ぶっくぶくの部屋

ぶっくぶくの部屋
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数年前から「果実酒」に少し興味を持ち始めて…。
昨年は、梅・ナツメ・花梨・杏などを仕込んで
一人悦に入ってたりして。
仕込んだはいいけど、ほとんど飲んでない。
というか、その存在さえ忘れてしまっている自分に
今更ながら気がつく始末。
気がつかせてくれたのは、今週某日某飲み屋にて
お隣の方と雑談に興じていた時のこと。
話が果実酒や茸酒に及んだらガゼン盛り上がって、
お隣の方、ナント、奥さんに○○酒と○○酒を自宅から
持ってこさせる挙にでた。
ゆうに2リットル以上はある容器がデーンとカウンター
に置かれ、その迫力に思わず「参りました!」。
熱燗で相当いい気分になってたところへ、飲み口の良い
○○酒ときたもんだから、帰宅した頃には酩酊一歩前。
酔眼をこすると、チマチマしたオレの不肖の「作品」たちが
ホコリの中からうらめしげにニラんでいる。
「オマエに果実酒を楽しむ心のゆとりなんかあるのか?」と
言わんばかりに。
ひえぇ〜。
こりゃあ、マイブーム返上だわ。

File No.189
『歴史街道 2010年12月号』(PHP研究所 630円)
オススメ度★★☆☆☆

この月刊誌、興味ある特集が組んであったりするとたまに買う。
今号の第1特集は「龍馬暗殺」。
NHK大河ドラマ「龍馬伝」もいよいよクライマックスへ。
ここ数回、茶の間のスミに身を縮め、息を潜めながら見させて
いただいているが、周りが「武力討幕」へと流れる中、
孤立し、命を狙われる立場に追い込まれる龍馬の姿が
よく描き出されている、と思った。
龍馬が京都の近江屋(醤油商)で凶刃にたおれたのは、今から
143年前、1867年11月15日(旧暦)のこと。
奇しくも、この日は龍馬の33歳の誕生日。
旧暦と新暦の違いはあるが、来週月曜日が龍馬の命日(=誕生日)
ということになる。
暗殺者は京都見廻組説が最も有力とされているが、確たる
裏付けがないままに、幕末最大級のナゾのまま今に至っている。
この本では、歴史作家や研究家などが、巷間伝えられている
諸説の真偽や背景などを検証・推理しながら、真犯人解明への
アプローチを試みている。
諸説の中には中岡慎太郎説というのもあって、ちょっと
おどろいた。
中岡慎太郎はご存知のとおり、龍馬とともに惨殺された一人。
確かに、中岡は強硬な武力討幕派で、非暴力の公議政体派の
龍馬とは対立もあったようだ。
でも、執筆者の一人も書いているように、龍馬と中岡が
互いに斬り合って、(時間差はあれど)双方が死んだなんて、
ちょっとムリがあるような気がする。
菊屋の息子・峰吉も相当クサい。
峰吉がたまたま夕食用の軍鶏(シャモ)を買いに出た20〜
30分の間に凶行が起きたのだから、余りにもタイミング
が良すぎるというもの。
何よりも心を薄ら寒くさせるのは、黒幕説。
武力討幕を推し進める薩摩藩にとって龍馬の存在が邪魔に
なったとか、後藤象二郎(土佐藩参政)が手柄を独り占めに
したくなったとか、という説もまことしやかに思えて
きてしまう。
いずれにしても、時間がたちすぎてしまった。
ナゾがナゾを呼んで、闇は深まるばかり。
何だか、闇を深めてしまうのは、後世の人(オレたちも含めて)
の心でもあるように思うのだが…。

蛇足ながら…。
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』では、最後の暗殺シーンを余り
詳述していない。
著者自身も書いているように、幕末という激動の時代に、
まるで天が遣わしたかのような稀代の男が、卑劣な凶刃に
たおれてしまったことへの激しい憤りと、心からの無念さに
うち震えるような思いだったらしい。
書いているペン先が怒りで震えているような感覚が、文章を
通じて読み手に伝わってくるようだった。




今日は絶好の輪行日和。
空はスッキリ秋晴れ、寒くなく暑くなく、風もない。
こんな日に自転車乗らないでどうする、と自分自身で
テンションあげて飛び出した。
最初はちょっと肌寒く感じたけど、10分20分と走るうちに
少し汗ばむほどに。
火照った顔・身体が秋風に涼しく吹かれて気持ちイイ〜。
食欲も俄然わいて来て、昼にハンバーグ&エビフライランチ
をペロリ。30分もしないうちにつけ麺をペロリ。
走った距離約60km、消費カロリー約700kcal、摂取カロリー
約900kkal。
食って食って、走って走って……、
ん?、結果的にカロリーはプラスじゃん。
ナニやってんだかオレ。

File No.188
『切羽へ』井上荒野(新潮文庫 400円)
オススメ度★★☆☆☆

まずタイトルが気になった。
ふつう「せっぱ」と読むんじゃないかなと思ったら、
「きりは」という題名。
そして、オビに「直木賞受賞作」とある。
前にも書いたが、○○賞受賞作品というオスミツキにオレは
めっぽう弱い。
井上荒野という作家も初めてだから、女性ということも知らなかった。
物語は、ある島で暮らす養護教諭のセイ(主人公)と、その夫で
画家の陽介を中心に展開する。
セイと陽介は睦まじい夫婦生活を営んでいたのだが、そこに
臨時教員の石和が赴任してくる。
セイは、夫も愛しているが、石和に強く惹かれていく自分に
戸惑い、持て余し、行き場のない心の行方に懊悩する。
人を愛する心の行く先は「切羽」しかないのか。
「トンネルを掘っていくいちばん先を、切羽というとよ。
トンネルが繋がってしまえば、切羽はなくなってしまうとばってん、
掘り続けている間は、いつも、いちばん先が、切羽」
と、セイは最後の方で言う。
そうか。
恋愛でも、仕事でも、何でも、人は「切羽」に立たされる、
いや、否応なく立たねばならぬ時がある。
トンネル掘りが進むと切羽も前へ前へと進む。
トンネルが抜けるとどうなるかなんて、誰も確かなことは
わからない。
(解説の山田詠美も同じようなことを言ってる)
例えば、
恋愛、情愛の切羽に立ち続け、結果的に結ばれたとしても、
その後が幸福かどうかなんてわからない。
仕事だってそうだ。
骨身削って、汗水流して働いて、定年になって、トンネルの
向こうに見えるのは一体何なんだろう。
一生懸命働いて、自分や家族の生活を築き守ってきたという
満足感と誇りが、ほんとうにトンネルの先にあるものなの
だろうか。
人はみんな、そんな疑問を秘めながら、「切羽」に立ち続けて
いるんだなあ、と思う。
セイの母親がトンネルの切羽で拾ってきて、夫の誕生日の
プレゼントにしたマリア像がメタファーのように作品に
奥行きを与えているような気がする。

いずれにしても、この小説は登場人物のキャラ立ちも充分でなく、
クドクドした状況説明もあまりない、というか、ほとんど
意図的にそうしているんだと思う。
だから、こういう「風」に心動く情感や感性がないと、
つまらない、と思うかもしれない。
試しに読んでみたら?

11月3日文化の日。
予報どおりの雨模様。
ツールドラフランスの日だったけどザンネン。
オレが出られないと天気も味方しないのか(ナンチャッテ)。
でも、わがチームメイトはさすがしたたか。
目的地を急遽、東北地方で唯一晴れてそうな南部太平洋側に
変更して、爽やかな輪行をしてきたとのこと。
そんで、夜は今シーズンの事実上の納会。
青空の下、揃いのユニフォームで満面の笑顔で写ってる
写真を見せつけられた。
そこには当然オレの姿はない。
「この写真、年賀状に使おうっと」という言葉が
悔しさをさらに増進させ、ちょっと苦い酒になった。
くそお〜、このままでは終われん!

File No.187
『自転車ツーキニストの作法』疋田 智(ソフトバンク新書 760円)
オススメ度★★★☆☆

本屋に行って「自転車…」という背表紙に無条件で反応
してしまう今日この頃。
この本も、無条件反応で買った。
「ツーキニスト」というのは、通勤者という意味の著者の造語。
したがって、「自転車ツーキニスト」とは、「自転車通勤者」
のことを言う。
この著者、筋金入りの「自転車ツーキニスト」のようだ。
まずは、文体の奇抜さというか柔軟さに感心する。
肩肘張って本を読むというのはちょっと苦手かなあ、という
人でも、この本なら苦なく読めるんじゃないかな。
そして、「初心者以上マニア未満向け」という内容も、
今のオレにはピッタリかも。
「自転車は車道を左側通行」という大原則を厳守すべし、という
しつこいぐらいの主張には、オレもいちいちうなずける。
歩行者専用の歩道を歩いていて、後ろから来る自転車に
「そこどけ!」と言わんばかりにチリンチリンと鳴らされることに
ムカつくのはオレばかりじゃないだろう。
歩行者専用の歩道を我が物顔で走る自転車の方が違反!なんである。
かつては銀輪都市とさえ言われたこの米沢も、自転車乗りの
マナーは決して良いとは言えないなあ。
右側通行や傘さし、並列、携帯ながら、無灯火などなど
無法で無茶な乗り方が目に付く。
こうした無作法を戒めてもいる著者にまずは拍手をおくりたい。
自転車を愛する者として、そのルールを守るということは
基本中の基本だと、オレは思う。
ルールを守ってても事故が起きるんだから、ルール違反者は
なにをか言わん。
全編を通じて軽いノリで書いているように思われるが、言ってる
ことは至極まっとうなことなのだ。
最後のほうに出てくる言葉なんて、まさに自転車乗りの大義を
的確に言い表している。
「我々に求められている道は、今こそ『20世紀的な拡大路線』を
自省し、あらゆるものを『持続可能で身分相応のもの』にする
という道だろう。『環境問題』だけでなく『経済問題』に
関しても同じなのだ」
そして、
「私は、とりあえず自転車にでも乗っているしかないと思って
いる。環境にもいいし、健康にもいい。何よりも等身大の人間の
生きる道を教えてくれるところがいい」
とも。
そう、自転車は、自分の力以上でもないし、以下でもない、
分相応の等身大の自分なのだ。
そこんとこがわからないと、自転車を「チャリンコ」とか
「チャリ」とか蔑んで憚らないんだろうなあ。
エラそうなゴタクならべてるオレ自身も数年前はそうだった
んだから「ジャガー・チェンジ」もいいとこ。
さらにダジャレを重ねると、
「ユー・チャイルド・ジャガー・チェンジ」ってがあ。
(君子、豹変す)

盛りの多さで評判のそば屋さんに久々に行った。
久々に、というのは、職場からもそう遠くないところに
ありながら、いつも昼時は満席で入れない。
さらに言うと、客の回転率が良くないので、昼休みの
時間内でありつけない可能性が高い。
およそ1年ぐらい前に、家人と2人で、1人前の
「かき揚げ天盛りそば」を食べてちょうど良かった。
(お金がなかったわけではないが)
そして今回、同じケース。
家人は早々と戦線離脱。孤軍奮闘してやっとのことで完食。
ここの盛りそば、フツーの店のゆうに3人前はある。
これが大盛りとなると4人前以上。
たしか、30代のころは大盛りを食べれたなあ。
それが今じゃ、2人でやっと1人前とは…。
お値段580円というリーズナブルさに喜びつつも、
量をこなせなくなった自分の食欲に少し寂しさを感じる秋…。

File No.186
『「閑」のある生き方』中野孝次(新潮文庫 400円)
オススメ度★★★★☆

同じ本でも、読む年齢によって感じ方が大きく違う、という
ことをつくづく実感した。
中野孝次というとすぐ思い浮かべるのが、ベストセラーになった
『清貧の思想』。
オレも読んだ記憶があるが、何せ30代中頃のことだから、
書いてる意味は理解できても、自身の生活信条に影響を与える
ようなものではなかった。
これから拡大・発展していこうという時に、「清貧」でも
なかろうとタカをくくっていたのかもしれない。
この本も、著者の考え方の基調は変わっていないと思うが、
なぜか、妙にシックリきた。
自分が今何気に考えていることとフィットする感覚。
年齢がなせることなのか。
この本の論旨をかいつまんで書くと、
「自分の意志の下にあるものについては、精一杯能力を発揮させ、
『今ココニ』ある生を喜び、楽しむこと。自分の権能下にない
ことについては、運命を受け入れ、ジタバタしないこと」
ということか。
そういう老年に向かう生のあり方を、40歳代とおぼしき甥っ子
「龍太郎」に教え聞かすスタイルで話が進んでいく。
随所に、老子や「徒然草」、セネカなどが引用され、奥行きが
深く、他の人生論的な書と一線を画している。
オレはとくに「徒然草」に改めて心惹かれた。
学生時代、教材として止むを得ず読まされて以来今まで、ついぞ
読む機会がなかった。また、妙に説教っぽくて、読む気にも
ならなかったとも言える。
「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、
日々に楽しまざらんや」
「若きにもよらず、強きにもよらず、思ひ懸けぬは死期なり。
今日まで遁れ来にけるは、ありがたき不思議なり」
今こうして口ずさむと何て含蓄がある言葉なんだろうと
改めて思う。
やっぱ、最後は古典に戻るべきかとさえ考えたりする。

著者は、老年期にさしかかる前に、足るを知り、欲を抑え、
生活をシンプルにすべき、とも言っている。
オレも同感。
有り余るような身近のモノどもを思い切って大整理すること
によって、かえって自分自身というものが再生されるような
気がする。
著者の老年の楽しみは、
一、書  二、碁  三、酒  四、犬  五、読書
だそうだ。
オレも、もうふたつぐらい一生楽しめる事を見つけないとなあ。
こういうふうに考えていくと、老年期も何だか楽しくおくれる
ような気がする。
そのためにはまず、これからの運命を甘受する心構えから。

まったく何の意識もなく買った100円本だが、思わぬ
心の広がりができ、そばに置いておきたい一冊となった。

しばらくアップしてない間にも色々なことがあったなあ。
まず、トラキチ某氏の悪態的予告のとおり、わがジャイアンツ
はクライマックスシリーズのファイナルステージでドラゴンズ
に「ボロ負け」した。でも、テレビでまったく観てないせいか、
不思議に悔しさはあまりない。来シーズンに期待するのみ。
あと、まだ紅葉してない斜平山に初冠雪があったのも、ちょっと
オドロキだったなあ。
紅葉極まった斜平がうっすらと冠雪した初冬の早朝風景は、
オレのもっとも好きな「米沢」のひとつなんだが、今年は
あまりにも早すぎた。
マツタケも大豊作のようだ。直売所には、大型のマツタケ
が所狭しと並んでいる。
例年よりもだいぶ安いそうだが、手にとった1本の値段を
聞いてみたら、まだまだオレにとっちゃ高嶺、いや「高値」の花。
マツタケをそっと返して、ナメコ買ってお茶濁して
スゴスゴと帰ってきた。

File No.185
『昭和の仕事』澤宮 優(弦書房 1900円)
オススメ度★★★★☆

図書館で「ついで借り」してきた本なのだが、どっこい
これは名著に近いかもしれない。
こういう本を誰かが書き残さないと、昭和の時代の仕事史
というのは断片的にしか語り継がれなくなってしまう。
本自体もさることながら、この本の購入をリクエストした
人もエライ。
内容は3部構成になっている。
第1章は、放浪詩人高木護の軌跡と、彼が就いた百数十種類
と言われている仕事の主なものを紹介している。
同時にふたつの主題を追うというノンフィクションには
ちょっと珍しい手法だが、何だが不思議な面白さに包まれて
しまう。
高木護という男の特異な人生と、実に様々な仕事。
「木賃宿」の由来も、この本で初めて知った。
湯をわかす薪代だけで泊まれた宿のことだそうだ。
もちろん食事は自炊である。
高木の生き方には大きな問いがある。
それは、「人間は用を果たさなければ駄目なのか」ということ。
役に立たない人間はクズ扱いするような社会に、大きな
疑問を投げかけている。
第2章は、戦後失われていった仕事の紹介オンパレード。
「純喫茶」というのも懐かしい響きだけど、なんで「純」なのか、
今の今まで知らなかった。大正や昭和初期に「女給」をおいて
性的なサービスをするカフェーなどと区別するために付けたのだ
そうだ。ふ〜ん、ってかんじ。
「紙芝居」もなくなって久しい。
オレは小学校にあがる前に見た記憶があるが、果たして見た経験の
ある年齢ボーダーはどのぐらいなんだろう。40歳代後半ぐらい
かなあ。もちろん、復活版や模擬版ではなく、「5円で水あめ」
のような、いわゆるプロの紙芝居屋さんを見たことがある人も
だいぶ少なくなった。
なくなってしまった仕事には「修理」が多いという特徴がある。
現代のような「使い捨て」ではなく、モノを大事に使っていた
のだろう。
「鋳掛屋」(いかけや)とか「箍屋」(たがや)なんて、もう
死語に近い。いずれも、オレの母親はよく知っていた。
家業が味噌・醤油醸造業だったから馴染みが深かったのだろう。
どんな仕事か知りたかったら、一度この本を読んでみることを
おすすめする。クソまじめに最初からきちっと読まなくても、
パラパラ拾い読みしてるだけでも、なかなか面白い。
最後の第3章は、今も生き続ける昔の仕事をいくつか詳しく
リポートしている。
なかでも抜群に面白いのが「三助」の橘秀雪と、「ポン菓子」
の吉村利子。
前者は、「今でもあるのか!」というオドロキ、後者は感動的な
実話だ。
この本、最後にちょっとしたオチがついている。
それも、この本の紙価を高めるのに一役買っている。

最後に、なんで、「名著だ」じゃなく、「名著に近い」と
したのか?
それは、東日本・北日本も含め、もっともっと事例を網羅
した「大著」にしてもらいたい、というオレの勝手な
願望を込めたもの。



プロ野球セ・リーグのクライマックスシリーズ1stステージは、
わがジャイアンツが宿敵タイガースをストレートで下し、
2ndステージへと進んだ。
昨晩、自他共に認めるタイガースファンの方にオレが、
G「阪神、残念でしたねえ」
T「うっせ〜よ!」
G「敵ながら元気なかったなあ」
T「ふん、巨人なんか中日にボロ負けすっから見てろ!」
かなりムカついたけど、年配の方なんでお譲りした。
たぶんこの方、タイガースが好きというより、ジャイアンツ
が心底嫌いなんだろうなあ。
オレはそんなことはない。他チームでも好きな選手は
いっぱいいる。もちろん阪神にだっている。
何でもいいから贔屓のチームが勝てばいいというのでは、
精神衛生上、とても良くない。
かつてのわが家が「野球火宅」だったから、なおさら
強く思う…。

File No.184
『傍聞き』長岡弘樹(双葉社 1400円)
オススメ度★★★☆☆

この間、新聞の新刊広告を見ていたら、長岡弘樹の本の宣伝が
載っていた。広告だけど、なかなか面白そう、と思って
調べてみたら、この方、ナント、山形市出身・在住の作家
じゃないか。
ということは、「山形本」?
ハズカシながら知らなかった。
まだまだだなあオレも。
じゃあ、さっそく彼の代表作でも読んでみようと本屋に行って
探したのだが、なかなか見つからない。
こうなれば図書館か、と思って行ったら、あったあった。
やっぱ、以前に発行されて文庫化されていない単行本を探すには、
何と言っても図書館が便利だ。
この『傍聞き』(「かたえぎき」と読む)は、一昨年の日本推理
作家協会賞を受賞した彼の代表作だ。
この本には、表題作のほかに『迷い箱』『899』『迷走』の
4つの短編が収録されている。
いずれも、がっちりしたナゾの設定はなく、淡々と始まり
自然体で繰り広げられる不可思議なことと、その推理・解明という
ストーリーになっている。
奇を衒おうとする気負いや、エンターテインメントに走ろうとする
ケレン味がなくて好感が持てる。
表題作の『傍聞き』というのは、自分と他者との会話(対話)を
第三者にワザと聞かせることによって生じる効果というものを
題材にしており、とても面白い。
でもオレは、『迷走』の方が面白かった。
読んでいても、一体どうなるんだ、なぜなんだ、と思いめぐらすが、
ある部分まで糸口さえわからなかった。
著者自身も、何かのインタビューで、この作品を一番の自信作
と言っている。
設定(前提)をもう少し工夫すれば、この作品はもっともっと
面白くなっていたかも知れない。心臓の持病で倒れた、というのは
設定として少しヨワイとオレは思うのだが。
おっとっと、ストーリーはこれ以上言えない。
もう一冊借りてきた本を読み終えてから図書館に返すから、ぜひ、
この「山形本」を読んで欲しい。
ローカルで創られた「全国本」でもある。

今日は東源寺五百羅漢の供養祭。
壇徒なので、毎年参列している。
供養祭の後の直会食事会で、ご住職さんにお酒を注ぎながら、
「何十回も立ったり座ったりしながらの読経はたいへん
ですねえ」って言ったら、
「それは大変ですけど、終わった後はすごい清々しいというか、
幸せな気持ちになるんです。だから続けられるんでしょうね」
「へえ〜、どうしてなんでしょう」
「五百の羅漢様から守られてる気持ちになるんです」
いい話だなあ〜。
酒飲んで忘れてしまいたくない…。

File No.183
『通天閣夜情』難波利三(徳間文庫 400円)
オススメ度★★★☆☆

100円本シリーズ3冊目。
ここ1か月ほどずっとこのシリーズでいけるくらい100円本が
積んであるが、そろそろ新刊も読みたくなってきたなあ。
「難波利三」という作家は寡聞にして知らなかった。
写真を見ると、大木ボンドに似た大阪のおっちゃん風。
(大木ボンドも知らない人が多いかも)
なんか、難波の売れない作家なのかなあって思ったら、
とんでもない。このおっちゃん、レッキとした直木賞作家なのである。
この本は、そんなことも知らず、ただ題名につられて買っただけ。
どういう風につられたかと言うと、大阪の下町情話のような
小説なのかなあ〜と。
その期待は概ね当たった。
ストリッパーとの淡い交わりを描いた『通天閣夜情』。
芝居一座の花形に入れあげる母親を描いた『浪花恋しぐれ』。
ピンサロのホステスに恋情を寄せる男を描いた『気になる天使』。
放蕩の父親とその愛人との関係を綴った『痺れる街』。
アルサロの女に心惹かれながらも家庭に帰る『夜の玩具』。
退職した中年男の意外な素顔を描く『黄昏の秘戯』。
育ての親との不思議な恋感情を描いた『通天閣の少女』。
以上の7小編が収められている。
言ってみれば、大阪の猥雑な街で繰り広げられる、ほろ苦くも
物悲しい男と女の物語、というテイストか。
全編に、ストリップとかピンサロとかアルサロとか、
いわゆるフーゾクが出てくるし、それに関連する描写も当然
随所に出てくる。
そういうのがキライな紳士淑女の方は読まない方がいいかも。
人間が人間らしく本音で生きていれば、どうしても猥雑な
ところも生まれてくる。
それは決してキタナイものではない。
オレは、清潔で整然としたファッショナブルな街より、どこか
うらぶれてて怪しげな猥雑な街の方が好きだ。
(フーゾクが好きという意味ではないので誤解なきよう)
だから、こういう小説の雰囲気もキライではない。


「十三人の刺客」を観てきた。
スクリーンで映画を観るのは数か月ぶり。
混むとイヤだなあって思いながら劇場内に入ると、
ん?…
予告がすでに始まっているのに、お客は1組。
まあ、オレたち入れて2組4人。
なんで?…
人気ないのかあ、この映画。
オープニングシーンは大迫力。これは、これは、と
観たけど……。
結局、家人は正視に耐えず出てっちまうし、オレは
ハラ減ってイライラしてくるし、もう!

File No.182
『社長を出せ! 実録クレームとの死闘』
川田茂雄(宝島社文庫 648円)
オススメ度★☆☆☆☆

先日買った100円本の第2弾。
まあ、100円でなければ、このテの本をオレはまず買わない。
内容は題名が示すとおり、某大手カメラメーカーに勤務していた
著者が、実際に経験したクレーム処理の実例を紹介しながら、
それを類型化していったり、変遷史みたいなものをたどり、
「クレーム」に関する意義付けをしていくといったもの。
それでも、自分が経験した実例を丹念に思い出しながら書いてる
第1章はそこそこ面白かった。
随所に挿入されているマンガも、イメージを補完する役目を
果たしており、そこそこいい編集じゃないかと思ったのだが…。
第2章は、クレーマーを類型化している。
まあ、意欲的な試みだと自分では思って書いてるのだろうが、
いかんせんムリっぽいし、よく違いがわからん。
そして、著者はクレーム処理に失敗したことはないと豪語し、
自分の対応策が結果的にすべて功を奏し、成功だったと書いてる
が、それがオレとしてはシラけてしまう。
実際にこういう話をジカに聞いていたら、まず間違いなく
「ホントかよ〜オマエ、美化してんじゃないよ」って
チャチ入れるだろう。
かなり努力したようなことも書いてるが、そんなことは程度の
差はあれど、たいていの人がやってること。
仕事で汗流したり、涙流したり、骨身削ったりしているのは、
オマエだけじゃないゾ。
さらに、カメラのクレームだけじゃ、読んでてつまらなくなる。
こういう題名を付けるなら、自分が経験してなくても、取材する
なり調べるなりして、他業界のことも触れてほしい。
とくに、食品メーカーのクレームなんて知りたいよなあ。

ちなみに、オレは基本的にはクレーマーではない。
買った商品やサービスなどに不平不満があれば、自分の中の
選択肢から永遠に外すだけ。
著者は、このタイプについて、
「最も注意を要する問題であり、言い換えれば最も厳しい
クレームと言わざるを得ない」と書いている。
これは、そのとおりだと思う。
知らず知らず売り上げが落ちる、客足が減る、という現象は
商売人にとって最も恐ろしいこと。
オレは商売人じゃないけど、お客様をしっかりとみることが
商売の基本なんだなあ、と改めて感じさせられた。



本日、とあるラーメン屋さんでの会話。
主人「この通りに魚屋あったの知ってる?」
オレ「知らん」
主「じゃあ、プラモ屋は?」
オ「トーゼン知ってる。オレぐらいの年代の米沢で育った
男の子で知らなかったらモグリだろ」
主「映画館もあったの知ってっぺ」
オ「それもトーゼン。よく怪獣映画観に来たよ」
主「2軒あったのも?」
オ「えっ、それは記憶にないかもなあ。じゃあパチンコ屋も
この通りにあったの知ってっか?」
主「2階が名曲喫茶だったとこだべ」
オ「そのとおり。じゃあ…」
昔の街角談義は懐かしくて興趣が尽きないなあ。
さて、この通りはど〜こだ?
わかるか、わかんないか、40歳代前半ぐらいがボーダーかなあ。

File No.181
『ヤクザに死す』安田雅企(宝島社文庫 600円)
オススメ度★★☆☆☆

先日、よくワケのわからん動機で衝動まとめ買いした100円
(正確に言うと105円)均一の古本のひとつ。
発行年は2000年だから、今から10年前の本。
表紙もくたびれてて、ちょっと買うのもためらわれたが、
「待ち望まれた傑作の文庫版化なる」の売り文句につられて
買ってしまった。
失敗してもドーセ100円、面白くなかったらほっぽっといても
それまで、みたいなカル〜い気分で読み始めたら、これが
なかなか面白い。
「大当たり」とまではいかないけど、「小当たり」ぐらいかな。

さてこの本は、ウサンくさそうな弁護士の依頼で、九州のとある
地方都市を根城にするヤクザ組織に赴き、寝食をともにしながら、
その独特な世界をルポしたもの。
著者本人は、自ら飛び込んで体験しながら取材したことをベース
にしたフィクションであると言っているが、おそらく現実の
実態も大同小異のような気がする。
それだけ、中味がリアルだということ。
実はオレ、「仁侠もの」も大好きで…。
「仁義なき戦い」シリーズも全部観た。
暴力的に爆発する男のパワーと、仁侠に生きる男のストイックさに
シビレルのである。
「冬の華」の高倉健なんてもう極致!
という映画みたいな世界は、ここ(現実)にはあまりないらしい。
あるのは、フツーの人間社会と同じ、人と人とのドロドロした
感情のもつれ合いと、それが引き起こす悲喜劇だ。
とくに、組織の上の人間の猜疑心や嫉妬心によって起こる
極めて愚かしい悲劇が多いのも一般社会と同じである。
やっぱ、強い組織の源は「信頼」だということがよくわかる。
良くも悪くも、男だけの男らしい世界なので、それゆえの
抱腹絶倒話も紹介されている。
「航空チケット大騒動」の巻がそうだ。
(笑い)涙なくして読めない。

でも、なぜ題名が『ヤクザに死す』なんだ?
と疑問に思っていたのが、最終章「幻のダルマ船」で氷解する。
やっぱ、ヤクザの世界は理解を超える怖さ・恐ろしさがあり、
なぜかその世界に生きる人間たちには儚さやもの哀しさが
漂っている。
先日古本屋に行ったとき、本があまりにも安く売られて
いるのに改めてオドロいた。
数年前に刊行されたばかりの千数百円の単行本が、なんと
105円で売られている。
中には、オレが持っている本もたくさんあった。
ということは、オレが宝の山のように思っている自宅の
多くの本どもも、しょせんは二束三文ということか。
売って処分するよりも有効な活用法を今から考えて
おかないと…。
そう言えば、今から30数年前、段ボール箱にぎっしり
と詰めたほぼ新品の受験参考書を渋谷道玄坂の古本屋に
売りに行ったことがある。
オレは、参考書を買えばもう勉強した気になってしまう
「特技」を持っていて、それはもう一時期買いまくった。
それらが必要でなくなった時に、ひと財産を換金する
つもりで古本屋に行ったのだが…。
最初は、「買い取れない」という店主の言葉にアゼン。
再度頼んでも同じこたえ。
仕方なく、また持ち帰れないのでタダでもいいから
引き取ってくれと言ったら、店主が苦笑いしながら
500円くれた。
新品での値段はおそらく4〜5万円はしただろうものを。
ニーズのあるところにしか値段はつかないとわかっていても、
昔も今も古本の値段には個人的に合点がゆかぬ。

File No.180
『みをつくし料理帖 今朝の春』高田 郁(時代小説文庫 590円)
オススメ度★★☆☆☆

なんだかんだ言ってまた買って読んじまったこのシリーズ。
どうも気になってしまうんだなあ、続きが。
ひと昔前に流行った「24」や「Xファイル」などの続き物の
映画もそうだったよなあ。次どうなるのかが早く知りたくて、
何かに憑かれたかのように見まくったことを憶えている。
終わってみると、たいした内容でもないんだけど、
「つづく」「つづく」の商業的魔術にみごとひっかかってしまう。
でも、この「みをつくし料理帖」シリーズは、だんだん
面白くなってきた(=それがもうハマってる証拠なんだが)。
澪と小松原の行く末、太一の声、あさひ太夫の過去、などなど
すごく気になる。とくに、これからは佐兵衛の行方がだんだんと
わかってくるような趣向になるのではないか。
そうなると、また読まずにはいられない。
まるで、オレ自身も江戸時代にタイムスリップして、「つる家」
の一角で市井の人間が繰り広げる人情ドラマを見ているかの
ような錯覚に陥る。
同じような感覚は、浅田次郎の「天切り松」シリーズにも
共通している。こちらの方はしばらく続きが出ていないので
ヤキモキしている。
シリーズを重ねる毎に、人情の機微にも触れるようになってきた。
感情をよく描き出しているなあと思わせるところが随所に出てくる。
そして何よりも、「料理は人への思いやり」という底流が
ブレないところがいい。
誰かの言葉ではないが、やっぱ、料理は一に愛情、二に段取り
なんだなあ。
ん?、仕事も一に情熱、二に段取り、ということか。
人間なんだから、一に「情」がほとばしるようでなきゃなあ。

今回は四つ★と思ったけどヤメタ。
その理由は、カンペキな誤植が1箇所あったこと。
読んだ人、気付いた?
売り物である限り許されないことだろう。


輪行シーズンもいよいよ終盤戦になってきた。
結婚式のため11月3日のツールド・ラフランスに
エントリーできないオレとしては、さしたる盛り上がりもなく
シーズンが終わるのもちょいとさびしい。
で、時間を見つけては、ちょこちょこ輪行に出てるこのごろ。
昨日の早朝も、曇天ながら降雨の心配なしと勝手に判断して
スタート。
15kmを過ぎたあたりから予期せぬポツポツがきた。
「やばっ」とばかりにUターンして速力をあげて帰路についたは
いいが、10分ぐらいでヘタってきた。
ガマンして漕ぐのだが、なんかガス欠のようなヘタり方で
ついに降車。
アミノ・サプリをガブ飲みして再スタートするも、いくらも
走らないうちにもうヘタリ。
なぜなんだろう?って考えると、朝何にも食べないで出てきた
ことが原因だと気付きはじめる。
いつもは、たいていオニギリをひとつ食ってから出るのだが、
昨日はあわててたせいか、何も口にしていない。
やっぱ、何と言っても炭水化物はエネルギーの元なんだなあって
つくづく思い知らされた。

File No.179
『異形の日本人』上原善広(新潮新書 680円)
オススメ度★★★★☆

先月、新聞の新刊広告をみた時から読んでみたいと思っていた。
何しろ、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『日本の路地
を旅する』のあとに上梓された最新刊なので、注目の的でも
ある。
この本も、そういう期待を裏切らず、面白かった。
世の中がタブー視し、封印してきた様々な「異形の日本人」
たちを追跡し、そこに隠されてきた本質的なものを
あぶりだしていこうとする試みでもあり、たいへんチャレンジング
なノンフィクション作品に仕上がっていると思う。
ここに登場するのは6人(組)の「異形」たち。
鹿児島のターザン姉妹、劇画家平田弘史、やり投げの記録保持者
溝口和洋、筋萎縮症の西本有希、炎のストリッパー・ヨーコ、
浪速の落語家初代桂春團治。
いずれも、わけあって世間から封印されてきた人ばかり。
でも何で春團治も?
「浪花恋しぐれ」のモデルにもなり、将棋の阪田三吉とならんで
浪速を代表する有名人である彼がなぜ「異形」?
と思いつつ読んでいくと、ナルホド、そういうことだったのか。
前にも何かで読んだことがあるが、春團治の生き様伝説は
凄まじいの一言に尽きる。
女遊び(狂い)もここまでくれば凄味さえ感じる。
そして、何よりもすごく人間くさい。
喜怒哀楽をこれほど直線的に放つ男も珍しい。
だからこそ伝説になったんだろうが、当時周りにいた人たちは
さぞたいへんなことだったろう。
これだけ人気者の超売れっ子芸人が、稼いだ金を女や遊びに
蕩尽し、所属先の吉本に莫大な借金を残したまま亡くなって
しまう。
そして、その末期や死後の供養のされ方も、生き方の派手さと
比べると、あまりにも寂しいというか、哀れでもある。

こういうマイノリティと言ってもいい人間たちの生き様に
歩みを寄せて行こうとする上原善広のノンフィクションは、
ちょいと一味違う。
いつも読み散らかしている本どもを、たまには本棚に
と思って積んでると、あれっ、奥の方に見たことある
タイトルの本が…。
取り出してみると、『瀬島龍三 参謀の昭和史』(保阪正康)
だった。しかもハードカバーの単行本。
発行日は1988年とあるから、まだ昭和の時代に読んだのか、オレ。
ん?、もう一方の手に持っているのは、先日読んだばかりの
同じ本の文庫版。
ちぇっ、またやっちまった、「ダブリ買い(読み)」。
すべては、オレの記憶力減退が原因だが、二度や三度でない
この失態というか、時間と金のムダ遣いに対する悔悟みたいなものに
たえきれなくなって、家を飛び出した。
向かった先は古本屋。
1冊100円の本を片っ端から買いまくって、その数約20冊。
へ〜んだ、100円ならダブっても痛くないワイ!
われながらアゼンとしてしまう奇行…、奇考?

File No.178
『にこにこ貧乏』山本一力(文春文庫 514円)
オススメ度★☆☆☆☆

これは100円の古本ではない。
ちゃんと新刊本で買った。
ん〜、この本は古本でも良かったかなあ〜。
そもそも、エッセイとか随筆というのは、あまり好んで読まない。
なぜなら、ただでさえ記憶力が減退しているのに、読んでから
1週間後には何も覚えていない、というのが、この「軽妙な」
エッセイというやつ。
もちろん、湯川秀樹の『旅人』のような別格も何冊かはある。
じゃあ、何で買った?
それは、山本一力というネームバリューと、「貧乏」という
タイトル。
以前読んで面白かった志ん生の『びんぼう自慢』のイメージが
残っていたのかも知れない。
たしかに、この本も面白い。
「エンジンブレーキ」などは読んでいて抱腹絶倒。
山本一力のカミさんが、自動車教習所で練習中に、教官から
「エンジンブレーキをきかせて」と言われて、やおら助手席に
足を伸ばし、教官用に付いている緊急用フットブレーキを
思いっきり踏んだという椿事。
共感するところもあった。
「(今の時代は)キーボードを叩くだけで、たやすく書けるが
ゆえに、文章は冗漫で弛緩していることが多い…」
言えてるなあ〜。オレも気をつけないと。
いや、そうじゃあないだろう、という部分も。
手書きの効用というテーマのところで、山本は年賀状の文面は
印刷するが、宛名だけは手書きにこだわってると書いてる。
でも、オレは逆だと思うんだけど…。

こういうふうに書いてると、なぜ★1つの酷評?と思うかも知れない。
それは、山本一力ぐらいの時代小説の書き手なら、日常的な雑文まで
売文しなくてもいいだろう、と思うことと、家族を出しすぎている
こと、そして、時代小説では稀代の名手であるが、それに比して
エッセイは文章も内容もイマイチ…。
あくまでもオレの個人的感想ではあるが。
ストレートに言うと、山本一力は時代小説だけで勝負してほしい、
と作品ファンの一人として強く願う。
これ以上、自分自身を語らないで…。


この間の日曜日の夜、NHKスペシャルを観てて
たまげた!
その題名は「スクープドキュメント “核”を求めた日本」。
今から40数年前、佐藤栄作首相の頃、中国が核を持った時、
日本は本気で核保有を考えたらしい。
もちろん、それは幻に終わるわけだが、核弾頭製造の技術
検討や、同じ敗戦国の西ドイツとの秘密協議などの
オドロくべき事実を、元外務事務次官とか要職にあった人
たちが語るんだからまさにリアル。
ある元職の「外交や戦争にはウラがある。それをわからない
国民がおかしい」との言にはアゼン…。
そういうことをテレビで平気で言ってしまう神経がおかしい、
とオレは思うんだけど…。

File No.177
『イスラエル ユダヤパワーの源泉』三井美奈(新潮新書 700円)
オススメ度★★★☆☆

先日、エルサレムに行った方から聞いた話が、どこか頭の隅に
残っていたのか、本屋で魅入られるようにこの本を買ってしまった。
読んでみると、具体的でなかなか面白い。
それもそのハズ、著者は新聞記者で、3年ほどのエルサレム駐在を
経験している。自分の目で見、耳で聞いたものだから、より具体的
なのだろう。
なぜ、人口わずか750万人の小国イスラエルが、隣国との度重なる
戦争を戦い抜き、超大国アメリカを味方につけ、比較的富裕な国
として存在感を発揮し続けているのか。
それは、アメリカを中心に世界に広がるユダヤ系社会であったり、
イスラエル・ロビーと呼ばれる強固なロビー活動だったり、
さらには、ホロコーストという恐怖に晒された経験を持つユダヤ
民族独特の危機意識だったりすることを、この本は解き明かして
くれている。
その中でも、首都エルサレムの複雑な歴史的経緯と現状は、どうも
現実的にピンとこない。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の
三教の聖地であるエルサレムは、度重なるイスラエルとパレスチナ
の戦いに揺れてきた。イスラエルの首都だと言うのに、現に
外国の大使館がひとつも置かれていないという事実。
また、イスラエルを建国からここまでの国にした大きな原動力は、
アメリカの富裕なユダヤ(系)人からの経済的支援だと言う。
慈善事業はユダヤ人社会の伝統であり、正しく生きるための道
である。慈愛を意味するキリスト教のチャリティーとは思想が
根本的に違うらしい。
日本とも思想が全然違うかもしれないなあ〜。
異文化コミュニケーションもなかなかムズカし〜。
でも考えてみると、オレはこの先エルサレムに行ける機会なんて
果たしてあるんだろうか。
まずないよなあ、おそらく。
それどころか、世界の殆どを知らないまま終わっちまうんだ、嗚呼。
夢にぐらい出てこんかなあ(見たことないから夢にさえ出ん!)。

タバコ大幅値上げを機に、止めるかどうかの岐路に立っている。
家族はトーゼン止めるものと思っているらしい。
オレ自身も、止めてもいいかナと思ってたんで、買いだめは
ほとんどしなかった。(少しした)
旧価格の最後の一箱が今日切れた。
うむ〜、どうしようか。
まっ、もう1箱吸ってから考えっかと高いタバコを買っちまった。
かつて4年間も止めた実績のあるオレ様だから、いつでも
止められる、とうそぶきつつ10年近く経とうとしている。

File No.176
『瀬島龍三 参謀の昭和史』保阪正康(文春文庫 505円)
オススメ度★★★☆☆

瀬島龍三という人物を知っているだろうか。
以前ここにアップした『不毛地帯』の主人公・壱岐正のモデル
と言われた人物である。
陸軍士官学校・陸軍大学を優秀な成績で卒業し、太平洋戦争時
には大本営参謀として日本軍の作戦を立案・指揮。
終戦後、ソ連軍に捕まり、11年間ものシベリア抑留。
帰国後は伊藤忠商事に入社し、数々の商戦で辣腕を発揮し、
同社を繊維問屋から総合商社へと育てた企業参謀と言われた。
そして晩年は、政府の第二臨調委員として、また、日本商工会議所
特別顧問など多くの要職につき、政財界に多大なる影響力を及ぼした男。
まさに人生を4回生きた男の足跡を、本書では丹念に追いながら、
その功罪を浮かび上がらせている。
オレは、この本を読むまでは、瀬島龍三という人物に対して、
崇敬の念しか抱いていなかった。
それは多分、『不毛地帯』の壱岐正の生き様とほぼイコールだと
思い込んでいたからだろう。
ちなみに、『不毛地帯』の著者・山崎豊子は、主人公壱岐正の
モデルについて、特定個人ではなく、同じような経験をした
多数の人への取材によって創り上げたもの、と言ってるらしい。
本書で興味を引くのは、瀬島の「功」ではなく、「罪」の部分だ。
大本営参謀時代の電報握りつぶし事件などは、あっけにとられる。
台湾沖空戦の日本軍の戦果が過大に発表されていた事実を
報告した電報を、瀬島が握りつぶしたのではないかとされている。
これは、その後のレイテ戦に大きく影響する。
また、ソ連側証人として東京裁判で証言した経緯も、何だか
不透明だ。
商社時代の暗躍、臨調での裏仕切りなどなど、本書では、
瀬島の奥底にある暗い部分を暴いていく。

人は誰でも「功」もあり、「罪」もある。
この本も、瀬島という男に失望させられるというより、より
深い奥行きとリアルさを与えてくれたような気がする。
だから、保阪正康や佐野真一などの人物ノンフィクションは
面白い。


不覚にも風邪をひいてしまった。
手洗い・うがいを励行しているハズなのに。
適度な運動で免疫力を高めようとしているのに。
ビタミンCを摂るように心がけているのに。
なぜ?
それは、数日前、風邪を引いているようなある方と
30分ぐらいお話をしたことから端を発する。
なんか、オレもうつっちゃったかなあ〜、と思ったら
案の定(早や!)。
ヤバっと感じる瞬間さえもわかっちゃうんだよなあ。
普段気を付けててもこればっかりは…。
その人も多分誰かにもらったんだろうし、
露骨に避けるのもイヤミだしねえ。
で、数日前にお医者さんに行ったら、
「もう、ここ数日は風邪外来みたいだよお」って言ってた。
どうぞ、お気を付けあれ。

File No.175
『終わらざる夏』浅田 次郎(集英社 上・下各1700円)
オススメ度★★★☆☆

この本、1週間前に読み終わっていたのよ。
で、アップしようと思った矢先に風邪で数日空いてしまった。
その間に記憶と感動がやや薄らいでしまった。
読んだ本の内容とか、観た映画の中味とか、忘れてしまう
ことってない?
オレはここ数年その傾向が顕著だなあ。
オレの「脳年齢」もそろそろヤバイのか。
いやいや、一度読んだもの、観たものは、知らず知らず
脳の奥のバックアップ装置で記憶されているハズ、と思いたい。
でも、ずっと引き出せないままだったら記憶されてないのと
同じか。はあ〜。

本題に戻って、記憶を引き出しながら…。
この本、浅田次郎が構想30年を経て書き下ろした作品という
ことで、発売当初から注目を集めていたようだ。
しかし、先に読んだ知人2、3人の読後感を聞くと、
いまいち芳しくない。
読んでみて、そういう評も仕方ないかなと思わせるものもあった。
稀代のストーリーテラー浅田次郎にしては少し感動や起伏が
少ないのではないかと感じるかも知れない。
この物語の舞台とは対極にあるような沖縄を舞台にした
『日輪の遺産』のようなインパクトは確かにないかもしれない。
しかし、終戦後に旧ソ連が仕掛けてきた企みにいきり立ち、
戦争に翻弄された人びとの人生に深く感じ入ったりするところも
多かった。
全編を通じて随所に出てくるアイヌの言葉
「カムイ・ウン・クレ」
(神、われらを造りたもう)
が、この作品の重要なキーワードにもなっている。
つまり、われわれ人間はみんな等しく神に造られたものなのに、
なぜにお互いを殺し合うのか、という問いかけでもある。
戦時中も日本人としての誇りを忘れさせないようにとの
教育者たちの姿にも感動させられた。
「自分の苦しみはけっして口にしてはならない。他人の苦労は
わがことと思って背負い、自分の苦労は語ってはいけない。…
難しいことではない。日本人なのだから。遠い昔からそうやって
生きてきた日本人なのだから」
というくだりには、つい熱いものがこみ上げてきてしまった。
まったく違う人生を歩んできた者たちが、ある意図の下、
最北の戦場で従軍することとなるストーリーは、奇抜さは
ないかもしれないが、十分に興趣をそそられる展開ではある。
そして何よりも、
「百人の戦死者には百人の人生があり、千人の戦死者には
千人の異なった勇気があった」
ということを心のヒダにしみ込ませてくれるような物語
でもある。

これを先に読んだ知人から「貸すから」と言われてたものを、
「いや、買いますから」と言って買ったはいいけど…。
好意に甘えても良かったかナア。
これから読もうと思ってる人は、文庫本になってからでも
遅くないかも。時が過ぎると旧くなるような内容じゃないから。



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