米田ノート
▼第四十一話「復興を考えるお話、其の四」
新緑の蒼さが目に眩しく視える季節になってきました。巡って来る時間が、昨年より二週間近く遅いようで、今年はゴールデンウィーク前半まで、綺麗な桜花を楽しむことが出来ました。
その黄金週間開けの月曜日、私は所用で茨城県つくば市へ出向きました。仕事の関係で、前日の日曜日から東京に宿泊していた私は、月曜日の朝のテレビのニュースを見てびっくりしました。日本では珍しい大きさ(強さ)の『竜巻』がつくば市周辺に突然現れ、街並みを薙ぎ倒していったと言うのです。
テレビの映像で観る、破壊された家々は、視聴者を唖然とさせる姿になっています。私は、テレビのリモコンのボタンを次々に押し、チャンネルを変えました。結果は、どの放送局からも、同様の状況が画面に出て来ます。「酷い事に為っている。」と思いながらも、現地はもっと悲惨だろうと思いました。テレビ映像と言うのは、観る者に全てを写し現しているようですが、知らぬ内に現地を綺麗に映し出す魔法の様な所があります。現地の生の様子は、テレビの画面を通しては、有りの侭には伝わって来ないのです。
そんなテレビで見た印象を心に残した私が、夕刻近くにつくば市に入ったところ、大変な災害が有ったような気配が、そこからは感じられないのです。街には、普段通りの生活があるだけです。朝からあの映像を視させられた者からすると、少し拍子抜けの様に感じました。しかしそれは、広範囲に渡った震災とは違う、局地的な災害が持つ現象のようでした。
その日宿泊するホテルのホールで、つくば市倫理法人会主催の「経営者の集い」と言う集まりがあり、私は三十数人の会員を前に『お墓参り』のお話を、一時間ばかりさせて頂きました。その後食事をしながら『お墓参り』に関する事などで質問を受け、それに応えたりする時間の中で偶然にも、目の前数メートル先を『竜巻』が通り過ぎて行った会員の方の、体験談を聞くことができたのです。それは経験した方だけが発する事の出来る、本当に生々しいお話でした。そして、その方のお話の中からも『局地災害』である事が伺えました。
そうした話を聴きながら私は、激甚災害に近いこの災害にも、政府からのそれなりの支援・援助があるものだろうと思いました。また保険に関しても同様の保証があるものだろうと思っていましたが、後日専門の方にお話を聞いたところ「東日本大震災の保証に比べると、さて、どうかな?」と言われるのです。広範囲に被害が出た『震災・津波災害』とは違い、被害の出方が解りやすい『風災』に関しては、契約条項などに色々な制約があるようで、一概に「万全の保証」とは行かないようなのです。過剰すぎる援助で『働かない被災者』『義援金で最初に復興したのは、遊戯施設』等と揶揄される一部地域の有る震災地域と、つくば市北条地区では、対応がまるで違うのかもしれません。
そう『支援・援助』と言えば、今年春先の新聞に「寺社再建 お金がない」と題した新聞記事が出ていました。どう言う事かというと、憲法が定める『政教分離の原則』によって、寺や神社などは、公的な支援を受けることが出来無いとの事なのです。個人の被害に対しては、政府からの公的資金で、それなりの保証・支援をして頂けますが、お寺や神社は、その対象外と言う事なのです。
本堂・社殿・庫裡や社務所を含む境内地に、墓地・駐車場などを考えると、広大な敷地に大きな施設を持つお寺や神社、復興の為にはかなりの費用がかかると思われます。それが
もし、津波被害の甚大だった沿岸部から、内陸部へ移転となると、とんでもない費用になるでしょう。
いや、それは当然でしょうと思われるかも知れませんが、その昔はお寺や神社は檀家・氏子の持ち物で有って、住職や神官の個人的な所有物では無かったはずです。税法上の問題で、現在は宗教法人の持ち物とされていますが、以前は地域住民の共同の持ち物だったと思われます。
それと、もっと大切な事として、地域が復興して行く為には、そこに住む人々と共に、農地・漁場・事務所・工場・商店街などの働く場所、学校などの教育現場と、それらをまとめる行政機関が必要で有ると共に、地域の文化・伝統行事を司った寺社が必要なのです。
初詣・お祭り、そしてお墓参り。それらの行事・行為が、地域の『絆』を強めていたのです。そうした事を抜きにしては、地域の復興は望めないと、私は思います。
さて、みなさんは、どの様にお考えになりますか?
2012.05.15:yoneda
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