンとは、タンパク質をあるべき形に整え、ものによっては変形したものを戻す役割をもつものです。ちなみにシャペロンとはもともと西洋の貴族社会において、若い女性が社交界にデビューする際に付き添う年上の女性のことで、タンパク質の正常なデビューになぞらえたものです。
 多くのシャペロンは熱ショックタンパク質(ヒートショックプロテイン、HSP)であり、細胞が熱や化学物質などのストレスを受けたときに発現量が増加します。細胞の損傷を防ぎ、タンパク質の凝集やミスフォールディングを抑制する働きがあります。
 永田先生の発見した分子量47の熱ショックタンパク質「HSP47」は、コラーゲンの生成に特異的な機能を持つ、つまりコラーゲン専門のシャペロンで、コラーゲン合成にもかかわるとのことです。しかもHSP47の発現が多いとコラーゲンも多くなるということで、つまり熱にさらされるとHSP47が発現しコラーゲンが増えるということになります。
 ということは、熱めの温泉などに入ればコラーゲンが増えるということかもしれず、例えば蔵王温泉などは温度も酸性度もかなり高めなので、これに浸かれば、強酸性泉質の美肌効果に加え、高温によるコラーゲンの増加でお肌プルプルということに。一方、コラーゲンは保湿効果が高いので、皮膚に塗布するとその効果はありますが、そのままでは皮下に吸収・利用されるとは考えにくいらしいです。また、コラーゲンは分子量が大きいので、それを食べてもアミノ酸やペプチドに分解されるため、再びコラーゲンの合成に利用されるかも含め吸収・効果は分からないそうです。それでも牛スジとか豚足とか軟骨とかいう酒飲みのお供で内臓壁もプルプルに、というかブルブルになるような気もします。コラーゲンは人体のタンパク質重量の三分の一を占めているそうです。
 実は、コラーゲンが異常に蓄積するとそれが繊維化し、肝硬変や腎繊維症,肺の繊維化,動脈硬化などの疾患を引き起こすこともあるそうです。つまりコラーゲンがあり過ぎるのも問題で、実は「HSP47」発現の調整が研究課題となっているそうです。やはり、過ぎたるは及ばざるがごとし、ということで。

■ タンパク質の分解の話
 ここまできたらもう一つ。ここから先は本当にマニアの方だけで結構なのですが。タンパク質というのはアミノ酸が結合したものです。アミノ酸はアミノ基(−NH2)とカルボキシ基(−COOH)をもった化合物で、窒素(N)、水素(H)、酸素(O)、炭素(C)、硫黄(S)のわずか5種類の原子でつくられます。アミノ酸が鎖のようにつながり、折りたたまれた構造となっているのがタンパク質です。硫黄は折りたたみを繋ぎとめるジスルフィド結合(S-S結合)に必要な元素です。その他先述した、疎水性作用や水素結合、静電的作用などによりタンパク質が形成されます。
 水素と酸素と炭素だけ、つまり脂質や糖質だけであれば、アルコールや有機酸、メタンガスなどになり、最終的には水と二酸化炭素になるのですが、タンパク質には窒素や硫黄が含まれており、これがちょっと厄介なのです。
 窒素成分は有毒ガスでもあるアンモニアになり、硫黄成分は硫化水素つまり温泉地などで中毒事故などの原因となるあのガスになります。さらに硫化水素は硫黄酸化菌により硫酸となります。先日事件となりました下水管の陥没は、この硫酸による下水管の腐食が原因ではとの指摘がありました。
 また、中国ではマンホールに火をつけた爆竹を投げ込み、そこに充満しているメタンガスを爆発させる、という危険な遊びが流行っていますが、爆発すると重いマンホール蓋が数メートルも吹っ飛び、つながっている下水管では同時に何か所ものマンホール蓋が吹っ飛ばされていて、仕掛けた本人に飛んでくることもままあるようです。そう言えば近々、最上義光の騎馬像をデザインしたマンホール蓋のカードを当館で扱うこととなりました。4月末頃開始の予定ですが、詳しくは山形市水道部のHPでご確認ください。なお、そのマンホールには決して爆竹などを突っ込まないようお願い申し上げます。
 さて、自然界でのタンパク質の分解は、酸、メタン、硝酸、硫酸などをそれぞれ生成する菌がいて、それらによりなされます。最終的には、窒素成分は窒素ガスになりますが、硫黄成分は硫黄結晶とはならず、通常は硫酸か硫化水素ガスとなります。 
 硫化水素ガスは、自然界では地下のマグマに含まれる硫化水素が噴気孔から放出されていたり、地中の硫酸還元菌が硫酸を還元することで発生したりするのですが、高校の化学実験では硫化鉄(U)と希硫酸を反応させて発生させます。しかし、もっと手近な原料で硫化水素ガスを発生させることができます。
 先に述べた学生時代の研究室でのことなのですが、そこで、生し尿つまり汲み取り式の便所からそのまま持ってきたものを煮る、という実験をしたことがあります。それは試験管やビーカーというレベルではなく、大きな寸胴を用いて灯油用ポリタンク1個分を沸騰させるというものです。きっかけは、ともに研究していた韓国からの大学院生による「これ(生し尿)を煮たら分解が早くなるかもしれない」という興味半分としか思えないような仮説のもと行われた実験です。当然のように屋外でやることとなり、そんな実験につきあってくれる人もないまま彼と私の二人でそれを煮たわけですが、その時発生したのが大量の硫化水素ガスです。匂いに気づいた人は皆その場を離れ、屋外とはいえこれはやはりヤバいということで、ほどほどで加熱を止めました。結局、煮沸してもそれほど分解の差異は見られず、後始末だけが大変だったわけですが、しばらくカレーは食えなかったことを覚えています。
 しかし、慣れというのは恐ろしいもので、そんな実験に使ったビーカーでお茶を飲んだり、それらの飛沫の跡がついた白衣のまま食堂で飯を食ったりしていて、さすがに事情を知っている同じ研究室の人からは警戒されてはいましたが。もちろん都度都度、消毒はしていました。まずはとにかく実験室で普段使うような、服に穴が空いたり、めまいを起こしたりする劇薬と違い、人の身体から日常的に出てくるものなので、恐れることはないというか。よく言うじゃないですか、大病を患ったり歳をとったりして何もできなくなると、「俺はただの糞尿製造機になっちまったなぁ。」と。でも、糞尿を製造しているうちはまだ大丈夫なんです。
 当館学芸員の話によると、韓国には「トンスル」という人糞を生薬として酒に混ぜた薬用酒があるそうです。食中毒や打身骨折に効くといい、民間療法なのでその作り方は地方によって差があるとのことですが、これ以上の話はやはりマニアの方だけで結構かとは思います。ちなみに人糞を乾燥させ粉末にしたものを「ヤインゴン」、それを煎じたものを「ヤインゴンス」と呼んで、熱病で発狂したときに飲むべしとされたそうです。

2022.03.29:最上義光歴史館

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