ぶっくぶくの部屋

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「洗濯機が壊れた」とここ数日家人が騒いでいる。
新しく買い替えるにあたって、性能とか価格とか
調べて選んでくれと言われるのだが、こちとらそんな
煩雑なことはまっぴらごめん。
第一、洗濯機の性能なんてオレにわかるハズがないじゃないか。
洗濯機だけでなく、電子レンジや炊飯器の使い方だって知らない。
最近のテレビやレコーダーのセットだって一人じゃ出来ない。
スマホも当然持ってない。
スマホを自在に操る人はまるでマジシャンのようだ。
要するに「デジタル音痴」且つまれにみる「めんどくさがり屋」。
でも、パソコンやケータイは少し使える。
仕事に必要な最小限だけだけど…。
すべてアナログだあ、とも居直れないんだなあ〜。
こういう中途半端な中年を「ちょいデジおやじ」とでも呼ぶの
かしらん?
まあ、いずれにしたってアタマもココロも基本アナログだけどねえ。

File No.305
『わが母の記』井上 靖(講談社文庫 476円)
オススメ度★★★☆☆

井上靖の著作は中学・高校の頃から親しんでいた。
とくに自伝的作品である『しろばんば』『夏草冬涛』『北の海』
は、著者の少青年期の抒情が、伊豆湯ヶ島や金沢の風景描写とともに
心に刻まれた。
ごく何気にこの本を手にとった後に、来月に映画公開されることを
知った。
そして、この本を読み始めた頃、オレの老母も少し体調を崩して、
老いが確実にやって来ていることを改めて知らされた。
この時期にこの本…、なんだかめぐり合わせみたいなものも感じる。

この本は、著者の母・八重の高齢期の記録のような小説である。
母八十歳の頃の第一章「花の下」。
八重は同じことを何べんも繰り返したり、大昔のことを話したり
するかと思えば、時々正気に戻る、いわば「まだら」状態。
八十五歳の頃の第二章「月の光」。
八重の老耄はさらに進み、家族の認識が出来なくなったり、徘徊
したりする。
そして死期を迎える最終章「雪の面」。
この頃の八重は、老耄ながらも自己主張する体力もなくなる。
そしてだんだん幼女に逆戻りしていく。
父や家族らと暮らした30代・40代・50代、それ以降の記憶
が見事なまでに彼女の中から消去されていく。
息子・娘にとって、これほど悲痛なことはない。
そういう老母の変化の傍らにあって、著者はあくまでも一見冷静そうに
筆を進めてはいるが、嘆息・失望・懊悩の連続だったに違いない。
家族との思い出が次々と消去されていく実母の姿を見て、
平気でいられるわけがない。
母の頭の中には一体どんな想念が浮かんでは消えているのだろうか、
と思いつつ、やがては大きな恩愛で包み込んでいこうとする息子…。

やっぱ、男の多くは母親に特別の情を持っているのかも知れない。
異常な母子愛は別として、フツーの母と息子の間に通う特別の情
みたいなものをマザコンと一括してしまうのは、ちょいと人間が
浅はか過ぎる。

2012.03.20:ycci:count(1,075):[メモ/コンテンツ]
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