ぶっくぶくの部屋

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結局、今秋は山に行けなかった。
以前ほどではないが、毎年春秋それぞれ2、3回ほど
山に行くのが恒例になっていた。
もちろん、春は山菜採り、秋はキノコ狩りである。
今シーズンも何人かに誘われたが、なかなか都合が合わず、
沙汰止みになってしまった。
秋は何かと忙しかったし、自転車も乗りたいし…。
でも、山に行かなかった最大の理由は、
熊がコワい!

File No.193
『ながい旅』大岡昇平(筑摩書房 大岡昇平全集10)
オススメ度★★★★☆

戦史に関するいろいろな本の中に「岡田 資」という名前が
出てくる。以前から、この人となりを書いた本を読んでみたいと
思っていたところ、ひょんなところでこの著作の存在を知り、
本屋を探してみた。が、ない。
図書館に行って検索してみたが見当たらず、大岡昇平全集の
目次をずっと追ってったら、あった、あった。
やっぱ、こういう時に図書館って便利だよなあ。

さっそく借りてきて読み始めたら、決して読みやすい内容では
ないにもかかわらず、約200頁を一気に読んでしまった。
とくに最後のところは胸が熱くなった。

岡田資とは、第二次世界大戦のとき、東海軍司令官を務めた
旧陸軍中将。
なぜ後世でもその名が語り継がれているかと言うと、日本国内に
降下してしまったアメリカの爆撃機B29の搭乗員39名を
処刑し、その後の連合国軍軍事裁判で責任を一身にかぶって
絞首台の露と消えてしまったという事跡による。
この本は、横浜での軍事裁判記録と岡田の遺稿集を克明に
追いながら、岡田資の毅然たる生き様を描いている。
岡田資の主張は、捉えられたB29の搭乗員は捕虜ではなく、
国際法上禁じられている無差別爆撃を行なった犯罪者であるから
極刑にて断罪し、その責任は司令官たる自分が一身に負うという
もので、終始ぶれることはなかった。
戦争末期にアメリカが行なった無差別爆撃で、どれほどの無辜の
民が犠牲になったことか。広島・長崎への原爆投下なんて、
その最たるものである。
もはや敗戦が決定的な時期でもあったが、岡田資は毅然たる措置を
とった。
そして、軍事裁判でも「一切の責任は司令官たる自分にある」という
ことを貫き通し、多くの同輩や部下を極刑から救った。
責任を上司や部下に転嫁して自分だけ延命しようとした輩が続出した
中にあって、岡田はまさに真の武人である。
こうした岡田資の姿勢にアメリカ側の将兵も尊敬の念を抱いたらしい。
横浜裁判で岡田資の弁護人を務めたフェザーストンは、
「検察側は搭乗員が裁判なしに処刑された一本槍で、降下搭乗員は
ジュネーヴ条約の捕虜だったと言う。……彼らはそうではない。
彼らは当時の国際条約を冒しています。従って捕虜ではなく、
戦犯容疑者として扱われたのです」
と、この裁判における岡田資の主張の核心を論じている。
フェザーストンは終始日本のため、岡田のために、全身全霊で
論陣を張ってくれた。
そうした努力にもかかわらず、岡田に遂に絞首刑の判決が下る。
多くの人たちが岡田の助命減刑運動を行ない、裁判の検事や裁判
委員でさえも嘆願書に署名したほど。
しかし、皮肉にも、それが岡田の刑執行を早めてしまうことになった。
余りにも多くの人心が岡田に集まりすぎることをGHQがかえって
警戒してしまったらしい。
著者は、あまり脚色・演出をしないで岡田の最期も書いているが、
淡々としているだけに胸を打つものがある。

こういうものを読むと、日本人であることの誇りや勇気が少し
湧いてくる。
2010.11.28:ycci:count(953):[メモ/コンテンツ]
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