最上義光歴史館 - 山形県山形市
▼最上家浪人作のベストセラー
◆◇◆最上家浪人作のベストセラー◆◇◆
「へ」と申す物ハ、音ありて、手にもとられず、目にもみえず、色にもそまず、火にもやけず、水にもぬれず、きってもきられず、かくてハ、元来なき物かと思えば、腹中のときにより、いくつもある物にて候(そうろう)
初手から、屁(へ)の話とはいささか唐突で胡散(うさん)臭い。でも、これはさる人が、高僧との問答の結末に得心して出たことばなのだ。話しのいきさつはこうである。
この男、仏に具わる三つの徳を知りたいと高僧を訪う。そこで先ず、「金剛(こんごう)の正体というものを考え出してみよ」とその僧にいわれる。とりあえず彼は「藁(わら)」と答える。金剛というはき物(金剛草履)が藁でできているから、というわけだ。高僧はかすかな笑みを浮かべ、それを打ち消す。そして、上記の文脈のように「金剛の正体というハ、音ありて(中略)なき物かと思えば、元来、その時にしたがって、あるもの也」と教える。
男は「難しい問答だなあ・・」と思いながら、ひとまず高僧のもとを辞す。ところが、山門近くまで来て突然、男の脳裏に何かがひらめいた。そして、高僧の所へ急ぎ立ち返り、「ただいま教わった金剛の正体は、へであるに違いない」という。高僧は片腹痛く、可笑しさをこらえ、「その心は」と問う。そこで出た答えが、冒頭の一節である。
「へ〜っ」と、ついダジャレを飛ばしたくなるところだが、彼は落語に出てくる与太郎ではない。本文の作者の意図は、実はちぐはぐで分かりにくい禅問答を揶揄(やゆ)しているのだ。
これが最上家浪人のものした、『可笑記(かしょうき)』なる仮名草子の巻第四(11段)所載の一文である。ことほど左様に、全五巻の長短280段にわたる内容は、当世批判や風刺、それに教訓に満ちていて実に面白い。とりわけ、無能な主君や家老出頭人への痛烈で執拗な批判は、およそ120数段にも及んでいる。これら多くの部分に、現代のダメな組織体にも通じるものを見て取れる。
本書の著者は如儡子(にょらいし)、本名斎藤親盛(ちかもり)。慶長8年(1603)頃に酒田に生まれたという。彼は最上家親に側近く仕え、元服時には主君から一字拝領している。だが、元和8年(1623)に重臣たちの愚かな政争によって最上家が改易、不遇な浪人生活を余儀なくされる。上述のような批判は、作者自身のやり切れない憤りが心底にあっての表現と見られる。
各段のほとんどが「むかし去る人の云へるは」、またはこれに類する書き出しである。一見作者の意見でないように韜晦(とうかい)しているのが特徴。だが、和漢の故事を引用し、それらをよく自己のものとして文中に生かしている。また、儒仏論・仏法論・経世論、それに小咄・雑話・笑話の類も多く、作者の博学ぶりと筆力のほどをうかがわせる。
本書は寛永19年(1641)刊行されるや、たちまち評判になり、万治2年(1659)には絵入の本も出版された。また、浅井了意『可笑記評判』や井原西鶴『新可笑記』など、後続の作品に大きな影響を与えた。活字本としては、『仮名草子集成』第十四巻(1993年、東京堂出版)に所収されている。
■執筆:渋谷武士(二代長谷勘三郎改メ)「歴史館だより13/研究余滴6」より
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「笑可記 巻第五」最上義光歴史館蔵
2006.09.06:最上義光歴史館
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