ぶっくぶくの部屋

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先日古本屋に行ったとき、本があまりにも安く売られて
いるのに改めてオドロいた。
数年前に刊行されたばかりの千数百円の単行本が、なんと
105円で売られている。
中には、オレが持っている本もたくさんあった。
ということは、オレが宝の山のように思っている自宅の
多くの本どもも、しょせんは二束三文ということか。
売って処分するよりも有効な活用法を今から考えて
おかないと…。
そう言えば、今から30数年前、段ボール箱にぎっしり
と詰めたほぼ新品の受験参考書を渋谷道玄坂の古本屋に
売りに行ったことがある。
オレは、参考書を買えばもう勉強した気になってしまう
「特技」を持っていて、それはもう一時期買いまくった。
それらが必要でなくなった時に、ひと財産を換金する
つもりで古本屋に行ったのだが…。
最初は、「買い取れない」という店主の言葉にアゼン。
再度頼んでも同じこたえ。
仕方なく、また持ち帰れないのでタダでもいいから
引き取ってくれと言ったら、店主が苦笑いしながら
500円くれた。
新品での値段はおそらく4〜5万円はしただろうものを。
ニーズのあるところにしか値段はつかないとわかっていても、
昔も今も古本の値段には個人的に合点がゆかぬ。

File No.180
『みをつくし料理帖 今朝の春』高田 郁(時代小説文庫 590円)
オススメ度★★☆☆☆

なんだかんだ言ってまた買って読んじまったこのシリーズ。
どうも気になってしまうんだなあ、続きが。
ひと昔前に流行った「24」や「Xファイル」などの続き物の
映画もそうだったよなあ。次どうなるのかが早く知りたくて、
何かに憑かれたかのように見まくったことを憶えている。
終わってみると、たいした内容でもないんだけど、
「つづく」「つづく」の商業的魔術にみごとひっかかってしまう。
でも、この「みをつくし料理帖」シリーズは、だんだん
面白くなってきた(=それがもうハマってる証拠なんだが)。
澪と小松原の行く末、太一の声、あさひ太夫の過去、などなど
すごく気になる。とくに、これからは佐兵衛の行方がだんだんと
わかってくるような趣向になるのではないか。
そうなると、また読まずにはいられない。
まるで、オレ自身も江戸時代にタイムスリップして、「つる家」
の一角で市井の人間が繰り広げる人情ドラマを見ているかの
ような錯覚に陥る。
同じような感覚は、浅田次郎の「天切り松」シリーズにも
共通している。こちらの方はしばらく続きが出ていないので
ヤキモキしている。
シリーズを重ねる毎に、人情の機微にも触れるようになってきた。
感情をよく描き出しているなあと思わせるところが随所に出てくる。
そして何よりも、「料理は人への思いやり」という底流が
ブレないところがいい。
誰かの言葉ではないが、やっぱ、料理は一に愛情、二に段取り
なんだなあ。
ん?、仕事も一に情熱、二に段取り、ということか。
人間なんだから、一に「情」がほとばしるようでなきゃなあ。

今回は四つ★と思ったけどヤメタ。
その理由は、カンペキな誤植が1箇所あったこと。
読んだ人、気付いた?
売り物である限り許されないことだろう。


2010.10.11:ycci:count(770):[メモ/コンテンツ]
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