最上義光歴史館 - 山形県山形市

▼ちょっと立ち止まって

◆◇◆ちょっと立ち止まって◆◇◆
  
 地域史研究の一環として、最上義光の周辺を探ってきたつもりだが、ふと、こんなことを考えるときがある。
 研究を進めるにはより多くの史料を捜して、史料批判を経て客観冷静に考察し、わかりやすい文章にすることが大事だろう。だが、ふるさと山形の歴史となると面倒な事態がかずかず出てくる。
 一つは史料不足。山形は特にひどい。まず、中世以前の文書の不足。村山地域では例の大きな石鳥居、いったい何物か。鳥居は何もしゃべらない。最上義光についてなら「言語で表現された史料」はたくさんあるが、これらは、書き手の主観による誤謬とか意図的な虚構が入りこんでいる可能性大で、「真実」を引き出すには慎重さが求められる。
 二つめは研究する者の心情的な問題がある。たとえば山形を「ふるさと」とする人間か否かというようなことが微妙に影響するのである。この土地に生まれ、育ち、幾世代にわたって祖先が築き上げた現実の山形。この地に自分は密着して生きている。こういう感覚や観念が愛郷心となり、時に逆に作用して嫌悪の情となったりもする。
 研究作業に当たっては、研究者相互の協力や競争意識もあろうし、先輩後輩のしがらみもあるだろう。封建時代の大名家が厳然と存在し、所蔵する史料を利用させてもらうような立場になると、ことは冷静客観とばかりはいかないこともありそうだ。
 視野の広狭も問題となる。
 以前、山形近辺で掘り出された「開元通宝」を、「八世紀の渡来品」と決めつけて疑わなかった例がある。『須川温泉神』は、現在の『蔵王温泉の神』と見てよいのか、秋田側の意見も聞かねばならないだろう。重要な古文書を無視して、想像を自在に繰り広げている研究もある。かと思えば、江戸時代の好事家が、思い付きで執筆した物語類を重要史料のごとく扱っている例もある。
 だが……と、考える。これらを一概に非とするわけにもいかないのじゃないか。そもそも、人間はまちがいを犯しやすいもので、これは逃れえぬ宿命だ。だが、幸いにこれを免れる方法がないわけでもない。そしてこれが大切なのだが、自分の研究を公表し他者の目で見てもらい、不足を補ってもらうことである。それによって誤りや不備を修正することができるのだ。論文類を読む、発表を聴く。相互に意見を交流しあって、より確かな歴史を構築していきたいものだ。

■執筆:長谷勘三郎「歴史館だより24/研究余滴[番外]」より
2020.04.17:最上義光歴史館

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