ぶっくぶくの部屋

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先月のある夜のこと。
自室で寝っころばって本を読んでたら、頭の上にある
換気扇の中からガサゴソと不穏な音が響いてきた。
ん?、ネズミか?
いやっ!、もしかすると昨年巣を作りかけたツバメくんかも…。
翌朝、外から換気扇のところを見ていたら、雪で少し壊れた
壁の隙間から確かに鳥が飛び立って行った!
うむむ、素早くてどんな鳥かわからんかった。
ほどなくして親鳥らしき鳥が巣に戻ってきた。
そして、10秒ぐらいでまた外へ。
あれれ〜、ちょっと茶色くない?
何回か繰り返し見た結果、それはスズメくんだった。
ツバメくんじゃなかったのは少し残念だけど、まあ、
スズメくんでも吉兆のうち、と思うことにしよう。

File No.312
『さよなら!僕らのソニー』立石 泰則(文春新書 830円)
オススメ度★★★☆☆

今回は久々に新書2連発。

「SONY」というと、オレたちぐらいの世代には何だか
特別感みたいなものがあるよなあ。
まずはオーディオ製品の質の高さ。
そして、トリニトロンカラーテレビ。
そしてそして、一世を風靡したウォークマン。
まさに市場を創造していくような製品を世に出していく会社、
というイメージが、ごく一般の庶民であるオレにも植え付けられていた。

しかし、このところ何かヘンだ。
プレイステーションの大ヒットはあったものの、
有機ELテレビを作りかけたものの、
これぞSONY、という製品があまりなくなったような気がする。
そして、近頃は巨額の赤字が報じられていたりもする。
SONYはどう変容していったのか?
この本を読むとそれがよくわかる。

広く知られているように、ソニーは戦後間もない頃、井深大と盛田昭夫
という二人の志高い天才によって創業された。
この二人の創業者と、その精神を汲む後継者が社長のうちは、まだ
SONYのDNAは濃かった。
それが、第5代社長(CEO)の出井伸之から少し歯車が狂いだし、それが
第8代のハワード・ストリンガーになると決定的になる。
周囲に親派ばかりを置き、過酷なまでのリストラ策、エンジニアの流出、
見せかけの決算数字、バッテリー発火事件での巨額損失と責任のがれ…
などなど。
そして、生活基盤をニューヨークから移すことなく、月1回の来日で
最高級ホテルのスィートルームに滞在、それで年間報酬8億6千万円の
強欲さ!
これでは草葉の陰の井深・盛田両御大も浮かばれないであろう。

著者はこう締めくくる。
「いまのソニーは、私たちに夢を与えてくれたソニースピリットあふれる
会社ではない。さよなら!僕らのソニー」と。
もうこれは訣別の言葉である。

しかし、一筋の光がないわけでも…。
ストリンガー独裁のあとをうけた社長が、弱冠51歳の平井一夫。
この気鋭の若手に未曾有の危機局面が託された。
これからのソニーを注視していきたいものだ。


File No.313
『日本の自殺』グループ一九八四年(文春新書 700円)
オススメ度★★★☆☆

すごいインパクトのあるタイトルのこの本は、今から37年も前に
文芸春秋に掲載された一本の論文。
グループ一九八四年という匿名のような名前は、当時学習院大学教授の
香山健一を中心にした学者グループというのが定説になっているらしい。

この本の基本命題は、「あらゆる文明が外からの攻撃によってではなく、
内部からの社会的崩壊によって破滅する」というもので、日本もこの
破滅の危機にまさに瀕している(すでに37年も前に!)、という警告
でもある。

内部からの社会的崩壊のひとつは「豊かさの代償」。
それは資源の枯渇と環境破壊、そして大量生産・大量消費の生活様式が
人間精神に与えるマイナスの諸影響。
むむっ、これは!
そう、少し前に読んだ『ファイナル・クラッシュ』の論旨とほぼ同じ
ではないか。
37年も前に警世の書が出ていながら何ら変わってはおらず、クラッシュ
に向かう負のエネルギーは満タンに蓄積されつつあるのではないか。
賢者がいくら言葉で話したり書いたりしても、世の中のパラダイム
というのは、そう容易に変革していくものではないようだ。
一度崩れ落ちて、徹底的に痛められないと変われない、ということなのか?

自壊に向かうもうひとつの現象は「野蛮化」と「幼稚化」。
これは、昨今の犯罪傾向などに如実に現れてきている。

そして「情報汚染の拡大」。
この論文が発表された頃はまだインターネットなんてこの世の中に
普及してなかったハズ。
テレビに加えネットの普及は、まさに情報氾濫の様相。
受け手の情報処理能力や許容量、感性の耐性などおかまいなしに
情報汚染は拡大し続け、自主的な思考を妨げることを著しく
助長している。
人間が生身で行動し、実体験を重ね、世の中を生きて行くという
実体・実感の尊さが薄れてしまっているのではないか、とオレも
時々自らの言動を振り返って思うことがある。

著者の舌鋒は最後まで鋭く、イデオロギーまでに及んでいる。
「疑似民主主義は放埓とエゴ、画一化と抑圧とを通じて、日本社会を
内部から自壊させる強力なイデオロギーであった」と。

ん〜、読んでると何だかエラい学者のオジサンに理路整然と
叱られているような気分になってしまうが、その論理は明快かつ
ストレートで小気味良い。ウジウジしてない。
今の時代にこの警世の書が見直されている所以のひとつだろう。


2012.06.24:ycci:count(1,239):[メモ/コンテンツ]
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