最上義光歴史館 - 山形県山形市
▼館長裏日誌 令和6年6月15日付け
■カリヨンの選曲の話
当地にあるカリヨンは昭和62年 (1987年)に設置されたもので、演奏はコンピュータ制御(今となってはレトロな語句ですが)によるものです。
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鳴動時間 @10時 A12時 B13時 C15時 D18時
〈春季〉3月1日〜5月31日
@ロザムンデ間奏曲(シューベルト)、A春が来た(岡野貞一)、B春(ビバルディ)、
Cピアノソナタ第11番(モーツアルト)、D早春賦(中田章)
〈夏季〉6月1日〜8月31日
@野ばら(シューベルト)、A茶摘み(文部省唱歌)、B夏は来ぬ(小山作之助)、
C交響曲第6番(ベートーベン)、D浜千鳥(弘田龍太郎)
〈秋季〉9月1日〜11月30日
@ふるさと(岡野貞一)、A展覧会の絵(ムソグルスキー)、
B小さい秋見つけた(中田喜直)、C里の秋(貝沼実)、D夕焼け小焼け(草川信)
〈冬季〉12月1日〜2月末日
@グリーン・スリーブス(イギリス民謡)、A楽興の時(シューベルト)、
B主よ人の望みの喜びよ(バッハ)、C子守唄(シューベルト)、D冬の星座(ヘイズ)
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「展覧会の絵」からは第5曲「卵の殻をつけたひよこの踊り」とか、「四季」からは夏の第3楽章とか、ちょっとしたひねりがあってもよさそうなものですが、カリヨンでこれをやられると、やはり忙しいというかうるさくってたまらないわけで、節度というかその辺もあっての選曲なのでしょう。
■ホロヴィッツの話
ベートーヴェンのピアノソナタは32番までありますが、そのピアノソナタ全集のCDがいつの間にか手元にも何セットか溜まっていて、全てを丁寧に聴いているわけでもないのですが、仲道さんの他、ゼルキンさんとかポリーニさん、グルダさん、ブレンデルさん、最近はイゴール・レヴィットさんという人のものを入手しました。今は安価で入手できる全集も多く、中古品などは3千円程度で買えるものもあります。
この全曲演奏ということについては、かつてあのホロヴィッツさんが来日したときに、インタビューで次のように答えていました。(以下、「音楽の友 1986年8月号」〜ひとりの作曲家のピアノソナタ全集をレコーディングしない理由〜を引用)
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〇インタビュアー:さまざまなピアニストが、たとえばベートーヴェンのピアノソナタ全集とか、モーツァルトのピアノソナタ全集といったかたちでレコーディングしますが、ホロヴィッツさんには、そのような、いわゆる「全集」がありません。これといったお考えがあってのことでしょうか?
●ホロヴィッツ:そのような「全集」を録音することに対しては、とても反対です。というのは、いかに素晴らしい作曲家が作曲したとはいえ、なかにはそれほどよくない作品もあるからです。わたしは、やはり、いい作品だけを弾きたいと思います。わたしの家内の父(ホロヴィッツ夫人は、往年の名指揮者アルトゥーロ・トスカニーニのお嬢さんである)の名文句ですが、いくら天才といったって、24 時間、ずっと天才でいられるというわけではない、という言葉があります。ベートーヴェンを例にとっておはなしすれば、初期のソナタは気にいっています。しかし、晩年の、耳が聞こえなくなってからのベートーヴェンのソナタは、それほど気にいっていません。それに、こういうこともいえます。ベートー ヴェンは、32 曲のソナタを作曲するのに、ほぼ 30 年もかけました。ベートーヴェンが 30 年もかけて作曲したものを、ピアニストが、わずか 2 週間ほどで録音してしまうというのは、もともと無理だと思いますね(笑)。
〇インタビュアー:おっしゃることはとてもよくわかるのですが、ききての側から申しますと、いろいろな作品をホロヴィッツさんの演奏できいてみたい、という気持があります。
●ホロヴィッツ: それにしても、ベートーヴェンのソナタの 32 曲すべて、というのは無理ですね。ただ、モーツァルトのソナタは、どれも好きですから、「全集」の録音も考えられなくはありませんが、そんなことは 必要ないとも思います。ある、モーツァルトをとても得意にしている、したがってモーツァルトのソナタの「全集」を録音しているピアニストの演奏を、ある時、コンサートで聴きました。素晴らしい演奏だったので、後で、その人の「全集」のレコードを聴いてみました。そうしたら、なかには、これはと思うような演奏もありました。だからといって、そのピアニストがいいとか悪いとかいうことではなくて、やはり全部をひとりでこなすことに無理があったんです。
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ということで、それはそのとおりとも思いますが、リスナーとしては、曲の良し悪しや演奏のアタリハズレを云々するという楽しみ方もあるので。また、後期のソナタ、特に30番から32番というのは人気があり、先日亡くなったポリーニさんの2012年来日時の最終日プログラムがこの3曲でした。この来日ではなんと第21番から32番までを日替わりで4回にわけ演奏しました。しかしながら、全曲録音には39年の歳月を費やしています。
仲道郁代さんの場合、ソナタ全集のCDがベートーヴェン生誕250年記念特別企画として出されています。また、2027年が仲道さんの演奏活動40周年とベートーヴェンの没後200年とが重なる年ということで、2018年から全20回シリーズでリサイタルに挑んでいるそうです。なんかポリーニさんより戦略的です。
個人的にはグールドさんが弾いた第30番がとても好きです。ショパンのピアノソナタのような感じで、曲自体もショパンのソナタ第2番「葬送」の最終楽章よりはずっとショパンぽいです。それにしてもその楽章はなんともつかみどころがなく、ショパン自身は「行進曲のあと左手が右手とユニゾンでおしゃべりをするのだ。」と書き残しているそうですが、サティやケージがやりそうなことをすでにショパンがやってた感じです。
■神童の話
ベートーヴェンの話のついでにモーツァルトの話も少々。
有名人には何かしらの呼称がつけられることがあります。ベートーヴェンは「楽聖」、バッハは「音楽の父」、ヘンデルは「音楽の母」。ということで、父がいて母もいるということは、タロウもいることになりますが、音楽のタロウというと、タキレンタロウかピコタロウぐらいしか思い浮かばず、かわりに「神童」というのがおりまして。そうです、モーツァルトです。ということで、彼が神童といわれる逸話をひとつ。
ローマのシスティーナ礼拝堂の「暗闇の朝課」という特別な礼拝では、アレグリ作曲の「ミゼレーレ」という曲が用いられます。この作品は、霊性を保つ目的で採譜を禁じられ、この特別な礼拝でのみ演奏されることを許されていました。システィーナ礼拝堂以外の場所で記譜または演奏する行為は、破門によって処罰されました。
モーツァルトは幼い時から音楽の才能があり、父はそれをもって欧州各国をまわり商売にしていました。当時14歳であった彼がローマを訪れていた際、この楽曲を水曜礼拝で初めて耳にしました。その記憶を頼りに採譜し、金曜日に再び礼拝堂へ赴き曲を聞いて修正し、完コピしたそうです。9声で構成され、4声と5声の二重合唱の曲ですが、9声部を聞き分け譜面におこすという、やはり「神童」です。
アレグリ作曲の「ミゼレーレ」は大変美しい曲で、今は門外不出でもなく、まして、モーツァルトのような神童による採譜も必要なく、ネットでお手軽に聴くことができます。
■山寺の焼き打ちの新説の話
ここで突然ですが、前回、鬼門特集の日誌をアップした翌日に、当館ボランティアの方から、山寺が焼き討ちに合い不滅の法灯が消滅したのは大永元年(1521)ではなく大永4年(1524)であると、最近の郷土史研修会で聴いた、という話がありました。
世間一般には大永元年(1521)であると知られていて、先出の当館「歴史館だより10」に寄稿いただいた伊藤清郎(山形大学教育学部教授・文学博士)の論説にも、天童市成生地区地域づくり委員会の天童頼直公の資料にも「1521年 天童頼長、成生十郎伊達郡に協力した山寺立石寺を攻め一山を焼き打ちする。」とあります。しかし先の研修会では、「干戈(かんか)」すなわち戦(いくさ)の記録があるのは大永4年(1524)であり、また伊達氏に加担したことが理由ではなく、周辺の領地争いによるもので、「大永の兵乱」と称するとの説明がなされたとのことです。
ネット情報のコピペばかりで物を書いている私としては、一次資料として何を求めればいいのかなどわかるわけもないのですが、郷土史においても、というか、郷土史こそ年々新たな発見がなされるのだなぁと、畏敬の念をもって傍観するばかりです。
2021.06.15:最上義光歴史館
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