天地人

▼さらなる高みに行くのか?

風呂上がりに体重計にド〜ンと乗ったら、ドヒャ〜ン!
増えてんじゃん。
総体重に占める割合で言えば約2%増といったところだが、
そもそも分母が大きいから、そこそこの米沢牛だったら
約4万円分ぐらいか(どんなたとえなんだっ)。
これには「油断」と「欺瞞」があった。
オレの体重はもう高値限界で、どんなことをしてもこれ以上
増えることはない、という愚か過ぎる油断。
年末から間断なく続いた宴会。
そこそこ食べて飲んで帰還するのだが、どうも小腹が減っちまって、
「食べてこなかった」
とダダこねて、ムリヤリお茶漬けを用意させて、それを
ハフハフと四食目をかき込む毎晩の欺瞞。
こんなこと今さら反省してもしょうがないけど…。
いつの日か酔ったはずみの
「20歳の時の体重に戻る!」宣言も、今となっては、
ただの暴言・虚言にしか聞こえない。
あまり大言壮語しないで、少し気を付けることにしようっと。

File No.295
『夕映え天使』浅田次郎(新潮文庫 476円)
オススメ度★★★☆☆

あまりパッとしない毎日が続く時は浅田次郎を読むに限る。
一晩二晩、浅田が紡ぐ物語に浸っていると、何だか心が浮遊
していくような感じになる。
この本に収められている六つの物語も、それぞれに滋味深い。
『特別な一日』は、読んで行くと後半にあっと言うような
意趣が隠されている。その意趣がわかると、この物語がさらに
きらめき出す。それが何だかは当然言えない。
それこそ読んでのお楽しみ。
定年間近かの老刑事が三陸の寒村を旅して、時効寸前の事件の
犯人に偶然出くわしてしまう『琥珀』もなかなかいいなあ。
いずれも、以前の浅田の作品を愛読した人には少し物足りなく
感じるかも知れない。
キパッとした結末がないから。
でもオレは、その書き過ぎないところがすごくいい。

先日、ある人と浅田次郎のどの作品が一番面白いか、という
話になって、それは『天切り松闇語り』シリーズに尽きると言う
ことで意見が一致した。
最近、シリーズの続編出てないなあ〜。
あれこそ、読んでいるうちに、天切り松の聴衆の一人になって、
じっと耳を凝らしているような錯覚に陥ってしまう。


File No.296
『9月が永遠に続けば』沼田まほかる(新潮文庫 629円)
オススメ度★★★☆☆

これこそ積ん読の最たるもの。
買ったのは題名と同じ昨年の9月頃だから、かれこれ4カ月も
部屋の片隅で埃をかぶりながら、じっとオレを睨んでいたことになる。
オレの部屋は、こうした未読の本たちの怨念が充満しているようで
時々怖くなる。
「読まないんだったら買うなよっ!」と言わんばかりに。

少々オカルトっぽくなっちまったが、この本もコワい。
なんせ、ホラーサスペンス大賞作品。
だけど、すごく売れてるみたいではある。
主人公である水沢佐知子の周りで次々と不幸や不可解なことが起こる。
物語の中ほどで、その大元になった衝撃的な過去が語られる。
これが女性が書いたものか、と思うほど、その描写は生々しくて
惨たらしい。
ここまで書き込まなければならないのか、と思わせるほど。
人の心に黒々と広がる闇。
闇からの出口を示唆したような結末にはなっているが、
オレは到底それが出口とは思えなかった。
それだけ掘ってしまった闇が必要以上に深すぎたということでは
ないだろうか。
明るさを見出せず、かえって気味の悪い後味。
それも著者の狙いなのかも知れないが…。
これこそストーリーは書けない。
ハマってしまうと夜を徹して読み続けることになるかも知れないので
要注意。


File No.297
『あんぽん 孫正義伝』佐野眞一(小学館 1600円)
オススメ度★★★★☆

つい先日に佐野の『怪優伝』を読んだばかりだが、本屋にこの本が
並んだらまたスグ買ってスグ読んだ。
もちろん単行本で。
繰り返しになるけど、佐野眞一の本なら単行本で買ってでもスグ読む
ことにしている。
日本版スティーブ・ジョブズ物語を書こうとしたというこの本も
オレの期待を裏切ることなく、かなり面白かった。

孫正義とは、言わずと知れたソフトバンクの会長にして、日本有数の
IT億万長者。
先の大震災では100億円の個人寄付をして世間の耳目を集めた。
脱原発の旗振り役になって自然エネルギー開発のためにさらに私財
10億円を投じたものの、政権が代わったり、経団連を敵に回して
しまったりして、ここ最近は少しなりを潜めている感じではあるが。

この孫正義の出自・生い立ち、さらには父母のルーツまでさかのぼり、
徹底的な取材をして書いてる内容は、やはりクオリティが高い。
「人間を描く場合、その人物が絶対に見ることができない背中や
内臓から描く。それが私の人物論の基本的流儀である」
と佐野自身が語ってるように、そのルポルタージュは執拗で容赦がない。
そして、それらの事実を見つめる佐野の眼はあくまで冷静でフラット
である。
功罪合わせ、清濁合わせ、表面や流説に惑わされることなく、深い
焦点深度で対象人物を複眼的に捉えていく。
だから抜群に面白いのだ。

孫は空想的とも言える未来話で人の注目をわざと集めようとする
ところがある。
例えば、人間一人の一生分の情報量が1円のチップに収まってしまう
時代があと15〜20年でやってくるという。
新聞や雑誌・本も要らなくなってしまうとも。
同じような話を10数年前にある通信会社の研究所で聞いたことがある。
その研究員はデモ機を前にして得意気に語り、オレ以外の人は
感心して聞いていた。
だけど、10数年経った現在どうなのよ。
新聞も雑誌も本も無くなっていないではないか。
情報の伝達・蓄積のスピードやキャパシティのことばかりセンセーショナル
に取り上げて、情報そのものが人間の思考や行動というアナログな営み
から生成されているという肝心なことが欠落しているように思う。
身体は大人でも精神は子供のまま、というのと同じじゃないか。
子供のままだったらまだいいけど、やがてはさらに精神が退化して
行くだろう…。
おっとっと、話が脱線してしまった。
孫に対する佐野のスタンスはあくまでもフラットだが、底流には
シンパシーのようなものを感じる。
やはり人物ノンフィクションというのは、人間への飽くなき関心が
ないとダメなんだなあ。
美談ばかり、成功談ばかり、ちょっとした失敗もすべて成功に帰納
させていくような評伝・自伝はいかがわしくて嫌だとかねがね
思っていたところに、
「多くの孫正義伝は、ソフトバンクの成功を起点にして、いわば帰納的に
青年時代の孫の物語を語っている。しかし、人間はそんな美談が簡単に
通用するほど予定調和的にはできていない」という佐野の言葉は
まさに我が意を得たり!
そう、孫正義も美談だけで語られるような単純な人生ではなかった。
それこそ、想像を絶するようなことも…。
これを読んで、オレの孫正義観が大きくかわった。
ちなみに、孫は1957年生まれ。オレとほぼ同世代の人間。
うむ〜、彼我の差は余りにも…。



2012.01.22:ycci

HOME

(C)

powered by samidare