最上義光歴史館 - 山形県山形市
▼最上義光連歌の世界C 名子喜久雄
最上義光連歌の世界C
83 あつさをも知らぬ垣べの岩ね水 了意
84 千尋の竹のなびくいく本 義光
85 末もはたさかえもて行くうぢならん 光清
文禄二年(一五九三)二月十三日
賦何人連歌 名残の表
文禄二年は、義光にとって、肥前名護屋に在陣中であることなど、俗事に煩わされる年であったと思われる。その中で忙中閑を得て、この連歌が張行されたか。この作品の完成までには、まだ不明な所がある。明治書院刊「連歌総目録」(平成十年)によれば、内閣文庫等に三本の存在が知られている。それらは義光の発句のみが記載されている。完本は、山形市史所収の本文のみであるが、これは、「連歌総目録」にもれている。
発句のみが何らかの事情で先に詠まれ、その後に改めて、義光や人々が付けたのであろうか。
さて、義光の本文は、「伊勢物語」に依拠したものである。それを理解するために前句(83)を検討したい。
83のキーワードは、「岩ね水」か。おそらく
古今・賀 貞康のみこのをばの四十賀を大井にてしける日よめる 紀惟岳
750 亀の尾の山のいはねをとめておつる たきの白玉千代の数かも
すなわち、83の句は単に、夏の暑さを忘れさせる水辺の夏の風情を詠んだ訳ではなく、その背景にある古今集の本歌の祝賀性をも感じとるべきなのである。一種の「家ぼめ」である。
義光の付句は凝ったものになっている。前句の暑さから、以下の「和漢朗詠集」の句を脳裏に浮かべる。
和漢朗詠集 松 源順
424 九夏三伏の暑月に 竹錯午の風を含む
暑い夏に風に吹かれる多くの竹を詠んでいる。
このようにして、暑さに竹が連想される。それを「千壽の竹」としたのは、どのような理由があったのであろうか。ここで「伊勢物語」七十九段の理解が必要となる。
「伊勢物語」七十九段
むかし、氏のなかに親王生まれたまへり。御産屋に、人々歌よみけり。御祖父がたなりける翁のよめる
わが門に千ひろあるかげをうゑつれば 夏冬たれかかくれざるべき
これは貞数の親王、時の人中将の子となむ言ひける。兄の中納言行平のむすめの腹なりけり。
七十九段の和歌は「……かげ」であり、現在通行の本文はいずれもそうである。しかしながら「肖聞抄」などの古注には、
『千ひろある陰』とは仙家の竹なり。寿命を祈る心也
とあって、中世人にとってこの植物は、「仙家の竹」なのである。
つまり、単なる夏の涼しげな情景ではなくその家の将来を予祝している句となっている。これは、義光が、前句の背景の古今集歌を発想出来たこと、その賀意を継承し発展させたことを示している。
85の句も、義光が「伊勢物語」に立脚したことを感得している。親王を中心として、一族(「うぢ」)の発展栄華を願った句、賀意があふれた句になっている。義光も、84句に一族の発展の心をこめているのであろうか。
■執筆:名子喜久雄(山形大学名誉教授)「歴史館だより27」より
2021.02.09:最上義光歴史館
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