米田ノート
▼第十八話「心の整理を考える時」
今年のGWは、本当によい天候に恵まれました。そのGWの一週間前、四月末の土曜日に姪の結婚式があり、広島県福山市のチャペルに夫婦で行ってきました。
出発する時は西公園の桜がこれから満開かなと思える頃でしたので「帰って来た時には葉桜になっているだろうな。」と思って仙台の街を後にしたのですが、五日後帰仙した時も利府の桜はまだ七・八部咲きの状態です。そう言えば四月末の数日、岡山も広島もずいぶん寒かった。
福島県三春町。滝桜で有名な三春町は『梅・桜・桃』の花が一度に咲き、三つの春が一度に来るさまから『三春』の名になったそうですが、今年の仙台市周辺は、梨の花や、林檎の花、色々の花が一気に咲きそうな五春・六春の様相でした。
仕事でGWも石巻・涌谷・豊里と走りましたが、桜が見ごろになっている所が多く「こんなに長く桜を見られる年も珍しい。」と思いつつ、人とは贅沢と言うか我が儘と言うか、あまりにも『花』が長く枝に付いているとなんだか飽きてきている自分を、私自身否定出来ません。
「やはり桜はさっと咲いて、ぱっと散るほうが桜らしいのかな。」とも思ってしまいます。
そんな中、昨年お墓を建てさせて頂いた友人から「お休み期間中は、ずっと家中の荷物の整理をしていました。」とのメールが入ってきました。
そう言えば、昨年の初夏にお母さんが亡くなった時、お墓を建てるのと一緒に始めた『遺品の整理』
それを見ていたお父さんが「あれは駄目、これは捨てるな。」と言って、何も出来なかったとは聞いてはいたのですが・・
このところ、体調を崩されることが時々あったようで、お父さんの方から「家の中の整理をしようか。」と言い始めたようです。
整理を始めてしばらくすると「なんとなく体の調子が良いと言うか、気分が良くなって来た様な。」と言うのです。言葉を変えれば、家中にただ置いてあった不用品を片付けたことで『気』の流れが良くなった様に思えるとの事なのです。
桜に例えるのもおかしな話ですが、華やかなものを綺麗に振り払って、次に備える。桜樹も大きくなりすぎると、枝のいろんな所に病気が出てきます。そのまま放って置くと死んでしまいます。ですから、そうした不要の物を取り除きながら、良い方向に向かう。
日本中で咲き、多くの人に愛でられる「ソメイヨシノ」と言う園芸種の桜は、六十年の寿命と言われていました。しかし、最近はきちんと手入れをすればもっと長く人々に花を見せることが出来る事が判ったそうです。その様に、桜の樹は人の手によって良い方向に向かわせる事が出来ますが、『人』は自分自身で気づいて、自分自身を変化させなければなりません。先ほどの『友人のお父さん』も自分が変わることで、家中の『気』の流れを変えることが出来たのかもしれません。
今年は春の訪れが遅く、暖かい日と寒い日が繰り返し来ます。季節の変わり目に体調を崩すという事は良く有ります。そういう時は自然が、我々に『注意をしろよ。』と言ってくれているのです。ですから、こう言う時こそ『まわりを変えよう。』では無く、まず『自分が変わる様にする』と、すべてが上手く行くのかも知れません。
話を少しかえて、以前から感じていた事をお話します。色々な墓地に仕事で行きますが、せっかく立派な墓石なのに、ひどく汚れていたり、傾いていたりするお墓が有ります。まあ、どの様になっていても、お墓の機能に問題は無いでしょうが、少し手を入れることで気分がすっきりすることも有ります。
最近はお墓のリフォームや、一部手を入れて綺麗にする仕事が多く有り、打ち合わせをし、お客様のイメージのとおりにお墓が仕上がったときには、必ず皆さん「やってよかった、気分がすっきりした。」と言われます。
これも『気』の流れを良くした事の、結果なのかもしれません。
2010.05.15:yoneda
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