ぶっくぶくの部屋

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あまりにも天気が良かったので、市内を西から南、
そして東から北へと約30km、ほぼ一周を自転車で
まわってみた。
市内の高校や中学のグランドでは、練習試合か公式戦か
わからんが、少年たちが盛んに白球を追っている。
思わず自転車を降りてネット越しに観戦。
だんだん白熱してきて、思わず
「バッター、いったれ〜」とわけのわからん大声を
あげていた。そしたら、オレみたいな「立ち止りオヤジ観客」が
まわりに何人もいて、それぞれに声援をおくっているではないか!
なんか、みんな少年の頃に戻って、自分が野球してるみたいだなあ〜。
そう、みんな野球が好きなんよ。
最近はサッカー好きが多いみたいだけど、オレたちの世代から
上は、やっぱ野球なんだなあ〜。

File No.310
『民俗のふるさと』宮本常一(河出文庫 760円)
オススメ度★★★★☆

本の帯に
「宮本民俗学の最高傑作!」
「日本論の決定版」
とあっちゃあ、宮本常一を信奉しているオレとしては読まない
ワケにはいかない。
毎日毎日噛みしめながら読んで、そんなに厚い本じゃないのに
1週間もかけた。
その甲斐のあった名著。

村や町の成り立ち、その習俗や暮らし、古いものと新しいものが
混在しながら発達してきた日本の民衆史…、
まさに目からウロコの連続。

この本が書かれた昭和39年頃、あるいはそれ以前、
東京の浴場(銭湯)約2000軒のうちおよそ半分が
新潟県人の経営だったという。
それは、地方から東京へ働きに出てきた労働者の数が
千葉県に次いで新潟県が多かったことと、いろんな肉体労働の
中のひとつに風呂屋の三助(釜焚き)があって、それを
生業とするものが増えていったらしい。
やはり新潟県人というのは昔から才覚があったのだろう。

もうひとつ。
市民全体がひとつにとけあうような祭りを持っている町と、
そういう祭りをほとんど持っていない町がある。
そのワケは?
城下町では、かつて町人の上に武士がおり、市民意識はなく、
すべては主君の為にという意識が占めていて、民衆が
ひとつになって沸きたつような祭りなんて望むべくも
なかったのだと宮本はたくさんの事例を紹介しながら
分析している。

さらにもうひとつ。
なぜ「村ハチブ」というのか?
それは、村の付き合いを10と見て、火事の時と葬式の時
以外は付き合いを断つというところからきているそうだ。
絶交状態でも一番苦しくて大変な時は助ける、そして
よっぽどのことがないと「村ハチブ」にはしない、という
日本の憐憫の情が感じられる。

この本は、何も「ウンチク」を並べ立ててるワケではない。
自分が生きるコミュニティの成り立ちと変遷、そして古く
からあった美徳を生かしつつ、現代を生きて行くという
味わい深い知恵をオレたちに与えてくれる。

最後に宮本はこう書いている。
「古くからものと新しい文化のからみあい・融合によって、
日本の文化は日本の文化として発達していくであろう」
日本固有の文化をことさら美化も卑下もしない。
自分自身もその担い手の一人として、ただ肯定し受容し
ていくという宮本の姿勢がオレは好きだなあ。

2012.05.20:ycci:count(1,321):[メモ/コンテンツ]
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