やまがたホケンセンターブログ

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昨日ご来店いただいたお客様は国際ボランティアセンター山形(IVY)の物資搬送車を運転して被災地に行ってこられました。IVYは震災直後から支援物資を宮城県の被災地に運んでいます。大学生など多くのボランティアが関わっています。物資はアウトドアメーカーのモンベルが社員を派遣し天童市にあるミツミ電子の倉庫を借りて管理、分配をしているとのこと。機動力のある組織が活躍しています。

昨日、ソフトバンクの孫正義社長が震災遺児の生活支援のために100億円の寄付をすると発表したとの報道がありました。更に今後の役員報酬の全額を寄付するとのこと。「こんなことができる日本人がいるんだ!」と爽快な衝撃を受けました。経済成長により人の欲望もより大きくなってきている現代社会の中で、いいモデルを見せてもらいました。『孫して徳とれ』という新しい格言が生まれてきそうです。

先日お伺いしたお客様は、消防署に勤務しておられます。3月11日、グラッときた瞬間に緊急出動の準備に入ったそうです。午後8時には30台の消防車が最上に集合。動けるのは山形県のみだったと。大船渡と陸前高田に入ったのが12日の午前6時。崩壊した町の中をサイレンを鳴らしながら消防車を走らせていくと道路脇からは手を合わせてくれる人もいたそうです。運転しながら涙が出てしまったと。

昨日、帰宅すると玄関に花が飾られていました。妻が創設以来10年間勤めていた職場、チェリア(山形県男女共同参画センター)を昨日をもって退職したためもらってきたもの。プログラムに一緒にかかわってくれた仲間が持ってきてくれたらしい。私も何かをせねばと思ったのですが花はやめてワインにしました。妻はこのほうが喜ぶだろうと。夕食はそのワインでささやかな退職の慰労をいたしました。

本日の山形新聞に、今回の震災で被害を受けたトヨタ車の処理を山形自動車販売リサイクルセンターが依頼を受けたという記事がありました。「山形にしか頼めない」と聞き引き受けたと。仙台港に陸揚げされていた売買前の車両が1700台あったそうです。仮説住宅の建設のため山形県の業者の人たちが送迎バスで通うという話も聞きました。震災の復興にむけた山形の役割が大きくなってきています。

先日(3月26日)に国土交通省東北運輸局より今回の震災により山形県内に本拠の位置を有する自動車の車検有効期限を4月16日まで延長する旨通知が出されました。宮城県や岩手県、福島県など13の県ではすでに3月14日付で1ケ月延長が出されていたもの。山形においても部品等の調達がスムーズにいかず追加された模様。

車検と同時に契約する自賠責保険も同様の対策がとられています。こちらは延長ではなく「締結手続きの猶予」ということばが使われています。つまり、再度車検のために自賠責保険を契約する場合は、前回の自賠責保険の終了の日付から契約いただくということになります。ただし、今のところこれらができるのは4月16日までですので、その後は車検切れ車両となってしまいますので注意が必要です。

本日の朝日新聞に「地震保険 壊滅地域は満額」というタイトルで記事が書かれていました。阪神大震災の783億円を大幅に上回るだろうと推測されている今回の地震保険の支払いのために損保各社は全国から査定スタッフを集め緊急対応を進めています。各代理店には地震保険契約お客様のリストが送られてきて、全ての契約について損害状況の確認をしたところです。山形地域においては幸いに大きな被害を受けたお客様はおられません。しかし、岩手県、宮城県においては壊滅的な被害を受けた地域が広範囲にあります。一軒一軒の確認は困難。そういった特別地域においては、衛星写真で確認しながら「建物が全壊した」と判定して保険金を満額支払うと記事に書いてありました。

保険会社の支払いは1150億円までは100%各保険会社負担で支払いをします。それ以上となった場合、国と保険会社にて支払のため準備されている積立金から支払われることになります。それらは2兆3,000億円ほど積み立てられており支払余力は十分にあります。

さて、実際の地震保険の支払はどうなるのかについてですが、損壊の程度によって、全損、半損、一部損の3とおりに区分されます。建物については基礎や柱、壁などの主要部分の損害が時価の50%以上となった場合は全損となります。20〜50%の場合は半損。3〜20%の場合は一部損となり、それぞれの支払額はご契約地震保険金額の100%、50%、5%となります。

家財については時価の80%以上の損害が全損。30〜80%の損害が半損。10〜30%の損害が一部損となり支払保険金額はそれぞれ、ご契約地震保険金額の100%、50%、5%となります。

また、今回は津波被害が甚大でした。津波被害も地震保険の支払いとなります。地震後の火災により損害が発生した場合も原因が地震である場合は通常の火災保険の支払対象とはならず地震保険の支払となります。

山形県内においては直接地震による損壊などは少なかったのですが、今後考えなければならないリスクとして、調理中に地震が発生し、その火か建物に引火し火災により損害を受けるということもあるかもしれません。それらは地震保険のご契約が無い場合は保険のお支払はできなくなります。

または、地震により隣家が火災になり、その火が自宅に燃え移り損害を受けるということもあるかも知れません。その場合も支払を受けることができるのは自宅にかけている地震保険のみとなります。法律上は火元になった隣家から賠償を受けることはできません。

地震での家や家財の損害を補えるのはご自身で契約している地震保険のみとなります。地震保険は火災保険に付帯して契約するものです。地震保険単独の契約はできません。建物、家財にそれぞれ再調達価格(新価)まで火災保険の契約ができます。地震保険は火災保険の補償額の30〜50%の範囲で補償金額を設定することになります。

詳しくはご契約になっている保険代理店にお問い合わせください。



先日お伺いしたお客様は車に燃料を入れられずに困っていました。勤務があり日中並ぶこともできず。すると、ご主人が言ったそうです「ベンツにガソリン入ってる」と。廃車予定で既にナンバープレートもはずされていました。車屋さんに依頼してそのタンクから取り出してもらったら50リッター入っていたそうです。燃費は悪いし、自動車保険料も高くいいところなしだったそうですが廃車の時に役にたったと。

本日、一つのメールが届きました。JSA福岡核問題研究委員会が出版した本の内容が紹介されていました。20年以上前に原発事故がおきたときに、個々の住民がどのような行動をとればいいのかをまとめたものとのこと。この本は既に絶版になっており、出版社(合同出版)の承諾を得て、PDFファイルとして公開することにしたとのことです。「この本が役に立つ時が来てしまった」と。

http://jsa-t.jp/local/fukuoka/genpatsujiko1989.pdf
(コピーし貼り付けしてサイトを開いてください。)

昨日お伺いしたお客様は今週の月曜日、孫さんの結婚披露宴に出席されたそうです。東京での披露宴であったため行くことをあきらめていたのですが、お孫さんが航空券を2枚送ってくれたそうです。会場は六本木ヒルズだったと。出席者と同じくらいの人数の会場係りの人がいたそうです。写真を撮ろうとすると、その会場係りの人がサッとやってきて「お撮りいたします」と言って撮ってくれたのだそうです。

写真は我が家の玄関前に咲いた福寿草です。

昨日、友人が事務所にやってきました。「情報わかったか?」と。陸前高田に親戚がいることを知り立ち寄ってくれたもの。そこで見せてくれたのがNHKオンラインというサイト。探している人の名前を入れると情報が得られるのです。見ると「高田第一中学校に避難していたが、今は大船渡の姉宅にいる」と情報を提供してくれた人がいました。でも夫の消息はまだわからないとも。どうか無事でありますように。

昨日、妻が八百屋さんで買い物をしてきたよう。福島県産のごぼうがあったそうです。ごぼうは地中のものであり安全性の問題はないと購入してきたと。値段は安い気がしたと。流通が禁止される野菜が徐々に増えてきています。農家の人たちにとってはとてつもない困難となっています。昨日から生コン圧送機が投入されピンポイントで放水ができるようになったという記事がありました。沈静化を祈ります。

昨日のニュースで東京消防庁ハイパーレスキュー隊隊長が放水作業の様子を語っていました。ガレキなどで車両が走行できずに数百メートルの距離を手作業でホースを伸ばさなければならなかったこと。その際の隊員の被ばく管理のために自らが部隊の先頭で被ばくを受けながら線量の測定を続けたと。全く命を懸けた作業であったことを改めて知りました。これらの労苦が実ることを願うばかりです。

昨日は一晩かけて東京消防庁のハイパーレスキュー隊が原発3号機に放水を行ったことをニュースで見ました。まさに命がけの活動に敬意を表すばかりです。一方、郡山市長の記者会見で「廃炉」を前提としたアメリカ合衆国からの支援を国は断ったことが報道されました。今、大勢の福島県民が困難な状況におかれています。生命よりも経営を優先させたつけが甚大なものにならないことを祈ります。

今朝の山形新聞に被害を受けた人を宮城県石巻市の老人ホームから庄内の老人福祉施設に移すため航空自衛隊のヘリが庄内空港に着いたという記事が載っていました。テレビでも自衛隊の人たちが救援のため懸命の活動をしている姿を見ます。これまで道路を走っていて自衛隊の車両と出会うと、何かいかめしいものを感じていたのですが、今はあの迷彩色がとても頼りになる存在に見えてきます。