ぶっくぶくの部屋

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某地区の新そばまつりなるものに行ってみた。
数年前にも行ったことがあるので、最も混むお昼の
少し前に到着するよう行ったのだが、会場周辺はもはや
車の洪水状態。
げっ、帰ろうかなと思ったけど、わざわざ券を調達して
くれた人の顔が浮かんで、何とか思いとどまり、意を決して
会場内に。
げっ、げっ、げっー、すでに80人ぐらいいる。
しかも、そのうち30人ぐらいはまだ座れないでいるではないか。
さらに、食べてる人は10人足らず。
ということは、オレにまわってくるのは70人目?
でも決めたんだから並ぼうと思い、列の最後尾に。
比較的心は穏やかだったのだが…。
わずかに3分後には会場を出て車へスタスタ。
後ろから、「あ〜あ、やっぱり」というあきらめと、3分しか
待てない男への憤りが交ったような表情で家人が走ってきた。
ん?、3分っていうと、オレが待てるのはカップラーメンまで
なのか…?

File No.283
『新聞資料集成−昭和の米沢(一)−』米沢市史編集資料第24号
(米沢市史編さん委員会 1700円)
オススメ度★★★★☆

先日、伝国の杜のショップを眺めていたらこの本が目に止まり、
パラパラ立ち読みしているうちに面白くなって、ついに買って
しまった。
これは、昭和2年から6年までの米沢の新聞記事抜粋である。
なあんだ、新聞の切り抜きかと侮るなかれ。
その内容は実に興味深い。
今から約80年前の昭和初期、米沢ではこんなことがあったのか、
あんな出来事があったのか、という驚きの連続だ。
それこそ、ヘタな小説よりずっと面白い。

例えば、昭和4年3月某日の記事。
その驚くべきタイトルは「珍味白鳥」。
市内某そばやで白鳥の試食会を行ったところ、牛肉のような色と
歯切れで、味わい淡泊にして珍味、とある。
ええっ、白鳥食べたの?
その上、食べたい人はぜひいらっしゃい、大勉強で料理するから、
との宣伝まで付いている。
ハクチョウを食べたんだ……

昭和5年10月某日の記事は「火の海と化すこと19回」。
米沢300年大火災史のあらましが報じられている。
300年というと、江戸時代から大正ぐらいまでか。
この間、米沢では19回もの大火災が起きており、1回あたりの
平均焼失戸数は610戸。
中でも大正6年に代官町から起きた大火災は、焼失戸数2291戸
と群を抜いている。市街地の大方が焼失してしまったと言っても
いいほどの大惨事だったことがわかる。

火事と言えば…
小学校にあがるかあがらないかの頃、夜中に近所で火事があった。
ご幼少のオレはトーゼン夢の中だったのだが、少し近いので
起こされ、身の回りの支度をさせられた。
何が起きてるのかわからないオレは、ボーとしたままトイレへ。
小便器に立って外を見たら、大きな炎が眼前にあがっていて
びっくり。そのまま腰が抜けちまった。
用便は止められようもなく、そのまま…
地震・カミナリ・火事・オヤジとは良く言ったものだ。
子どもが怖がる代表的なものだが、オレは、情けないけど
中年になった今でも、この四つは少しコワイのよお〜。

File No.284
『新聞資料集成−昭和の米沢(二)−』米沢市史編集資料第25号
(米沢市史編さん委員会 1500円)
オススメ度★★★★☆

昭和の米沢(一)が余りにも面白いので、確か(二)以降があった
ハズだと思い探してみたら、あったよ、あったよお。
さっそくむしゃぶりつくように読み始めた。
この(二)は昭和7年から13年までを収録している。
編者の一人である故・小山内氏も解説に書いているが、
この時代は、満州事変から支那事変へと大陸での戦局が拡大し、
後の太平洋戦争へと国家全体が突入して行こうとする重苦しい
世相の中にあった。しかし、苦難の時代をたくましく生き続けた
当時の人たちの生きざまもまた尊く思う、と。

この時代のエポックは、何と言っても昭和11年の記録的豪雪
である。
1月18日午後零時50分に興譲館中学(旧制)の講堂が大雪で
倒壊しペシャンコに。
続く1月22日の記事では、電線が通行人の咽喉につっかえったり、
家の中では昼間でもランプを使用したり、市内の学校もほとんど
休校となるなどの状況を報じている。
いつやむとも知れぬ雪に、住民は戦々恐々の日々を送っていると。
うむ〜、この頃から比べると、米沢の雪もだいぶ少なくはなって
きているのかなあ〜。とは言っても、数年前の1月4日のように
一晩で70cmということもあるから、ゆめゆめ油断はならぬ。

もうひとつ挙げると、八幡原飛行場と八木橋競馬場。
米沢にはかつて、飛行場も競馬場もあったのだ!
八幡原飛行場は、今の工業団地あたりにあったらしく、その
痕跡がわずかにうかがわれるという話を前に聞いたことがある。
今はどうかわからないが。
今も八木橋競馬場があったなら…、
おそらく開催日ごとに通いつめて熱狂してるだろうな、きっと。

いずれにしても、膨大な量の新聞資料を渉猟し、ひとつひとつ
吟味しながら地道に編んでいったご労苦と、米沢の来し方・足跡
を次代に継ぐという偉業に、改めて敬意を表したい。
「過去とか歴史よりも今と未来が大事」と言う人がいるが、
それはその通り。でも、オレたちは、過去〜現在〜未来の連綿たる
途切れのない流れの中に在るのだということも忘れないように
したいものだ。




2011.12.11:ycci:count(1,382):[メモ/コンテンツ]
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