ぶっくぶくの部屋

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今年の秋はなかなかに忙しい。
もともと公私ともにイベントが多い季節であることに加え、
大震災の影響で春のイベントが秋になったりして、ほとんど
毎週末と言っていいほど、なんやかんやあるなあ。
朝晩も急に秋らしくなってきて、世の中はいよいよ行楽シーズン。
春先に心身ともに沈んでしまった分を取り返そうとするかのように、
動く、騒ぐ。
消費支出が増えて、たいへん良いことだ。
でも、オレにとっちゃあ、行楽の秋ならぬ「乞う楽」の秋だなあ。
楽しみしていたツールドラフランスも応募者多数で締め切って
しまってエントリーできなかったし…。
なんか楽しみつくらなきゃなあ〜。

File No.259
『ふるさとの生活』宮本常一(講談社学術文庫 880円)
オススメ度★★★☆☆

自分たちの生活の習俗・風俗(ヘンな意味じゃなくて)・慣習などの
ルーツや変遷、町や村の成り立ち、さらには、祭りの成り立ちなどを
知りたいと思ったことはないだろうか?
そんな年寄りっぽい、と思われるかも知れないが、オレは20歳に
なる前からそういうことに興味があって。
そういうことを調査研究する学問が「民俗学」であるということを
後から知った。
そして、わが国の民俗学界には、柳田国男と折口信夫という二大巨人
がいることも。
その二人とはまた別に、日本列島をくまなく歩き回り、各地に残る
伝承や口伝などを調べ、膨大な著作を残した「歩く巨人」宮本常一
がいたことは、もっと後になって知った。
この本は、日本古来の村がどのようにして出来て、そこの住人が
どのように暮らし、今の現代へとどのような変遷をたどってきたかに
ついて、きわめて平易に説いている。
いわば、若年層向けの「民俗学へのいざない」という趣き。

第1章の「ほろびた村」では、奈良県の十津川村が出てくる。
そう、この間の大雨で大きな被害がでたところである。
実は、この十津川では、明治22年にも大水があって、いたる
ところで山崩れが起き、約600戸ほどが北海道に移住し、
それが今の北海道新十津川町になったそうだ。
また、津波で亡んでは再興を繰り返してきた三陸のことも
ふれている。
そういう天変地異に翻弄されてきた痕跡を訪ね歩きながら
考察する宮本常一の眼差しは、人間の営みに対する深い
慈愛を湛えている。
「…新しく土地をひらいて住みついてゆくときには、人はみな、
自分のいちばん困った時のことを考えて、そのときをきりぬける
ことに重点をおいて村をつくったようです。…なんとかして
世の中を住みよくしようとする努力は生きとし生けるものの
なかにあったといってもいいと思います」
宮本民俗学が、学問のための学問ではなく、人生をより良く
生きるための学問であることの証のような言葉でもある。

文字に書かれたものだけが歴史ではない。
書き文字を持たなかった、いわば「無字文化」を口承や口伝、
痕跡などをたどりながら解き明かしていく庶民の生活・文化は
すごくリアリティがある。
気の遠くなるほど膨大なフィールドワークの積み重ねが、
やがて宮本常一の代表的著作『忘れられた日本人』につながっていく。

一度入ってしまったら、その面白さの虜になってしまうような
宮本民俗学ワールドの、門の前で「おいで、おいで」をしている
ような本でもある。
オレ自身、そんなに深く入ったわけではないが、年とって
「毎日が日曜日」みたいな時がきたら、1〜2年ぐらいずっと
宮本常一の世界にひたっていたいもんだと思う。
その時までボケないようにしなきゃなあ。

2011.09.24:ycci:count(861):[メモ/コンテンツ]
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