ぶっくぶくの部屋

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「おとうと」って映画がなかなか面白かったらしい。
らしい…というのは、オレ観てないけど、わが母君が
観てきたらしい。
これも、らしい…というのは、実は殆ど親子の会話がない。
気が付いてみると、一日の会話は、「おはようさん」と
「いってきや〜す」しかなかったりして…。
こんじゃあ、余りにもマズイというか、ツメタイ。
よおしっ、明朝は「おかげさんで今朝も快便でありました」
とでも言ってみようか。
(われながらバガだず、ほんとに)

File No.129
『大いなる看取り』中村智志(新潮文庫 590円)
オススメ度★★☆☆☆

「ぼくは、この本に触発されて『おとうと』を撮った」
(山田洋次)というオビの文句につられてこの本を買った。
東京・山谷のドヤ街にある「きぼうのいえ」という
ホスピスでの人間模様を描いたノンフィクション。
ドヤ街だけに、登場する人々は、普通ではないそれぞれの
事情を抱えている。
たとえホームレスしてても、最期には優しく看取られる、
という趣向だが、すべてそううまく話がいくわけではない
ということも、かえって現実味を増している。
中でも、第8章「ある愛の終着駅」は涙を誘う。
ある中年の男と女が北海道で出会う。
男は妻子もちの単身赴任。女は夫と死に別れた子持ちの
未亡人。ふたりはほどなく結ばれ、駆け落ちのように
上京する…。と、ここまでは、よくありそうな話だが、
そこから、二人は切れない絆を培っていく。
初老にさしかかり、これから二人で住み込みの仕事に
就こうとした矢先に、女にガンが見つかる。
そこから看取りまで、男の深い献身的な愛情が注がれる。
男が残してきた妻も、大いなる許容の愛を男に注ぐ。
やっぱ、愛情と言うのは、相手のことをしっかりと見つめ、
受け止める、というシンプルなことが基本なんだなあ、
と改めて感動させられた。
こればかりでなく、他のケースもなかなか興味深い。
きれいごとだけでは終らないケースもある。
感動させられた割には評価が少し低いのは、筆者が
対象に入りすぎているような場面があったため。
なぜそう感じるのか、というと、筆者はわかってても、
読むほうがよく事情や雰囲気や間合いの空気などが読めない
ようなところかなあ。
きちっと伝えるには、伝え手が冷静でなければならない。
ある人が言った言葉を思い出す。
「喜劇役者は、決して自分で笑いながら演じてはならない。
悲劇は、大げさな悲しみの演技が鑑賞側の心をかえって
しらけさせる」
ナルホド!
いろいろ思い当たることがあるなあ…。
大真面目な顔してトボけるのは、すっごい面白いけど、
最近、大ボケかましが素になったりして…ヤ、ヤバイ…。
大脱線のボケかましたところで、See you again.
2010.03.18:ycci:count(1,050):[メモ/コンテンツ]
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