ぶっくぶくの部屋

ぶっくぶくの部屋
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ぶっくぶくを開設してちょうど1年が経った。
始めた当初は1カ月続くかどうかだったが、
何とかかんとか1年続いた。
取り上げた本の数約110冊。
最低目標は100冊、最高目標は150冊だったから
オレとしてはまあまあかな。
でもオレ、実は活字スランプがあるのよ。
幸い昨年は大スランプはなかったけど、その前の年までは、
1〜2カ月ぐらい「なあ〜んも読みたくない病」がおきて…。
まあ、今年もしスランプがきたら、そん時は映画特集とか、
自転車特集でもすっかな。

File No.111
『ニノミヤのこと』長谷川多紀(小説新潮2008年12月号 780円)
オススメ度★★★☆☆

前回は、「第2回さくらんぼ文学新人賞」の大賞受賞作品を
読んだので、第1回目のも読んでみたくなったというワケ。
そしたら、またまた掲載誌をいただいて。
第1回だからだろうか、これはなかなか面白い。
主人公の詠子は、母と二人で暮らす小学生。
ごくフツーだけど、あまり社交的ではなく、どちらかと
言うと内向的な性格。
そこに、母のずっと年下の金髪の恋人ニノミヤが転がり
込んできて、奇妙な3人の生活が始まる。
詠子は、はじめ、ニノミヤとの距離をなかなかはかれない
でいたが、あまり干渉もせず、ベタベタもせず、大事な時は
必ず守ってくれる母の恋人に惹かれていく。
あまり口数も多くない内向的な小学生の女の子が、親子ほどの
歳の差がある男に恋焦がれていく様は、微笑ましいというより、
切ないほどだ。
そしてある日、ニノミヤは忽然と家を出て行ってしまい、また
母子二人の生活になってしまう。
時は飛んで、詠子は三十路にさしかかり、真面目で堅実な公務員
と結婚することになる。
そこにニノミヤが二十年ぶりぐらいに、全く意外な形で絡んで
くる。実は、ニノミヤは、○○○○○○だったのだ!
えっ〜!ってなカンジ。
そして、結婚相手も、真面目だけが取柄の男ではなかった。
孤独だとか、誰も自分のことを心配なんかしてくれないとか、
父親の愛情を知らないとか、人は時々疎外感や孤独感に
苛まれてしまうことがあるが、ところがどっこい、大切に
思っている人が周りに何人かきっといるよ、ということ
なのだろう。
久々に、ほのぼのとした気持ちにさせられた。
純粋で、ひたむきで、切ない恋心を久々に想い出して
みたくなった、そういうアナタにピッタリの本だよ。
この本読んで、ジワーっとくるぐらいだったら、まだだいじょうぶ
じゃないの?(ナニが?)
オレが想い出すのはキョンキョンの歌ぐらいかなあ〜。
ほら、あるじゃん、「♪せ〜つ〜な〜い、かたおもい…」って。
(ああ、われながらいい歳してナサケナイ)

えっ?読みたくても売ってないじゃん、図書館にもないし、
だって?
お貸ししますって。
オレだって、もらった本だもん。


雪降ったねえ〜。
ようやく本格的、みたいな。
雪降ると、ちょっとユウウツでちょっとウレシイ…、
なんかフクザツな心境だなあ。
…ということとはほとんど関係なく、今回とりあげた作品は
前から読んでみたかった。
図書館でも置いてないのでどうしようかと思ってたら、
ある方からいただいた。
チョー、ウレシー。

File No.110
『熊猫の囁き』刑 彦(小説新潮2009年12月号 820円)
オススメ度★★☆☆☆

「熊猫」と書いて「ぱんだ」、「刑彦」と書いて「けいえん」
と読む。そう、中国北京生まれで大阪在住の方。
もちろん女性。
もちろん、というのは、この作品が、女性の書き手を対象とした
「さくらんぼ文学新人賞」の第2回大賞受賞作品だから。
この文学賞の主催者は、地元山形の「さくらんぼテレビジョン」。
90枚ぐらいの短編だから、読むのが早い人だと30〜40分
ぐらいで読めてしまう。
この小説の主人公「江遥」(こうよう)は北京生まれの中国人。
高校への進学を断念し、専門学校に進んで、幼稚園教諭になる。
適齢期になって、ごく平均的な男と結婚する。
ここまでは、すべて父親が言うままに従った人生を送ってきた。
中国でも、女性は、子どものうちは父親に従い、結婚したら
夫に従い、老いたら息子に従う、という古い道徳感が
まだ残存してるらしい。
中国も、というのは、日本もまだそういう考えを持ってる人
がいるよなあ。
その平凡な夫が、突然、日本に留学するといって、親の反対を
押し切り強行、江遥も夫に従って日本へ。
やがて、夫の親戚の娘が同居するようになり、ほどなく、その
娘と夫が抜き差しならぬ不倫関係に。
それを知った江遥は、友人を頼って大阪へ。
商社の事務員や、お好み焼き屋のアルバイトをしながら、
いろんな人々の人生にふれつつ、自立へと歩みだす。
はっきり言って、ストーリーはごくフツーだし、主題もよく
ありがちなものではある。
でも、だからこそ、読む側の心にヒタヒタと素直に押し寄せて
くるものがある。
選者の一人も言ってるが、文章の間合いが良く、読みやすい。
(人の文章はアレコレ言うクセに、自分ではこなれたシンプルな
表現が出来なくて自己嫌悪に陥っているダレかとは大違い。
あっ、それオレのことか)
こういうのは、きっと多分に天性のものがあるんだろう。
「書き続けていくとさらに筆力があがる」という評にも
同感。
次作に期待して、今回は★2つ。

蛇足ながら…。
昨晩は二次会の誘惑を振り切って10時ちょい過ぎの早期帰還。
酔っ払いの中途半端な時間の帰還にちょっとウザそうな家人の
ワキで、つつましくお茶漬けをすすりながら、テレビドラマの
「曲げない女」を何気に観てた。
フンフン、フムフム、なかなか面白いじゃん。
これも、女性の自立がテーマではないのかあ。
自分の信念を貫き、スジを通す生き方、カッコイイねえ。
司法試験受かったら、きっといい弁護士になるだろうなあ…。
おっとっと、いかん、いかん、ドラマにのめりこんじまった。
これじゃあ家人を笑えんわ。

過日、山形美術館で「土門拳の昭和」を観てきた。
徹底したリアリズム。
圧倒的な迫力。
入館料800円は高くはない。
そう言えば、以前、酒田の「土門拳記念館」に行った時に
買った本があったハズ…。

File No.109
『死ぬことと生きること』土門 拳(築地書館 1854円)
オススメ度★★☆☆☆

あった、あった。本箱の奥の奥のほうにひっそりと。
読んだんだっけがあ〜?
って思いながらページをめくってみると、記憶にあるような、
ないような…。
まあ、もう一度軽く読んでみようかと思い手にとった次第。
この本は、1950年代頃にあちこちに書いたものと、
書き下ろし(未発表)のものをまとめた、言わば写真家の
随筆集。
土門は、今から100年前に酒田で生まれた。
父母と離れ、そして転居を繰り返す極貧の幼少期からの
思い出や、写真家としての気構え、その感性などを、
明治人らしい男性的な筆致で書いていて興味が尽きない。
しかし、写真家は文章よりもその作品(写真)を良く
見た方がいい。
当然と言えばトーゼンだけど…。
というワケで、「土門拳と昭和」のオレなりの見どころを
ふたつみっつほど。
ひとつ目は、土門拳と言えば真っ先に連想される室生寺を
代表とする古寺巡礼。
土門は、日本人である自分が日本を発見するため、知るため、
苦しい古寺巡礼の旅を続けた。
仏像の写真群もド迫力だが、「ようやくこれで室生寺を卒業した」
と言わしめた、肢体不自由になってから必死に撮った室生寺の
冬景色がオレは一番好きだ。
ふたつ目。
土門は子どもたちも良く撮った。
「筑豊のこどもたち」「江東のこどもたち」などの作品群である。
なかでも、「るみえちゃんと妹」は白眉!
姉の不安な表情と、妹のはにかんだ表情の好対照さ。
ちなみに、この作品群の中には、男の子の坊主頭にヤモリが
ちょんまげのように乗っている抱腹絶倒の作品もある。
みっつ目が、有名人の肖像写真群。
赤痢菌を発見した有名な医学者・細菌学者志賀潔の肖像は
ウワア〜ってかんじ。
教科書なんかにはバリっとした写真が載っているが、土門の
作品は、丸メガネの片方をテープで補修して掛けている
晩年の志賀潔。
えも言われぬ個性的な風貌に思わず魅入られる。

この本もさることながら、「土門拳の昭和」はオススメだ。
らくらく2時間は楽しめる。


正月早々、銀座の天賞堂にドロボーが入った。
天賞堂と言えば、時計・宝飾の老舗で、オレも2、3回
入ったことがある。
たしか、時計売場は地下だったハズ。
よくもまあ忍び込めたもんだ。
かたや、ここらへんでは運動靴の盗難さわぎ。
犯人がつかまって、運動靴を眺めたり、匂いをかいだり
するのが好きという動機らしいから、いやはや、
「石川や浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」だ。

File No.108
『江戸の盗賊』−知られざる“闇の記録”に迫る−
丹野 顯(青春出版社 750円)
オススメ度★★★★☆

もっと早く読むんだった。
年末に誰かがオレの部屋を少し片付けたらしく、そこらじゅうに
散らばってた本をひとまとめに積んでいた。
その中に埋もれてたのがこの本。
そんなに読む気もなくて、ペラペラめくっていたら、がぜん
面白くなって一気通貫で読んでしまった。
これもいつものパターンではあるが…。
これには、江戸期の大盗賊の行状や、その取締り、裁きなどが
様々な史料を渉猟して、うまくコンパクトにまとまっている。
トップバッターは、日本人なら知らない人はいない超有名人の
石川五右衛門。
前書きに書いた辞世を遺し、釜茹での刑に処された大盗賊。
そして日本左衛門、鼠小僧次郎吉…と超大物が続く。
これに対する取り締まり方は、何と言っても、火付盗賊改
長谷川平蔵に尽きる。
その激職の在任期間の長さや、取り締まった件数の多さは
圧倒的に群を抜くものであったらしい。
オレたちは、時代劇や歌舞伎などで、大きく脚色された人物像
しか知らないが、実態はそんなもんではない。
その代表例は当時の刑罰。
江戸初期の頃は、窃盗は極刑に処せられた。
盗んだ金銭等の多寡や理由に拘わらず、である。
そして、連坐制や縁坐制も適用された。
要するに連帯責任ということ。
連坐・縁坐で有名なのは、豊臣秀吉による甥・秀次の処刑。
秀次当人は切腹したが、その正室・側室・子供ら一族郎党
39人を三条河原で斬首した。
五右衛門の処刑はその前年のことで、盗人10人・子1人・
同類19人という大量処刑だった。
見せしめとは言え、なんという過酷さだろう。
八代将軍吉宗の『御定書百箇条』によって寛刑となるのは、
ようやく18世紀も中ごろになってからである。
寛刑と言っても、10両以上盗めば死罪だから、今の感覚では
極刑である。
だから、時代劇でよく見られる
「遠島を申し付ける」とか「江戸追放」とかは、実際には
あまりなかったのではないだろうか。
でも、長谷川平蔵の偉かったところは、その取締りだけでなく、
「人足寄場」という更生施設を立ち上げ、その責任者も
兼ねていたこと。
取り締まり、拷問にかけて自白させ裁くだけでなく、法の
範囲内で時には人情にも理解を示し、軽犯については
その更生にも尽力したのだ。エライ!

これが★四つ?、と思うかもしれないが、あくまで個人的な
好みと独断によるもの。
それにしても評価甘すぎ?
まあ、正月だし、ご祝儀相場ということで…。

昨日からサムケがして…。
ん、もしかして!?
いやいや、それはない、たぶん…。
こういう具合が良くない時に、こういう本
読んでも、あまり面白く感じられない。
やっぱ、ココロとカラダは連動しているのだ。

File No.107
『田舎暮らしができる人 できない人』
玉村豊彦(集英社新書 640円)
オススメ度★☆☆☆☆

かつて、アウトドアライフとか、田舎暮らしに憧れた
時があって、そういう本を読んだり、用品を買いまくって
擬似体験してみたり、買えもしないのに分譲の別荘地を
冷やかしてみたりしたが…、
気がつけば、すでに生まれた時から田舎暮らしだっつうの。
その点、米沢は最適地に近いかも知れない。
四季がはっきりしてるし、基本的な都市機能は一応揃ってるし、
ちょっと郊外は自然の宝庫だし、食べ物旨いし、
東京近いし?…
これで米沢の悪口言ったんじゃあバチが当たるってもんだよ
自称都会育ちの○○さん。
(おっとっと、実名書くところだった)

で、この本の作者である玉村サン、テレビのニュースショーか
なんかで見たことあるが、そん時は、辛気臭いオッチャンだなあ
ぐらいにしか思っていなかった。
が、この人が、こんなに田舎暮らしを真面目にひたむきに
楽しんでいるとは思わなかった。
田舎暮らしが高じて、ブドウ畑をつくり、ワイナリーを設立、
そしてカフェレストランも開くといった本格派。
都会の団塊の世代の多くが田舎暮らしに憧れ、出来もしない
農業に嬉々として励み、早々と挫折してしまった人も多いと聞く。
その点、玉村サンは40歳代から徐々に田舎暮らしの度合いや
強度を深めてきているから、きわめて計画的と言うか、
本気と言うか…。

人間は生まれてから、社会に出るトレーニングに25年、社会で
様々な生産活動に従事するのが30年余、そして残り20年前後
は、より自分らしい暮らしを再生していくべきだと言っている。
そのとおりだなあって実感できる歳にオレもなってきたという
ことか。

米沢・置賜から都会に出て行った人たちには、とくに故郷に帰って
田舎暮らしを再び楽しんでもらいたい。
これまで培ってきた様々な知恵を地域の未来づくりに生かして
もらいたい、もちボランティアで。
地縁のあるところで暮らした方が何かといいと思うよ。
飲み友達もいるし、麻雀仲間もいるし、自転車チームもあるし、
相談相手もいるし、いろいろな助っ人もいるし、なあ○○クン。
(おっと、また実名書くところだった)
(アタマがぼうとして、果てしなく支離滅裂になっていくので、
このへんで…)



昨日は「フツーの人」もいい、って書いておきながら、
今日は一転して英傑の代表選手とも言うべき坂本龍馬
とは、オレも節操がないというか、支離滅裂というか。
まあ、今日から大河ドラマ「龍馬伝」が始まったんで、
一応読んでおこうか、というぐらいのいつものカルイ
動機。
「龍馬伝」の1回目もなかなか面白かったけど、家人が
福山の大ファンだけに、もう観る目がチョーマジ。
(うわあ、な、なんだコイツは)と改めて驚く一方、
(良かったあ、この1年楽しみが別に出来て。これで
オレもなんやかんや小言を頂戴することも少しは減る
だろう)と思うと、ドラマでうっとりしている家人とは
また違った意味でニターとしてたりして…。

File No.106
『坂本龍馬』池田敬正(中公新書 700円)
オススメ度★★☆☆☆

この龍馬という男、知れば知るほど魅力が増してくる。
司馬遼太郎だっけかの「幕末の日本に、神(天)が
つかわせた人間」という評も、あながち的外れではない。
この本は小説ではなく、歴史の専門家が資料に基づいて
書いた、言わば歴史書。
なのに、1965年の初版以来、2004年まで62版
も重ねているという超ロングセラー。
40年以上にもわたって、いかに多くの人たちに読まれて
きたかがわかる。
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』には、志や気宇壮大さを感じ
たが、この本には、等身大の龍馬が感じとられる。
亀山社中、海援隊、船中八策、薩長同盟など、日本近代化の
ターニングポイントになった中心に、常に龍馬がいた。
彼が事を成し得たのは、理想や志に燃えていたからだけでは
なく、商人感覚からくる徹底したリアリズムと策略にあった
ことも、なんとなくわかる。
だから、過激な尊王攘夷派でもなく、もちろん佐幕派でもなく、
どちらかと言うと、天皇を頂点とする雄藩連合のような形で
迫り来る外圧をはねかえせるような力を持った国家にした
かったのかも知れない。
でも、龍馬は改革の果実を見る一歩前で、同志ともいうべき
中岡慎太郎とともに凶刃に斃れてしまう。
暗殺された11月15日は、奇しくも龍馬の誕生日。
『竜馬がゆく』では、ラストの竜馬暗殺の場面で、作者司馬の
怒りと失望が率直に出ていて、少々驚かせられた記憶がある。
それだけ、偉大な巨星を失ってしまったということだろう。
板垣退助は、もし暗殺されずに生き延びていれば、「中岡は
政府高官になっていただろうが、龍馬は、岩崎の三菱と同じ
ぐらいの大財閥になっていただろう」と言っている。
まさに、経世済民(=経済)を地でいくような男だ。

伏見の寺田屋(龍馬が投宿していた折、危うく捕縛されそう
になった旅館)を訪ねた時、浴室に「お龍さんが龍馬を
助けたお風呂」みたいな説明書があって、少し苦笑いして
しまった。
いわゆる「説明のし過ぎ」で、よくあるパターンでは
あるが、ゲンナリしてしまう人もいるのでは…。
龍馬は、この寺田屋で負った傷を癒すため、お龍さんと、
九州の霧島あたりに新婚旅行(日本初?)もしている。
この当時にしては、かなり斬新というか、思い切ったこと
だったのだろう。
このあたりにも、旧習や些事にこだわらない龍馬のスケール
の大きさを感じるなあ。

何はともあれ、この1年、家人のじゃまをしないように、
時々片隅で静かに、「龍馬伝」を楽しませていただこうかな。
だって、放送中にミカン食っただけで、「ウルサイッ!」って
すごい険悪な目でニラむんだもん。




ある方からの年賀状に、
「『坂の上の雲』を20代・40代・60代と3回読んだ。
3回目となった今回、米沢が生んだ海軍軍人山下源太郎の
項をはじめて意識して見つけた。貴君の言う通りだった」
と書いてこられて、ちょっとうれしくなった。
でも、オレはあの長編をもう一度読むパワーと時間に
自信がない。
NHKのスペシャルドラマを観て、2回読んだことにすっかなあ。

File No.105
『ひとびとの跫音』司馬遼太郎
(文芸春秋 司馬遼太郎全集50 3398円)
オススメ度★★★☆☆

この本は、正岡子規の死後、彼をとりまく人間の後日譚であり、
言うならば、『坂の上の雲』のメイキングフィルムのようなもの。
正岡子規は、肺結核に脊椎カリエスを併発し、壮絶な苦しみの
中で、34歳で夭折した。
その看病に一身を捧げたのが、妹の律。
ドラマでは菅野美穂が演じていた役。
彼女は、子規の死後、どんな人生を歩んだのか。
なんと、学校に入り直し、学問と技能を修め、母校に残り、
事務員から教員となり、女子教育に後半生を捧げたらしい。
勝気で気丈な女性だったから、その教育もきわめて厳格だった
ようだ。
二度の離婚を経た後は、生涯独身を貫く。
正岡家を遺すために、律は養子を迎える。
それが、この本の中心人物である忠三郎。
この人は、不思議な魅力をたたえており、司馬もかなり好意を
込めて書いている。
今で言う高学歴にもかかわらず、ほぼ一生を百貨店の一店員で
終えた。しかも、婦人服売場や陶器売場の店員だったらしい。
正岡家の継子でありながら、決しておごらず、むしろ、世の中に
逼塞しているような感じで、名声や金銭など世俗的な欲からは
距離を置きながら、清々しい生き様だった。
この忠三郎の親友ともいうべき人間がタカジこと西沢隆二で、
この作品のもう一人の中心人物。
タカジは、日本共産党幹部として迫害を受け、長い獄中生活を
余儀なくされた詩人にして党人、晩年は自由人というべきか。
この二人に共通しているのは「透明感」。
生き方にケレン味がなく、気負いがなく、欲がない。
司馬自身、この二人と浅からぬ交流があり、黄泉の国に送る
役も果たしている。

英雄豪傑の話も確かに面白い。
が、それはほんのひとにぎりの人で、ほとんどの人々は
世間にそう名も知られずにひっそりと生きている。
ひっそりとではあるが、自身の信念を持ち、秘めた闘志と
夢を持ち続け、些事にこだわらず、ハッタリをかまさず、
等身大を常に意識して生きている人々。
こういう人の生き様を見るのもいいもんだ。
オレにはとうてい出来ないことだからだろうが…。
やっぱ、明治の日本人は、男も女も気骨があるなあ。



今日は大晦日。
家に「天地人」の前売券がまだ2枚残っていたので、
行ってみた。
ふだんの日よりやや人が多いかなあってぐらいで、
基本的にはすいてて、久々にゆっくり観れた。
いよいよあと10日余りで閉幕かあ…。
そして今はナントカ歌合戦の真最中。
たぶん、記憶にある限りではまともに観たことない。
「観たいとも思わない」ことが主な理由だけど、滅多に
茶の間でテレビを観ない奴がいたりすると、雰囲気が
変わってしまうらしく、「ご遠慮している」という
理由もあるわけで…(いやはや)。

File No.104
『負けない技術』桜井章一(講談社+α新書 838円)
オススメ度★☆☆☆☆

1年収めの競馬と麻雀で相次いで負けてしまったオレ。
いろいろ夢想していたことも海のモズクとなってしまった。
で、手に取った本がコレとは、オレも単純すぎる。
桜井章一と言えば、知る人ぞ知る「雀鬼」。
「代打ち」という裏稼業で無敗の神話を持つ男。
ブックカバーに桜井の写真が載っているが、やっぱ
修羅場をいくつも踏んできた勝負師の面構えだねえ。
カッコイー!
どれどれ、どんなヒケツが書いてあるのやら、これを
読めばオレも明日から不敗神話が始まるのか!?
と思いきや、ちょっとガッカリ。
というのは、麻雀の勝負の詳細(技能戦や心理戦など)
については殆ど書かれていない。
書いているのは、いわゆる勝負を通した人生の「心構え」
みたいなもので、別なことを期待していたオレは
肩透かしを食らったようなカンジ。
おそらく麻雀をしない人でも、人生訓のひとつとして
読めるようにとの配慮からだろう。
事実、オビには「20万部突破」と書いてある。
中味も、自らの実体験を通して確立してきた考え方
なので、それなりに重みもあるし、説得力もある。
が、オレとしては「そうじゃあないだろう」って部分も
ある。
例えば、「あまり考えすぎないで、感覚や感性を磨いて
シンプルにやることも大事」と、ここまでは同感。
で、その続きに「考えすぎるからうつ病になる」って
オイオイ、そんな単純なことなのかな?
全体としては、元勝負師の人生訓をトツトツと聞いて
いるようで雰囲気は悪くない。
でも、「元」とあえて書いたように、彼はもはや勝負師
ではない。
こういう本を書いたり、自分の考えを人生論的に話したり
することは、勝負の世界から遠く離れてしまったことを
意味しているのではないだろうか。
桜井章一は、あくまでも勝負の世界で畏怖され、リスペクト
される存在なのだ、とオレは思う。

よお〜し、新年からは、この心構えでいくゾ。
勝負事なんかしないで、堅実に生きた方がいいんじゃあないの
ってもっともなアドバイスもあるけど…。
そりゃあオレだって、細部は別にして、総体的にはカタく
生きてるつもりですから、たまにはちょっと不良もしてみたく
なるワケで…。
まっ、そういうワケで、ビミョーでヘンな中年心理を抱えた
まま、いよいよ越年。
来年もヨロシクッ!

いよいよ年の瀬だねえ。
今年もあっという間に過ぎていったって感じだなあ。
新しいことにチャレンジせねばと思い自転車を始め、
思考にバリエーションを持たせようと「ぶっくぶく」を始め、
仕事面では自分なりに地域の将来を視野に入れ始め、
遊びも躊躇することを払拭し始めた…
というのに、時間の下り坂的加速は止まらない。

File No.103
『告白』湊かなえ(双葉社 1400円)
オススメ度★★★☆☆

これも去年から今年にかけて話題になった本で、2009年本屋大賞
を受賞した。
いつも本屋で見かけていたのだが、ついぞ、これまで手にとる
機会がなかった。
でも、一応、今年の話題作だから読むだけ読んでみっか、ってな
軽い動機で読み始めたら、やっぱウワサにたがわず面白い。
この本は、女性教師が勤め先の中学校を退職する日の担任クラス
でのラストスピーチ「聖職者」から始まる。
この章で事件のアウトラインが浮かびあがる。
その内容たるや、いきなりセンセーショナル。
第ニ章は、担任クラスの女生徒による投稿という形の「殉教者」。
第三章は、事件当事者の一人である男子生徒の姉が、母親の日記を
読んでいく「慈愛者」。
第四章は、その男子生徒の告白をつづっている「求道者」。
第五章は、もう一人の当事者である男子生徒がウェブ上に書いた
遺書である「信奉者」。
そしてラスト第六章が、退職した女性教師から当事者である
男子生徒への携帯電話という形をとった「伝道者」。
これだけ書いても、読んでない人はなんのこっちゃ、あまり良く
わからないかも知れない。
ちょっとだけストーリーを教えると、あるシングルマザーの女性
中学教師が愛娘を事故で亡くし、それが実は殺人であることに
気付き、巧妙且つ心理的な復讐(更生?)を仕掛けていくという
もの。
でも、その過程には、さまざまな人間の性格や生い立ち、ゆがみ
が交錯している。
っと、このへんで止めておかないと、読む楽しみがなくなって
しまうね。
もうひとつだけ。
ラストの第六章では、事件の仕掛けが語られ、ドラマチックな
結末が待っている。
ゆめゆめ、ラストを最初に読むなんてことはしない方がいいよ。
(たぶん、そんな人はいないと思うけど…)

この本を書いた湊かなえは30歳代の女性。
この前の『償い』を書いたのも女性。
そして、『告白』の修哉と、『償い』の真人は、同じ中学生であり、
その歪みや狂気、強烈な自我などが酷似している。
ちょっと、そら恐ろしい。

今日は1年納めの「有馬記念」。
一攫千金を願って、拝みながらレースに食い入っていた
のだが…。
レース結果はほぼ順当、しかしオレの結果は惨敗。
あ〜あ、またも寂しい年末年始、寝っころがって
本でも読んでるしかないか。

File No.102
『償い』矢口敦子(幻冬舎文庫 648円)
オススメ度★★☆☆☆

話題になった作品だから読んだ人も多いだろう。
医師だった主人公の日高は、子供の病死と妻の自殺で
将来に絶望し、埼玉の某市でホームレスと化す。
が、そこで偶然に出会ったのは、13年前に自分が
命を救った少年真人。
この真人が微妙に絡んだ殺人事件や自殺、焼死などの
不審事件が連続する。
物語は、ディテールをきっちり押さえながら適度な
スピードで展開するので面白い。
ミステリー物としての後半の盛り上がり(謎が氷解
していく過程)も申し分ない出来である。
しかし、後味があまり良くない。
得も言えぬ不気味さが心に残ってしまう。
ここまで心の奥深い闇を見せられては、それに救いを
与えるのも容易ではない。
ラストの「贖罪」が不十分な気がしてならない。
もっと救いを!
もっと光を!
そうでなきゃ、やり切れない。
奇しくも真人が言ってる
「人の肉体を殺したら罰せられるけど、人の心を殺しても
罰せられないんだとしたら、余りにも不公平」
という本書のテーマは重くて深すぎる。


立ち食いそばってフシギだなあ。
駅や街角で、あのつゆ(醤油?)のにおいが漂って
くると、時間にかかわらず無性に食いたくなる。
たぶん、屋内でちゃんと座って食うと、そんなには
美味しくないだろうと思うのだが(失礼!)、
あの状況で食うと、なぜかウマイ。

File No.101
『偉いぞ!立ち食いそば』東海林さだお(文春文庫 562円)
オススメ度★☆☆☆☆

今回はちょいと軽めに、と思って選んだのがこの本。
東海林さだおサンを、以前、米沢に呼ぼうと画策したことがあって…。
熱烈な?お願い状を送ったんだけど、みごと無視された。
たぶん、相当に多忙を極めている人なんだろうねえ。
というか、書いてるエッセーなんかは軽妙洒脱のようだが、
けっこうこだわりが強く、気難しい人なのかも知れない。
でなきゃ、立ち食いそばひとつの話題で、こんなに細かく
書けないだろう。
主となる内容は、「富士そば」(立ち食いそばのチェーン)の
全メニューを制覇しようというもので(どこかのTV番組みたい)、
漫画と細々としたエッセーでつづられている。
最初のうちは、まあまあ面白かったし、「そうそう、それって
あるある」ってカンジで、寝っころびながら、それなりに
楽しめた。
が、中盤ぐらいになると、いいかげん飽きてきた。
こんな調子が延々と続くのか、と。
そしたら、行きつけの「富士そば」西荻窪店が改装して、
着席型の店舗になったため、あっさり断念。
やれやれ、というか、なあ〜んだ、というか…。

この本を読んで思いを新たにしたんだが、やっぱオレは、
衣食住にこだわらない男が好きだ、というか、尊敬する。
ヨレヨレの服着て、デロデロの靴はいて、何食ってもウマイも
マズイもなく、家は雨風しのいで寝れればいい、ってなスタイル。
NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の秋山好古は、
「男は一生に一事を成せば良い。だから身の回りは単純明快に
しておく」と言って、独身時代しばらくは茶碗ひとつの生活
だった。つまり、酒飲むのも、ご飯食うのも、お茶飲むのも
ひとつの茶碗。もちろんオカズなんてものは満足になく、
せいぜいタクワンや味噌なんかをご飯の上に載せてかっこん
でたんだろう。
カッコ良すぎる!
オレ自身、俗な欲を断ち切れないでいる凡庸な人間だけに、
そういうストイックさに憧れるのかもしれない。
立ち食いそばなんか、「こだわらない男」の際たる食べ物だと
思うのだが…。

この本で興味をひかれたところもある。
それは、冒頭の「駅弁『奥の細道』」と、最後の黒川伊保子サンとの
対談。
前者には、なんと米沢の駅弁がいくつも出てきて、作者も好評価。
後者の黒川サンは『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』で一躍有名
になった人。サシスセソなどのS音には爽やかさを感じ、T音に
確かさを感じ、H音で解放され、N音で慰撫され、K音で鼓舞される
との指摘はスゴイ面白い。
何かに使えるゼ、この「サブリミナル・インプレッション」。
近いうちに読んでみよっと。

この本ブログもようやっと100回目。
まあ、節操がないというか、気まぐれというか、
手当たりしだいというか…。
でもね、今まで感想なんか書く習慣なかったから、
ほとんど忘れっちまってるのよ、内容を。
映画もそうだなあ。
観たときはそれなりに感動するんだけど、しばらく
すると忘れっちまっている。
そんなボンクラなオレでも、感動の余韻がずうっと
心の中で続いているものもいくつかあって。
そのうちのひとつがコレなのよ。

File No.100
『京洛四季 -東山魁夷小画集-』(新潮文庫 480円)
オススメ度★★★★★

「たった480円の文庫本がオマエの5つ★?」
と思われるかもしれない。
実はもっと安い。
確か古本屋で100円で買った記憶がある。
480円という定価も昭和61年頃のものだから、今はもっと
するかもしれない。

奈良・唐招提寺御影堂の襖絵のことは以前にも書いた。
あの薄暗がりの中に映える群青の波頭は、すごい衝撃だった。
東山魁夷という画家はその時に初めて知った。
つまり、それまでは、知ったかぶりして絵画展行って
薄っぺらく観ていただけだったんだろう。

その数年後、長野市にある東山魁夷美術館に行って、
2度目の衝撃。
「青」がスゴイ。情感が迫ってくる。
次の年もまた行った。

そのまた数年後、東京の山種美術館で「年暮る」の
オリジナルを観た。
忘我の境地で立ち尽くしてしまった。
翌々年また行って、複製を買い、今オレの部屋に掛けて
いる。

それぞれ行く道すがらにめくっていたのがこの小画集。
昭和30年代後半の頃の京都の四季を描いた絵画に
随想を付したものである。
おそらく、その頃の京都って、古都らしい風情や風景を
随所に色濃く残していたのではないかと、絵を観ながら
思う。
なかでも、夏と冬がとくに気に入っている。
夏の北山杉の青、冬になるとそれに白が加わる。
とっても清冽だ。
冬は何と言っても「年暮る」。
宿泊している宿から東山方面の家々の瓦屋根に
雪がシンシンと降っている絵。
今にも、知恩院の除夜の鐘が聞こえてきそうな情感に
溢れている。
 「年を送り、年を迎えるこの時に、多くの人の胸に
 浮かぶであろう、あの気持。去り行く年に対しての
 心残りと、来る年に対してのささやかな期待。
 年々を重ねていく凋落の想いと、いま、巡り来る
 新しい年にこもる回生の希い。『行き交う年もまた
 旅人』の感慨を、京の旅の上で私はしみじみ感じた。
 こうして、私の京の旅は終った。」
絵画もさることながら、こういう透徹した文章も好きだ。
毎年、年の瀬になると、この小画集をひっぱり出してくる
ゆえんも、この情感に浸りたいから…。

京の情感漂う絵画と、簡明で透徹した随想は、これこそ
「珠玉」という形容がピッタリ。
巻頭には、川端康成の文が添えられている。
大仰な画集ではなく、文庫本と言うのも気取ってなくて
いい。
オレの本の中で最も安いものだが、最も大事にしている
本のひとつ。
やっぱ、値段じゃあないんだなあ。

オレ、近眼でメガネかけてるけど、PCと読書の賜物か、
少々度が強い。
だから、もちろん超薄型の非球面レンズを使っている。
一昔前まではスゴク高かったんだけど、今はほぼ
同じ値段で買える。
この非球面レンズがなければ、まるで牛乳瓶の底の
ようなメガネをかけなければならなかった。
これも、職人の技のおかげである。

File No.99
『町工場・スーパーなものづくり』小関智弘(ちくま文庫 700円)
オススメ度★★☆☆☆

わずか二百数十頁の文庫本なのに700円はチト高いなあ、と
ケチなことを考えつつ読み出したら、のっけの「和釘」の話から
打ちのめされた。
ふだんわれわれが使っている「洋釘」は頭が平らになっている
けど、「和釘」の頭は「の」の字型になっている。
なぜか?
「の」の字がいわばショックアブソーバーになっているとともに、
最後の収まりがピチッといくらしい。
そもそも、力まかせに釘を打ち付けるようなのは、日本の匠の
技とは言えないらしい。
この作者自身、町工場の旋盤工として50年以上のキャリアを
持つ職人。しかも、いくつもの町工場を渡り歩いてきた、言わば
「渡り職人」。
職人さんなのに、こんなにウマイ文章を書けることも、ちょっと
オドロキ。自身の小説『錆色の町』は、直木賞候補にもなった
というから、文才も相当なもんだ。
それにしても、この本で紹介されている日本の職人技はスゲェ〜。
冒頭に書いた「非球面レンズ」の研磨技術や、「プルトップ缶」
の工夫、世界に冠たる「金型技術」などなど、日常何気に接して
いる製品の数々に職人技が光っている。
「町工場はローテク」などと言うことなかれ。最先端のハイテク
を駆使している町工場だってたくさんある。
作者は言う。
「職人とはものを作る手だてを考えて、道具を工夫する人である」と。
あえて美辞麗句を使わない、等身大の職人像を淡々と言い表した
職人自身の言葉だけに説得力がある。
そして、こうした「職人技」「職人文化」が脈々と生き続けて
いることに、日本の「ものづくり」の確たる基盤が見えてくる。

去年秋のサブプライム、リーマン・ショックに続き、
今年はドバイ・ショックとやらで、世相はあんまり
明るいとは言えない。
リストラに踏み切る企業も多く、絶望感と無力感に
苛まれる日々を送っている人々…。
「自分の存在価値って?」と自問自答を繰り返すことは、
自意識を再確認すること…。

File No.98
『君たちに明日はない』垣根諒介(新潮文庫 590円)
オススメ度★★★☆☆

この垣根涼介って作家、近年ブレイクしているらしい。
恥ずかしながら、今回その作品を初めて読んだ。
これがなかなか面白い。
作者のプロフィールを見ると、この作品で山本周五郎賞、
過去には、サントリーミステリー大賞、大藪春彦賞、
吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞と、数々の
賞を受賞している。
だから買ったわけではないが、一般的な本選びの基準
として、受賞作品と言うのは、あまりハズレがないのも
事実。
まあ、選評のプロが評価してるんだから当たり前かも
しれないが…。
で、この作品は、リストラ請負会社の社員・村上真介を
主人公として5つのリストラケースが展開される。
もちろんフィクションの小説だが、いかにもありそうな
話で生々しい。
リストラって言うと、暗い雰囲気になりがちだが、この
小説はあまりジメジメしたところがない。
作者の筆力のなせるワザか。
主人公自身も過去にリストラされた身。
それぞれの修羅場を冷静に仕切っているが、そこはかとなく、
共感や憐憫を漂わせている。
社会に生きるものは、「人のために役立っている」「会社の
ために役立っている」という他からの評価がすべてみたいな
ところがある。
それを、相対的なハカリにかけられて、言ってみれば「不要」
の烙印を押されるわけだからキツイ。
自意識過剰な人間ほど、自分の存在価値を全否定されたような
絶望感に陥ってしまうだろう。
そういった人間模様を、重くなく描いている秀作でもある。
自分自身の評価と他人の眼は違うということも悲しい現実
である。
「私はこんなに有能なのに、こんなにがんばっているのに、
なぜ会社は見捨てるのか…」、まさに自意識瓦解の危機である。
エンターテインメント気分で読めるが、現実の巷で繰り広げ
られていそうなテーマなので、時には身につまされるかも
しれない。
唯一気に入らなかったのが、主人公がリストラ面接をした
相手とデキてしまうこと。こういうストーリーのバリエーション
が全体を暗さから救っているんだろうけど、いかにもありそう
すぎて、かえってオレ的には面白くなかった。


山形・米沢は有機ELバレー構想で一躍有名になった。
その中心人物が山形大学の城戸教授。
このセンセイ、オレと同い年。
しかも、大学入学前や入学後の生活にも何だか同時代性
というか、共感を覚えるなあ。
もっとも、その後が天と地。
かたや世界の城戸、こちとらいまだウダツが上がらず…。
(謙遜だぞって強がりもやや空しいかな)

File No.97
『日本のエジソン 城戸淳二の発想』
城戸淳二(KKベストセラーズ 1200円)
オススメ度★★★☆☆

まがりなりにも米沢に住んで、産業経済という分野の片隅に
逼塞している身としては、城戸センセイの本の1冊や2冊は
読んでおかんと話にならん、と思い、遅ればせながら手に
とった次第。
センセイの話は2、3回聴いたことがある(もちろん、その他
大勢の聴衆の一人として)が、関西特有のコテコテしたところ
は余り感じられなく、どちらかと言うと、謙虚さが印象的だった。
しかし、この本はうって変わって、舌鋒スルドすぎ。
研究のこと、大学組織のこと、日本の科学技術のこと、地方の
こと、未来のこと、自分のたどって来た足跡のこと…などなど、
痛快なまでに直截的であり、明快である。
社会に貢献しないような研究をしている大学教官を「牛乳瓶の
フタ集め」と呼んだり、助教授時代に「FA宣言」をしたり、
「政治家にはポリシーがなく、役人にはビジョンがない」と
喝破したりと、城戸節全開ってカンジ。
理系の人の本で、これほど痛快に読める本もめったにない。
でも、痛快・愉快な中にも、思わず唸るような真理がちり
ばめられている。
いくつも共感できる部分があったが、中でも、「引き出しの
多い奴は負けない」というのは傾聴すべきこと。
専門ばかりに特化するのではなく、ある課題や問題に対して
複数の違うアプローチが出来る人間が、結局はゴールを切る
ということ。
これは、理系だろうが文系だろうが、同じこと。
それと、「人生一度ぐらい死に物狂いで力を試せ」という
熱きエール。
さらに、「学生は教官の鏡」という至言。
オレなんか今まで言いたくても言えなかったことをズバリ。

最後に、「白色有機ELの分野でミリオネア(億万長者)が
生まれるか?」という問いに対して、センセイは「可能性
は十分ある!」と断言している。
ちょっと穿ってみると、ノーベル賞も全くの夢でもないのかも
しれない。

蛇足ながら…。
城戸センセイは、発明王エジソンと同じ2月11日生まれ。
エジソンの発明は「世界から夜が消えた」と言われた。
かたやオレは4月20日生まれ。
同じ月日に生まれた有名人は、な、なんとアドルフ・ヒトラー!
世界を「夜と霧」の闇にした男。
うむ〜、エジソンとヒトラーか。
こりゃ、やっぱ勝ち目はないなあ。

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