ぶっくぶくの部屋

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昨日、密かな願いがかなってひとりニンマリ。
というのは、手作りの皮・行者ニンニク・石垣島ラー油で
餃子を食べてみたかったのよ。
中でも石垣島ラー油は入手困難らしく、今まで口にできなかった。
それが、数週間前に思いがけず知人からいただいて、思わずカンゲキ。
そして昨日、これもひょんなことから行者ニンニクを入手して…。
3点のうち2点がそろえばもうこれはやるっきゃない、というか
やってもらうっきゃない、とばかりにシブる家人をなだめ・すかし・
おだてながら、ようやっとありついた。
うんまいなあ〜。
でも、われながら望みが小さすぎるかなあ〜。
食べ物より大事なことがあんだろっ!
人はパンのみに生きるにあらず!
中年よ、もっと大志をいだけ!
と、自らを叱咤して…、あとは満足して寝たっ。
(なんだこりゃ)

File No.239
『わが人生の歌がたり』五木寛之(角川文庫 590円)
オススメ度★☆☆☆☆

なんで★ひとつの本なんか紹介すんのよ?と思われそうだが、
これは決して中身が面白くないから、というわけではない。
この本には、昭和初期から終戦直後ぐらいまでの歌謡曲を中心にした
50曲の歌(歌詞)が収録されていて、その時々の時代の雰囲気や
著者の想いを重ね合わせている。
みんなも憶えがあるでしょ。
あの時、あんな歌が流れていたなあ〜と。
おれもいくつかある。
亡父が忘年会で披露するために毎晩お風呂で歌っていた「星影のワルツ」。
中学生の時、友人宅で初めて聴いてブッとんだビートルズの
「マジカル・ミステリー・ツアー」。
山陰の寂しい街の商店街で流れていた「秋止符」。
初めてのコンサートで肌が粟立った「銀の指輪」。
雨にけぶる柴又で流れていた「矢切りの渡し」。
何となく寂しいという気持ちがわかったような「愛の休日」。
行ったこともない南国に憧れた「ブルーハワイ」。
試合の前の日に何度も聞かされた「柔」と「王将」。
田舎者がいっぱしの都会気分に浸った「愛はきらめきの中に」。
カラオケなるもので初めて聴いた熟女の「抱擁」。
などなど…。
その時々の思い出とともに甦ってきて懐かしい、というか気恥ずかしい。

しかし…、
この本に収録されている曲、ほとんど知らないのよオレ。
数曲は聴いたことがあるけど、フルラインは歌えない。
つまり時代が違うんだね。
だって、五木寛之はオレの親世代ぐらいだから、トーゼンと言えば
当然のことなのだが。
これが、同世代ぐらいだったら、もっともっと感情移入できたかも。
でも、さすがは五木寛之、いいこと言ってる。
「流行歌というのは、悲しみの中で生きてきた人たちの鎮魂歌の
役割も果たしている…みんなが軽く捉えがちな流行歌だが、万感の
思いを託して歌ってきた、日本の庶民の歴史もある。流行り歌は
ばかにはできない」と。
また、
「流行歌は優れた表現であると肩肘張って言う気はないが、実際に
さまざまな苦境の中で、歌を口ずさみながら生き抜いてきた人間に
とっては、音楽的にレベルが低いかどうかは無意味なこと。
片片たる歌にさえ人間は支えられるものだという実感がある」
そう、そのとおり。
カラオケもウマいヘタじゃなくて、ココロなんだ。
(言い訳じみてるが)
でもね、半強制的に人の歌を聴かされるのも少々苦痛だね。
半強制的に歌わされるのもイヤだけど。
自然がいちばん、ってこと。
歌いたくなったら歌えばいいじゃない、ということかな。
それこそがソウル!


2011.06.13:ycci:count(653):[メモ/コンテンツ]
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