ぶっくぶくの部屋

ぶっくぶくの部屋
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今日、とあるところで、とある人に、
「自転車の合間に仕事やってんじゃあないの?」って
冗談言われて、ちょっとカチン。
「それはアナタじゃないの。オレは平日なんて乗るヒマないし、
休日だってヘタすりゃあ乗れないんだゼ」
って心の中で大反論。
でも、ホント言うと晴れた日の早朝なんて乗りたいなあ。

File No.81
『地域再生の経済学』神野直彦(中公新書 680円)
オススメ度★★☆☆☆

ちょっと前に読んだ『ペダリスト宣言!』の中で、この本が紹介
されていた。確か、「まちづくりや地域振興にかかわる人の
必読書である」とかなんとか。
ん、じゃあ、そのはしくれにいる身としては、読まなきゃならん
べえ、ということで、さっそく買ってきた。
読み始めると、何だか難しそうで頭にスンナリ入ってこない。
頭が悪いって言えばそれまでだが、この著者ちょっと書き方が…。
一昔前の大学教授のおエライ学術論文って感じ。
でも、でも、しかし、内容はスゴくいい。
後半になってくるほど良くて、「地域再生ってそういうことだよなあ」
って感心することしきり。
やっぱ、これは必読書だわ。
この本の論旨は、
日本は重化学工業主体の大量生産・大量消費の市場主義経済から、
地域コミュニティを再生し、人間らしい生活の持続可能性を追求
していくべき、
というもの。
ここには、地域における産業の空洞化や、中心市街地の空洞化が
なぜ起きたのかについて、きわめて論理的に説明している。
「産業の空洞化は、国内企業がより安いコストで生産できる海外に
フライトしたからでしょ」というのは簡単だ。
じゃあ、なんでそうなったのか?
地域の生活で必要なものを地域で生産・販売していれば、ここまでは
ならなかったものを、アメリカンスタイルの欲望追求型の大量生産・
大量消費が、結果的に地域共同体を崩壊させていった、と著者は
説明する。
だからと言って、これまでの市場主義経済を全面否定しているわけ
ではない。アメリカンスタイルの市場主義経済は、われわれの生活を
格段に豊かにしてきたことは事実だ。
でも、これからは違う。というより、そのスタイルはすでに破綻しつつ
あり、地域コミュニティを再生しながら知識社会を構築していかなけれ
ば、みんなが人間らしく生きる未来はやってこない。
こういう時代を著者は「エポック」と言っている。日本語で言うと
「画期」。
某大学教授に言わせると「トランスフォーメーション」。
その昔、手工業から重化学工業へのエポックがあった。
そして今は、工業社会から知識社会へのエポックを迎えている。
この本では、地域再生に成功している事例もあげている。
そのひとつが、フランスのストラスブール。
国内では、由布院や掛川、高知、札幌など。

なんだか、充分に説明できないが、地域再生は地域住民の意識と
行動をドラスティックに変えていくことであるという思いが
沸き起こり、少し心が熱くなった。

久しぶりにロードへ。
実は、ロードバイク借りたんでどうしても乗りたかった。
旧型だけど、やっぱスピード感が違うなあ。
中秋の風景もいいねえ。
ここに住んでて良かったとつくづく思うひと時でもある。
いよいよ来月はツールド・ラ・フランス。
競技ではないとは言え、無様なことにならないように
トレーニングに励まなきゃ!

File No.80
『新忘れられた日本人』佐野眞一(毎日新聞社 1500円)
オススメ度★★★☆☆

佐野眞一の書くものには、いつも心を熱くさせられたり、
人間の奥深さを感じさせられたり、事実の圧倒的な力に
感動させられたりしてきた。
近著で言えば『甘粕正彦 乱心の曠野』。
アナキスト大杉栄殺しの主犯格の憲兵にして、満州の夜に
君臨した底知れぬ男というイメージの甘粕だったが、実は…。
その取材力のスゴさに圧倒されるとともに、真の甘粕像が
徐々に浮かび上がってくるようで、時が経つのも忘れて
読みふけった。
佐野眞一のすごいところは、これが一作や二作ではないということ。
『巨怪伝』、『旅する巨人』、『遠い山びこ』、『カリスマ』など
など数多くの労作・秀作がある。
今回上梓されたのは、その膨大な取材の中から拾い上げた
脇役・影役的な人々の記録。
いずれもが特異なキャラで数奇な運命を歩んでおり、興味が
尽きない。
中でも春日一幸はとくに面白い。
「だれ?そのひと」って思うかもしれないが、
今はなき民社党という政党の委員長を長らく務め、ダミ声と怪異な
風貌で、一目見たら忘れられないキャラのご仁。
もちろんレッキとした国会議員様。
愛人7人、一日ショートホープ15箱(150本!)、抱腹絶倒の
国会演説と自称「前衛詩」。
こんなおっちゃんが近くにいたら、毎日でも茶飲み話や酒飲み話に
押しかけるだろうなあ。どんなにワクワクすることやら。
渋沢篤二もなかなか。
また「だれ?」ってか。
渋沢栄一の息子にして渋沢敬三の親。
なんとこの篤二、放蕩が祟って栄一から廃嫡の憂き目に遭う。
でも、芸能趣味は多彩で、いずれもが玄人はだしだったと言う。
こういうおっちゃんも好きだなあ。
廃嫡されるぐらいの放蕩三昧っていったいどんだけ〜。
そのぐらいの放蕩してみたいもんだけど、廃嫡される前にわが家が
つぶれているだろう。

全編を通して感じられるのは、佐野の人間に対するあくなき関心と
洞察、そして慈愛の眼差しである。
「人間って深いし、様々だし、すごく面白い」と思わせてくれる
好著である。






今日は日がな一日雨。
「チェ、ついてねえ」
おっとっと、そうは思わず、ここは気分を入れ替えて「雨読」に
没頭することにして、今話題の本を読み出した。

今をさかのぼることおよそ7年。
北朝鮮に拉致されていた被害者のうち5人が「一時帰国」した。
忘れもしない、2002年10月15日。
そのうちの一人が蓮池薫さん。
テレビでも何回ともなく映されたからおわかりだろうが、
大人しそうな、優しそうな人柄がにじみ出ているような方である。

File No.79
『半島へふたたび』蓮池 薫(新潮社 1400円)
オススメ度★★★☆☆

こんな優しそうな面影の奥底に、24年間にも及ぶ拉致の過酷で理不尽な
日々にさいなまれていた苦労が隠されている。
この本は、朝鮮半島の南(韓国)を旅して、北(北朝鮮)との関係性や
相違について考えてみるという第一部と、翻訳家として踏み出した足跡を
綴る第二部の構成になっている。

第一部は、同じ陸続きの半島の南と北の違いの見聞記が興味深い。
ナント、オレ自身、南と北が同じ言語を使っていることさえ、この本を
読むまでは確信がなかったほど疎かった。
朝鮮半島に共通する食文化と言えば「キムチ」。
晩秋の「キムジャン」(キムチを作るシーズン)は南北を問わず
あわただしくも賑やかな様相を呈する。
北朝鮮には「キムチ休暇」なるものもあるそうな。
なんだか我が地方にも一昔前まであったという「雪下ろし休暇」に似てて、
腹の底からは笑えない気分。
日本と底流は同じだなあって思わせるのが、陰陽五行説による色の効用。
とくに、火にあたる赤は、厄を払い幸せを願う色として尊ばれている。
そう言えば、小豆も赤、お守りの表書きも朱、というのは、その流れ
を汲むものではないだろうかと思わせる。
国家を二分する因となった朝鮮戦争の歴史認識も、南と北では大きく
異なる。それぞれが自国をある程度正当化していることは言うまでもない。
でも、これは朝鮮半島に限ったことではなく、世界中至るところで
見られる現象である。
正当で客観的なものの見方がいかに難しいことであるかを著者も
痛感している。
だからこそ、韓国の作家金薫との交流は、著者にひとつの示唆を与えて
いる。それは、「先入観を捨て、物事をありのままに見る」ということ。
先入観を捨てる、とは言うほど簡単なことではない。

韓国を旅して、著者は結論的にこう書いている。
「(南北は)あれだけ国家の政治体制及び社会体制、思想理念が違う
にもかかわらず、衣食住をはじめ、社会・生活の伝統的な部分は、
ほとんど同じだった」と。
全編を通じて、拉致されて北朝鮮で不遇な月日を悶々とおくっていた
日々の辛さや鬱屈が随所に出てきて、読んでいる方も心の痛みを
感じる。
でも、オレの読後感は、蓮池薫さんは日本の魂を失っていなかった
のだということに尽きる。
とくに第二部で、蓮池さんが市役所職員、大学教官、翻訳者として
いろいろな人たちとの関わりの中で日本人としての意識・良識を
着実に取り戻していく様をみて、少しばかり明るい気分になった。
「少しばかり」としたのは、蓮池さんも書いているが、未だ
帰国していない多くの拉致被害者の方々消息に思いを馳せ、心から
その身を案じているからである。
何とか全員が帰国(奪還)を果たせるよう願うばかりだ…。

この連休もクルマ多いねえ。
これじゃあ、なんぼ駐車場あっても足りないし、
第一、道路自体がオーバーフロー状態だわ。
そろそろ「減クルマ」のことマジで考えていかないと。

File No.78
『ぺダリスト宣言! 40歳からの自転車快楽主義』
斎藤 純(NHK出版生活人新書 700円)
オススメ度★★★☆☆

なんでタイトルに「?」をつけたか。
それは、この本も自転車乗りの楽しさを満載した内容だと
思ったから(本屋さんになかったので取り寄せたほど)。
確かに出だしや前半はそうだった。
しかし、中半から後半にかけては「むむむ…」って感じ。
話は、自転車の歴史から、芸術との関係、そして著者が住む
盛岡のまちづくり、さらには環境問題へと飛躍していく。
今までに読んだ「自転車本」とは、かなり趣きを異にする
内容だ。
でも、自転車を通じて自分のライフスタイルや社会参加の
あり方を見直していく」という本書のテーマは胸に響く
ものがあった。
著者が取り組んだ「盛岡自転車会議」。
環境への負荷を減らして、もっと街を楽しむスローシティへの
取り組みは、まさにナルホド。
街に歩行者を劇的に増やすのは、今の状況ではかなり難しい
ことかもしれないが、自転車での来街者を徐々に増やしていく
ことは、ひとつのテかも知れない。
著者が紹介している考え方は、LRT(ライト・レール・
トランジット)。要するに、中心市街地にクルマを入れず、
公共交通機関と自転車・歩行者だけにして、「街を楽しむ」
という思想。
フランスではストラスブール、日本では富山市が、それぞれ
LRTで成功している街とのこと。
確かにクルマは快適で便利で、長距離ドライブの流れる風景は
何とも言えない。しかし、ゆっくり街を楽しむのは不向き
である。
しかも、クルマは自転車の224倍のエネルギーを使って走って
いるそうだ。
でも、オレはクルマ否定派にはならない。
雨の日、雪の日は便利だし、クルマにもそれ相応の文化がある。
クルマと自転車をうまく使い分けて、少しばかり「ロハス」な
ライフスタイルに徐々に変えて行こうと、ささやかに考えて
いるだけ。
最後の方で、著者はいいこと言ってる。
「自転車はクルマやオートバイと違って、自分の能力以上の
ものは与えてくれない。…それなりのトレーニングを積んで
いなければ、100万円のロードバイクに乗っていようと、
高校生の乗るママチャリに坂道で簡単に追い抜かれてしまう。
…自転車に乗ることは、…自分がいかにちっぽけな存在で
あるかを思い知らされる。それは別の言い方をすると、
たとえちっぽけであろうと、僕は僕自身でしかないという
自覚を与える」
う〜ん、120%の共感。
数ヶ月前、18歳の甥のママチャリに抜かされて大いに憤慨。
地道にトレーニングを積んだお陰で、今はそんなことは
ない!へ〜んだ!
でも30kmものサイクリングをママチャリで息も切らせず
平然とついてくるのはナゼなの?

ああ、ロードバイク欲しい。
この本読んでますます思いが強くなってしまった。
たまらず愛車を駆って初秋の郊外へ。
いるいる、芋煮会。
だれか知ってる奴いないかなあって回ってみたけど、
全然知らない人ばっかなんで、仕方なく久方ぶりの
「さつき食堂」へ。
ん〜、うまいんだと思うけど、鼻かぜで味がよくわからん。

File No.77
『快適「自転車生活入門」』中野 隆(アスキー新書 993円)
オススメ度★★★☆☆

この本を最初に読むんだった。
自転車の選び方やメンテの方法、走行の注意、サイクリング術、
ツールド・フランスの観戦記などが面白くかつわかりやすく
書いている。
入門者におススメのスポーツバイクとして4車種が紹介されて
いたが、なんとそのうちの2台はオレの購入候補車種。
ズバリ、ブリジストンのアンカーシリーズとイタリア、ピナレロ
のFPシリーズ。
先日、知人と飲んだとき盛り上がって、3人ともピナレロを買う
ことにした。さっそく次の日自転車屋さんでFP3、FP2、
FP1を仮注文。
もちろんオレは、いちばん安い(といってもオレには高額な)FP1。
でも、そのあと、あれこれ迷った。
挙句に、今日また自転車屋さんに行ってオヤジさんに相談。
結果、アンカーのフルカーボン車の2010年モデルを買うことに。
おお、ついにオレも…。
でも、お金はどうする?
ま、月賦でもいいかなあ。
そんで、いつ納車?
「まあ、早くて12月、おそければ年明けだなあ」
が〜ん、真冬じゃん。
11月のツールド・ラフランスに友達とエントリーすることに
なってんのに、オレだけクロスバイクではなあ。
おっとっと、本題にもどって。
この本の良さは、これからスポーツバイクをやろうという人に
基本中の基本をわかりやすく書いてること。
それ以上に、サイクリングの楽しさ・面白さ・奥深さがジンジン
と伝わってくること。
運動そのものも爽快だが、風を感じながら疾走する心地よさが
心をリフレッシュする、という著者の意見に全く同感。
速さでなく、距離でもなく、大事なのは楽しさと心地よさ。
やっぱ、何事もやってみなきゃわかんないもんだ。



大河ドラマ「天地人」はいよいよ佳境に入ってきた。
天下の家康を向こうにまわして一歩もひけをとらない
「直江状」のくだりは、この物語のクライマックス。
ん?何か足りなくないか?
前田慶次が出てこないじゃないか!

File No.76
『戦国風流武士 前田慶次郎』海音寺潮五郎(文春文庫 524円)
オススメ度★★☆☆☆

そろそろ前田慶次の登場かと思ってこの本を手にとった。
いやはや奇想天外。
ナント、前半部で慶次はかの石川五右衛門と交流を持つ。
石川五右衛門は大盗賊で、最後に釜茹での刑に処せられたことは
周知のこと。
この物語では、豊臣秀次(秀吉の甥)の密命を帯びて秀吉の
命を狙っていたという設定。もちろん失敗に終わるわけだが、
そういうこともあったかもしれない、と思わせる。
慶次は痛快な男だったらしいが、伯父の前田利家を寒中の水風呂
にたたき込み、愛馬「松風」をかっさらって、颯爽と出奔する
ところなんざあ、胸のすくような面白さである。
慶次は、京に出奔してから本阿弥光悦とも交わりを結ぶ。
美女を嫁にあてがわれようとするが、束縛されるのが嫌で
逃げてしまう。
かと思うと男色の美少年に言い寄られ困惑する…。
もちろん著者の脚色だったり創作だったりするわけだが、
よくもまあこんな破天荒な男が戦国時代にいたもんだ。
ただ残念なるかな、晩年の米沢の寓居暮らしの様子は
ほとんど描かれていない。
まあ、万世の堂森あたりに行って、想像の世界に浸るのも
また楽しそうなことだが…。

クジラって昔も今もごちそうだよねえ。
小学校の時、給食で「クジラの竜田揚げ」が出た時なんか
「ラッキー!」って感じ。
今は捕鯨の禁止で高級食材になってしまって、たまにしか
食べられないけど、やっぱおいしい。

File No.75
『宮本常一とクジラ』小松正之(雄山閣 2000円)
オススメ度★☆☆☆☆

なあ〜んだ、世界にはクジラはまだまだいるじゃん。
地球最大の動物シオナガスクジラはさすがに少なくなって
いるが、マッコウクジラは200万頭、ミンククジラは94万頭も
いると推計されている。
クジラは全部で86種あり、そのうち15種が大型鯨類とされ、
捕獲禁止の対象となっている。
捕獲禁止なのに、なぜオレたちの口に入るのか?
それは、国際捕鯨取締条約の加盟国の権利として調査捕鯨が
認められているから。その数は、南氷洋で1000頭、北太平洋で
380頭。この調査捕鯨の副産物として鯨肉をマーケットに
流している。その売上約60億円は、ちょうど調査捕鯨に要する
額だそうだ。
つまり、安くしたんじゃあ調査捕鯨も出来ないというワケ。
でも、なんでこんなことになったんだろう。
日本は縄文の昔から鯨食の習慣があった。
生きとし生けるものを尊びながら、クジラをほぼ100%食べ尽くす
のは日本だけである。
日本各地に残るクジラにまつわる伝統文化を、宮本常一(民俗学者)
の『忘れられた日本人』(以前No50で紹介した)などの各地渉猟調査の
あとをたどりながら記録にしたのが、この本である。
趣向やその気持ちはよくわかる。
でも、宮本常一の著作を読んだことのない人や、その仕事を知らない
人には、この本の趣向もよくわからないであろう。
かりにも、人に読ませたいという気があるなら、宮本常一のことを
もっと丁寧に説明しなくてはならないと思うのだが…。
あと、文章や構成がちょっといまいちなので、その世界に引き込んで
いく力があまり感じられない。
宮本常一の全国調査行脚が鬼気迫るものがあったのに対し、この
オッサンのはちょっと旅行気分みたいな…。
「宮本常一」も「クジラ」もオレの興味関心の対象なので、実は
スゴク期待して読んだんだけど、ちょっと期待はずれ。

学生時代、東京の市谷会館で数ヶ月バイトをしたことがある。
たしか、奈良斑鳩に行く費用を稼ぐ目的だったと思う。
なぜか自衛隊関係のお客さんが多いな、ぐらいにしか
感じていなかったが、そこが、あの三島事件の舞台の
ひとつだったとは、この本を読んで始めて知った。

File No.74
『五衰の人 三島由紀夫私記』徳岡孝夫(文芸春秋 1600円)
オススメ度★★★☆☆

三島事件と言っても、若い人はあまり知らないのかも。
もうあの日から早や40年が経とうとしている。
オレはその頃小学生。
三島由紀夫なんて作家がいることさえ知らなかったのに、
自衛隊市谷駐屯地で白昼に割腹自殺し、同志に介錯させた
という衝撃的ニュースに騒然とした覚えがある。
何でなのか、余り考えることなどなかったが、この本を
読んで、「うむ〜、そういうことだったのか」って感じ。
著者は、当時『サンデー毎日』の記者(デスク)で、
三島由紀夫と少なからず交流があった。
ためか、その決行の日に三島の「激」を託されることとなる。
ジャーナリストとしての客観的な視点と、三島への静やかな
想いが節度を持ちながら伝わってくる秀作である。
三島は最後となる作品『豊穣の海』を書き終えてから、
きわめて計画的に決行に至った。
三島を突き動かしたもののひとつが「陽明学」であるとしている。
「陽明学」の理論的な柱は「知行合一」。
つまり、思想を机上や書斎の中だけに終わらせず、自ら行動に
移すこと。かなり危険でもあり、異端の儒学とも見なされる
所以である。
三島は、終戦後、日本の良き伝統と誇りと品格が失われていく
ことを憂いていた。それを作家活動だけで終わらせず、最後は
自らの死をもって警鐘を鳴らした。
その真意は伝わったのか、思想そのものが変ではないか、など
今もって捉え方や考え方は人それぞれに違う。
そして自らが生前予言したように、世間からは忘れ去られて
しまっている。
オレ自身も忘却の彼方にあった40年前のあの衝撃的な事件を
もう一度思い起こす機会となった。



No.66で取り上げた『自転車入門』の中で紹介されていたのが
この本。本の中で引用や紹介されている本を探して読む、という
のは、わりとオレの常套手段。
でも、本屋には無かったのよ、この本。
そんで、久々に図書館に行ったら、検索一発ビンゴ!
しかも開架図書。
さすが、市立米沢図書館。

File No.73
『こぐこぐ自転車』伊藤 礼(平凡社 1600円)
オススメ度★★★★☆

こりゃあ、自転車エッセイの名著というべきかもしれん。
著者の伊藤礼は、60歳代後半になって自転車を始め、
古稀をちょっと過ぎてからこの本を書いた。
若いなら若いなりに、歳とってもそれなりに楽しめるのが
自転車だということがよくわかるエッセイだ。
古稀を過ぎても、一日100kmもの走行をしたり、何日にも
わたるツーリングを楽しんだり、標高差700m以上の峠道を
喘ぎながら登坂したりと、そのエネルギッシュさには舌を
巻いてしまう。
わずか数年の間に自転車を6台も購入する話などは、
よくわかる。
(とは言え、オレはまだ2台しかないので、読みながら、
小径の折りたたみ式か、本格的なロードバイクが猛烈に
欲しくなってきてしょうがない…)
この本の佳境は最後の章。
同じぐらいの年齢の仲間と4人で北海道の道東を11日間
かけてツーリング(著者は自転車旅行と言ってるが)の
一部始終。
笑いあり、苦しみあり、怒りあり、アクシデントありで、
シニア4人組のまじめな珍道中の光景がありありと目に
浮かんでくるようだ。
その内容もさることながら、このご仁、相当に文章がウマイ。
それも形だけのウマさではなく、精神レベルも相当に高い。
ただ者ではないな、と思いきや、最後の最後に、自分の
父親がかの有名な小説家伊藤整であることを明かす。
ナルホド、それならこの名エッセイもわかるような気がする。
とにかく、この本には勇気と希望を与えられた。
オレも、あと20年は走れる。
そして、もっともっとペダル人生は多彩に楽しく、深く
なって行く、と。
こりゃ、完全にハマっちまったナ。


昨年、松本仁一の『アフリカ・レポート』(岩波新書)を
読んで感銘を受けた。と言うより、殆ど知らなかったアフリカ
の実態をうかがい知り、オドロキも大きかった。
昨年読んだ新書の中ではベスト3に入る。
読むことを奨めた知人も相当面白かったらしい。
この松本が以前書いたものを合本したのがこの本。
読まないテはない。

File No.72
『アフリカを食べる アフリカで寝る』松本仁一(朝日文庫 1000円)
オススメ度★★★★☆

いやあ、『アフリカ・レポート』より面白いかもしれない、この本。
人間生活の基本中の基本である「食」と「寝」を通してアフリカを
見ているので、より身近で、具体的だからだろうか。
それとも、ジャーナリストらしい、簡明な文章だからだろうか。
(安っぽい修飾に陥りがちなオレも少しは見習わなくては…)
これは、1990年代中盤に書かれた『アフリカを食べる』と
『アフリカで寝る』を合本した2部構成になっている。
とくに後者は、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した秀品。
まず第一部の「食べる」の冒頭からビックリ、オドロキ。
ヤギの骨(骨髄)、牛の生き血、羽アリ、ミドリザル、バッタ、
いも虫、カメムシ、羊の目玉、ラクダ…等々、卒倒しそうな
ゲテもの食いが続く。
オレたちにとっては確かにゲテものかもしれないが、原住民は
それを当たり前の食料として口に入れている。
それを著者は偏見や先入観を持たずに積極的に楽しんでいる。
こういう姿勢を貫いているからこそ、この本が面白い。
でもカメムシぃ〜!?
あのすっごくクサいヤツだよお。
どうやって食べるか、読んでみてのお楽しみ。
これほどまでのものを口にしながら、著者が食あたりしたのは
1回だけ。チャドでいも虫のカラ揚げをひとつ食っただけで
3日寝込んだ。助かったのは抗生物質のおかげ。
しかし、いも虫そのものが悪かったんではなく、油が悪くなって
いたようで…。
第2部の「寝る」もスゴイぞお。
圧巻はケニヤのサバンナで、マサイ族と野宿するシーン。
ライオンなどの野獣の吠え声に怯えながらも、夜空が白くなる
ほどの星々の下で大地に寝るその心持ち。
ちょっと想像の域を超えるなあ〜。
日本で言う「満天の星」のさらに上をゆく星空なんてどんなん
だろう。
そうした日常生活の活写に垣間見えるのは、貧困・飢餓・内戦
などに象徴される政治の未成熟・腐敗である。
その一因が永年にわたる植民地支配にあるとし、人類が生まれ、
太古の昔から大きな潜在エネルギーに溢れたこのアフリカの
行く末を筆者は危惧している。
もうひとつ。
一口にアフリカと言っても、国によって政情・文化・生活・慣習・
風土・民族性などが大きく違うということが良くわかる。
久々の四つ★、オススメの一冊。

徳岡孝夫の書く文章が昔から好きだ。
文春のオピニオン誌『諸君!』の名物コラム「紳士と淑女」は
いつもオレの溜飲を下げてくれた。
『新潮45』への寄稿文も痛快なものだった。
まさに硬派の論客にして文章家。
そんな彼が、亡き妻へのレクイエムを書いた。

File No.71
『妻の肖像』徳岡孝夫(文春文庫 552円)
オススメ度★★★☆☆

『漱石とその時代』や『海は甦る』を読んで感銘を受けて以来、
尊敬する日本の知性の一人となった江藤淳。
かれも何年か前に妻を亡くし、『妻と私』を書いた。
哀切に満ちた内容だったが、知性の人が何でこんなにも
ボロボロになるのか、とちょっと不可思議でもあった。
その後、江藤淳は妻の後を追うかのように自殺を遂げた。
オレには、言いようのない違和感のようなものが残った。
徳岡もそうなのか、と思いきや、妻を想う気持ちは
江藤に負けず劣らずだが、切々たるセンチメンタリズム
だけに終わっていない。
やはり、どこかにジャーナリスト魂が息づいている。
前作『薄明の淵に落ちて』もそうだった。
片眼失明、片眼視野狭窄と弱視、という物書きにとっては
致命的とも言える障害に陥っても、湿った泣き言にならず、
泰然として運命を甘受する姿勢には、身体をはった知性を
感じる。
まさに、文は人なり。
この本には、新聞記者としての駆け出しの頃から、妻を
見初めた頃、新婚時代、度重なる転居と子育て、初老期、
そして妻の病・死に至る45年余の思い出を綴っている。
まるで、亡妻へのレクイエムのように。
妻との今生の別れに徳岡が言ったことば
「和子、また会おう。近いうちに」。
うむ〜、なんか身につまされるなあ。
人は誰しも別れがいずれやってくる、という至極当たり前の
ことだけど、常には意識したくないことを改めて考えさせて
くれる秀品でもある。


40歳を過ぎた頃から、過去より未来の方が短いことを
何となく意識し始める。
そのことを嘆き悲しむよりは、過去に積み重ねてきた
一見無意味・無駄に思えるような時間の重さを
しみじみと実感すべきとは思いながらも…。

File No.70
『終の住処』磯崎憲一郎(文芸春秋2009年9月号 790円)
オススメ度★★★☆☆

今年度上半期(第141回)芥川賞の受賞作品である。
今回は、著者が三井物産人事総務部次長という、現役バリバリの
サラリーマンであることに話題が集まっているようだ。
が、どっこい、作品自体もなかなかのもんだった。
この小説は「時」をテーマにしている。
結婚から50歳を過ぎるまでの約30年間を、「自分」と
「妻」を中心に、断片断続的に、少し抽象的に綴っている。
会話体や具体的ストーリー展開はあまりなく、少々わかりづらい
というか、よみづらい向きもあるが、「時間の積み重ねの重さ」
という感覚にはなぜか共感を覚えるものがあった。
「過去というのは、ただそれが過去であるというだけで、
どうしてこんなに遥かなのだろう」
というくだりにも、そのことが象徴されている。
無意味に思えたこと、あやまち、気恥ずかしさ、煩わしさ等々の
過去たちが妙に懐かしく、そのすべてを肯定していくという
静かな覚悟。
まさに中年の男ならではの境地だなあ。
でも、この小説のストーリーがいまいち腑に落ちない。
11年間も妻と没交渉で、久しぶりに話したことが、
「家を建てよう」って、なにそれ?
それと、「自分」ってどんな人間なのか、キャラが最後まで
よくわからないし、「妻」がなぜ新婚の時から不機嫌なままか
意味がわかんない。
なんにも、そういう設定でなくても、意は伝わるハズなのに、
って考えるのはオレだけかなあ…。

これもタイトルだけで衝動買いした本。
さぞ過激な内容かと思いきや、それほどでも…。
この著者のオバはんも知らないし。
『団鬼六論』を書いたって言うから、期待して
読んだんだけど…。

File No.69
『寝取られた男たち』堀江珠喜(新潮新書 720円)
オススメ度★★☆☆☆

妻や恋人を他の男に寝取られて、黙認したり、殺したり、
復讐したり、別れたりする人間模様を、古今東西の
名作を取り上げながら説いていく趣向。
実社会でも多いけど、小説の題材としても多いねえ。
男は大体が鈍感で妻の浮気(不倫)にあまり気付かない。
(よっぽど猜疑心の強い男は別だけど)
自分の妻だけは、という先入観がそうさせている。
逆に浮気(不倫)を隠し通すのは女の方が断然上手。
それは、スキャンダルや行為そのものが、男より
女の方がリスキーだから。
と喝破している。ナルホド、その通りかもしれない。
でも、この本のもっと面白いところは、妻に浮気を勧める男
の例。
マダム・クロードが経営していた超高級娼館に自分の妻を
勤めさせ、他の男に抱かれることによって、自分自身が
性的興奮を覚える、という倒錯癖。
いやあ〜、いろんな人間がいるもんだ。
この本に、トルストイの『アンナ・カレーニナ』も出てくる。
これは、不倫の末にアンナが自殺するという悲劇的結末の
物語だが、夫・カレーニンの苦悩や懊悩、思惑などが複雑に
絡み合う。
実は、オレ、『アンナ・カレーニナ』を高校3年生の時に
読んだ。読んだことは読んだけど、18歳の世間知らずの
ガキだったオレに、そんな人間の情と知と行動の機微なんて
わかったハズがない!ということが今わかっただけでも
収穫だったのか?


今日は数か月ぶりの定期検査日で、ちょっと期待してた。
もしかして、コレステロールや中性脂肪が劇的に下がってんじゃあ
ないかって。
…結果は無惨。
逆に少し上がってたりして…。
嗚呼、「ローマは一日にして成らず」。

File No.68
『一勝九敗』柳井 正(新潮文庫 438円)
オススメ度★★☆☆☆

成功した経営者の述懐本なんて自慢話が多くてあまり読みたくない、
って前に書いたような気がするけど…。
これは、はっきり言って題名に釣られてしまった。
読んでみると、まさに「金科玉条」のオンパレード。
一地方都市の紳士服店を世界のUNIQLOにしただけあって、
書いてることの殆どが徹底的なイノベーションの嵐という
すさまじさ。
なかには面白いエピソードもあったりして。
たとえば、UNIQLOという店名。
最初はUNICLOだったんだそうで、それを登記する人がCとQを間違えて
しまって…。
まあ、この方が格好いいから店名を全部変えたとか。
ナルホド!と思わせることは随所に出てくる。
ひとつはボタンダウン。
かく言うオレも、ボタンダウンって若い頃しか着れないものだと、
つい最近まで思っていた。
ところが今や…。
もうひとつは、UNIQLO大躍進の原動力になったフリースの
空前絶後とも言うべきメガヒット。
なんと、2000年秋冬に2600万枚も売ったんだって!
このフリースだって、もともとは一般的な衣料ではなく、ごく
一部の人が着てたもの。
「新市場・新分野に新技術・新方法で取り組む」か、
「すでに古い産業と称される分野に新しいやり方・仕組みで取り組む」
ことで、消費者やユーザーに受け入れられること、という
同社の真骨頂だろう。
イギリス進出の失敗経験も興味深い。
さて、この本が出されたのは平成15年。
この時点の売上高は前期比18.4%減の3416億円、経常利益は
同46.9%減の547億円と、業績を大幅に落としている。
社長も柳井から玉塚に代わった。
そして、それから3年後、玉塚が社長解任され、柳井が社長に復帰。
平成20年8月期の連結売上は5864億円、連結営業利益は874
億円と、一時の低迷期を少し脱して、柳井が言う「2010年に
連結売上1兆円」に少しばかり近づいた。
このファーストリテイリングという会社、今後も目が離せない。

それはそうと、はずかしながらオレ、まだUNIQLO行ったことない。
そもそも衣料品店や食料品店に入るのが少しばっか苦手。
今度ちょっとのぞいてみようかなあ。



新聞の下段に載っている新刊書の広告をよく見る
クセがついている。
この本の購入動機も新聞広告。
それと、先日A君から、
「石田衣良なんて読まないんですか?」と
ちょっと年寄り扱いされたのがシャクで読んじまった。

File No.67
『美丘』石田衣良(角川文庫 514円)
オススメ度★★☆☆☆

この本のジャケット、ちょっとエロくて、おっさんが
買うのにはちょっと抵抗があった。
勇気を出して買ったのに、寝床に腹ばいになって読んでいると、
家人がジャケットとオレの顔を交互に怪訝そうな横目でチラ見
するし…。
エロ小説じゃないゾ!純愛小説読んでんだ!って言いたい
けど、それもオレにはちょいと似合わない…。
で、この本がオレの初・衣良。
この作家の風貌と同じ、どこか遠くを見ているような
不思議な雰囲気を醸している。
物語は、きわめてシリアスで現実的なモチーフであるにも
かかわらず、そういうセンチメンタリズムを感じさせる。
かつては胸一杯に広がっていたそういう感性、ほとんど
忘れかけていた…。
この本を読んだ多くの人が号泣したそうだが、オレは
泣かなかった、いや、残念なことに泣けなかった、と
言うべきかもしれない。ちょっと寂しい…。
そう言えば、学生時代に「ラスト・コンサート」という
映画を観て大泣きした覚えがあるが、10数年後にもう
一度観たら、一粒の涙も出なかった。
感性は確実に退化している。
でも、こういうフレーズには、今でも心が動く。
「愛情なんて、別にむずかしいことではまったくない。
相手の最後まで、ただいっしょにいればそれでいい。
…ぼくたちはそれに気づかないから、いつまでも
自分が人を愛せる人間かどうか不安に感じるだけなのである」
これは、歳を経たおっさん、おばはんこそが、シミジミと
実感こめて頷けることなのかもしれない。


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