ぶっくぶくの部屋

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今日でぶっくぶくがちょうど200回目。
100回目が昨年12月20日のことだから、
1年で100冊、およそ3〜4日に1冊というペース
になる。
多いんだか少ないんだかよくわからないが、以前から
比べれば確実にペースダウンしている。
そして、難しそうな本にチャレンジしなくなり、
「面白さ」に重点を置いた選定になっている。
社会人になって10数年間は小説なんてほとんど読まなかった
のが、ある時から突然推理小説にハマり、松本清張全集を購入。
次いで時代小説・歴史小説とマイブームは移っていき、
ついに60数巻に及ぶ司馬遼太郎全集を買うという、
自分自身の経済力からすれば暴挙としか言えないような
投資もしてしまった。
読んでない本もまだまだあるし、これから自分の興味関心が
どこに向かうのかも楽しみだし、読書の妙味は一生続いて
いくのだろう。
このぶっくぶくも一生は無理だが、まあ、自分で飽きない
うちは続けたい。
でも、飽きっぽいからなあ、オレ…。

File No.200
『隠された十字架 -法隆寺論-』梅原 猛(新潮社 1300円)
オススメ度★★★★★

言ってみれば、マイベストブック10にランクインする一冊。
これを初めて読んだのはいつ頃だったのだろうかと、本の奥付
を見てみたら、「昭和53年8月30日35刷」とあった。
ん〜、新品で買った憶えがあるから、たぶん学生の頃だろう。
それから5、6回引越しをしていて、その度に本を処分して
きたのだが、この本はずうっと我が家の本棚で生き延びている。
そして、この本を読んでから、法隆寺にいく度か足を運ぶように
なり、あの荘厳で端然とした独特な空間に魅せられていった。

この本をおそらくオレは徹夜で一気に読んだ憶えがあるが、
今見ると、字が小さくびっしりで、とてもとても…。
読みきるのに4、5日かかるんじゃないかとおもわせるほどだ。
一気に読んだというのは、もちろん、すっごく面白くて
止められなかったからに他ならない。
寝食をも忘れる面白さとはこのことか、と初めて体感した
憶えもある。

著者の梅原猛は有名な哲学者。歴史学者ではない。
だからこそ、法隆寺のナゾ解明に独特のアプローチを試みる
ことができたのだろう。
この本は、数ある法隆寺のナゾに、史料の再検討や哲学的洞察
などを通じて迫る、いわば学術的歴史推理物といった趣がある。
いや、フツーの推理小説よりは、格段に深く、面白い。

数あるナゾの中でも、極めつけは中門の柱。
法隆寺に入る中門は、5本の柱で構築されている。
奇数の5本ということは、人が出入りする真ん中に柱が
立っているということ。
他にはあまり見られないこの様式には、思わずのけぞるような
著者の答えが待っている。
今、その部分を読んでみても、背筋がゾクゾクしてきてしまう。

答えはあえて書かないが、ヒントは祭りにある。
例えば、京都の祇園祭り。
そのクライマックスは、天高く鉾をあげた山鉾巡行。
ナゼ、山鉾を天にあげるのか。
それは、天にいる疫病神を突き落とすことが始まりと言われている。
昔の人は、非業の死にたおれた人の怨念を恐れ、鎮魂ということを
大事に考えていたのだろう。
法隆寺中門の5本柱のキーワードも鎮魂である。
誰が誰をどんな理由で…、というのが、この本のクライマックス。

著者の新説が史学界でどんな評価をされているのかは知らない。
学者でもないし、そんなことは余り関係ない。
大事なことは、これまで常識と思われていたことを無条件に
受け入れず、先入観を持たずに物事を見つめていかなければ
創造なんてできない、ということ。
時代を切り拓き、新しい創造主となるような人は、かくあらねば
ならぬ、ということなのか。

オレも多分、この本を読んだ頃は、そういう青雲の志に燃えて
いたのだろうが、自分の能力のタカがわかってくるにつれ、
「分相応の」とか「身の丈にあった」、「常識的に」などという
考えが占めるようになってきた。
それが大人になる、ということだったら、少し寂しいなあ…。

2010.12.19:ycci:count(793):[メモ/コンテンツ]
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