スタッフヤマガタン(ヤマガタン事務局)
南陽市街からR113を小国町方面に南下。小国市街の看板に従い右折し約15km。森に囲まれた川沿いのキャンプ場です。川ではカジカ捕りや渓流釣が楽しめます。 グループ専用サイトがあるのが特徴。5グループ位で行っても広さ十分のサイトがあります。
・渓流釣り ・水遊び ・ハイキング ・MTB ●入場料 大人500 小人300 ●オートサイト 3000/1区画 4000/1区画(AC電源付き) ●トレーラーサイト 4000/1区画(水道・テーブル・ベンチ・AC電源付き) ●オートバイ 500/1台 所在地:山形県西置賜郡小国町五味沢511-8 TEL:0238-67-2778 サイト:85サイト 利用期間:4月〜1月 環境:川辺 予約:要予約 利用日の3ヶ月前から受付 HP:http://www.boxos.com/campweb/cw02401.html |
作家 阿部和重(あべかずしげ)
1968年9月23日山形県東根市生まれ。 山形県立楯岡高等学校中退。90年日本映画学校卒業後、現在に至る。 〈作品〉 『アメリカの夜』94・講談社刊=第37回群像新人文学賞受賞、第111回芥川賞候補 『ABC戦争』95・講談社刊 『インディヴィジュアル・プロジェクション』97・新潮社刊 『公爵夫人邸の午後のパーティー』97・講談社刊 「トライアングルズ」97・12群像=第118回芥川賞候補 『無情の世界』99・講談社刊=第21回野間文芸新人賞受賞 『アブストラクトなゆーわく』00・マガジンハウス刊 『ロスト・イン・アメリカ』00・デジタルハリウッド出版局刊(共著) 「プラスティック・ソウル」97〜00・批評空間 「ニッポニアニッポン」01・6新潮=第125回芥川賞候補、01・新潮社刊 『シンセミア』03・朝日新聞社刊=第15回伊藤整文学賞受賞、第58回毎日出版文化賞受賞 『映画覚書vol・1』04・文藝春秋刊 『青山真治と阿部和重と中原昌也のシネコン!』04・リトル・モア刊。 グランド・フィナーレ 出版社 / 著者からの内容紹介 終わり、それとも始まり……神町を巡る物語。 「グランドフィナーレ」という名の終わりの始まり。 毎日出版文化賞、伊藤整賞W受賞作「シンセミア」に続く、 二人の少女と一人の男を巡る新たなる神町の物語。 第132回芥川賞受賞作。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 阿部 和重 1968年生まれ。小説家。『アメリカの夜』で第37回群像新人文学賞を受賞しデビュー。その後、『無情の世界』で第21回野間文芸新人賞を、『シンセミア』では第15回伊藤整文学賞、第58回毎日出版文化賞をダブル受賞し、『グランド・フィナーレ』で第132回芥川賞を受賞した |
名 称:上山城(月岡城)
営業時間:9時〜16時45分 休業日:7月第1月〜金曜 料 金:入場400円 交 通:JRかみのやま温泉駅→徒歩10分 駐車場:あり 所在地:山形県上山市元城内3-7 問合せ先:【電話】023-673-3660 参考サイト:上山城(別名・月岡城) |
山形自動車道・月山ICより国道112号で山形方面へ、看板左折し弓張平公園方面へ。パーク内には多数の施設があり何日でも楽しめる。
所在地:山形県西村山郡西川町大字志津172-1 TEL:0237-75-2003 サイト:117サイト 利用期間:6月〜10月 環境:山間 予約:要予約 4月1日から受付 ・テニス ・パターゴルフ ・カヌー ・釣り ・ハイキング ●入場料 大人500 小人250 ●オートサイト 4000/1区画 ●AC電源使用料 1000 ●フリーサイト 3000/1区画 ●コテージ 10000/1棟 ●デイキャンプオートサイト 2000/1区画 ●デイキャンプフリーサイト 1500/1区画 ●コテージ(半日) 5000/1棟 |
所在地:山形県東田川郡羽黒町手向
TEL:0235-62-4270 サイト:103サイト 利用期間:4月〜10月 環境:山間 予約:予約可 随時受付 ・体験教室 ・水遊び ●入場料 500/ひとり ●デイキャンプ 300/ひとり ●オート区画サイト 3000/1区画(AC電源付き) ●オートフリーサイト 1000/1張 ●テントサイト 1000/1張 ●常設テント 4500/1張(テーブル・ベンチ・かまど付き) 公式HP:http://www.qkamura.or.jp/haguro/ |
朝日連峰の麓、光と風がまぶしい豊かな代自然の中、四季を通じてスキーやスノーボードなどのスポーツやレクレーションが楽しめます。
所在地:山形県西村山郡朝日町白倉745-1 TEL:0237-83-7111 サイト:20サイト 利用期間:7月〜8月 環境:高原 予約:要予約 随時受付 ・ハイキング ・釣り ●デイキャンプ 300/ひとり ●持込テント 1000/1張 ●常設テント 2000/1張 ●ミニバンガロー 3000/1棟 ●コテージ 8000〜/1棟 アクセスは? 山形自動車道・寒河江ICより国道112号経由、国道287号で朝日町宮宿へ。宮宿より案内板に従い現地へ。 Asahi自然観公式HP |
バックには5,000haのブナ林が広がり、夜には満天の星空が楽しめます。周辺ではいろいろなアウトドアレジャーを体験。特に34m下の梵字川にダイブするバンジーはオススメ。ジャンプできた人には認定証もでる。
所在地:山形県東田川郡朝日村大字田麦俣字六十里山 TEL:0235-54-6606 サイト:70サイト 利用期間:4月〜10月 環境:高原 予約:要予約 4月1日から受付 ・ラフティング ・カヌー ・バンジージャンプ…月山あさひ博物館 ●オートサイト 5200/1区画(AC電源付き) (ハイシーズン以外は4000) ●フリーサイト 2000/1張 ●キャンピングカー 2500/1区画 ●オートバイ 1000/1区画 アクセスは? 山形自動車道・月山ICより国道112号を鶴岡方面へ15キロ、湯殿山スキー場の案内板に従い現地へ。 |
森敦「月山」
「すべての吹きの寄するところこれ月山なり」 山形県朝日村 湯殿山注連寺は、天才作家「森敦(もりあつし)」の小説「月山」 月山・湯殿山の霊域に位置する古刹で、神秘の空気に触れていただき、宇宙の真理や弘法大師の教義、即身仏鉄門海上人の実践修行が教えるものを伝え、人々に心の平安を与え、行き方の道標となる事。 〒997-0531 山形県東田川郡朝日村大網字中台92-1 TEL 0235-54-6536 FAX 0235-54-6536 山形道月山ICよりR112経由、鶴岡方面へ30分 |
森敦「月山・鳥海山」文春文庫
出版社/著者からの内容紹介 出羽の霊山・月山を背景に、閉ざされた山村で村人と暮しをともにする一人の男が知った比の世ならぬ幽冥の世界…芥川賞の表題作ほか姉妹篇「天沼」など七作を収録 遠くこれを望めば、烏海山は雲に消えかつ現れながら、激しい気流の中にあって、山羽を羽前と羽後に分かつ、富士山に似た雄大な山裾を日本海へと曳いているために、またの名を山羽富士と もよばれ、ときに無数の雲影がまだらになって山肌を這うに任せ 、泰然として動ぜざるもののようにも見えれば、寄せ来る雲に拮抗して、徐々に海へと動いて行くように思われることがある。 たんに標高からすれば、これほどの山は他にいくらでもあると言 う人があるかもしれない。しかし、烏海山の標高はすでにあたりの高きによって立つ大方の 山々のそれとは異なり、日本海からただちに起こってみずからの 高さで立つ、いわば比類のないそれであることを知らねばならぬ。 独立峰であるがゆえに気象条件が変わりやすい。麓からでさえ、霞や雲にさえぎられ、その全容を眺望できる日は少ない。人が人るのを拒んでいるかのように感じられる、神秘的な山だ。鮮やかな容姿を現したとき、地元の人々でさえ新たな感動を覚える。 登山者にとって、朝日を浴びた鳥海山が、日本海に黒いピラミツド型のシルエットを映し出す「影烏海」は、あこがれの的になっている。 鳥海山/短編「初真桑」より引用 |
ベルリン・ライブ2000「千年の寡黙/月山」
内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより) 太鼓演奏の林英哲が行ったワールドソロツアーのライブ映像を収録した音楽DVD。特に2000年7月2日のベルリンにあるクラッシック音楽の殿堂“フィルハーモニーホール”で行われたライブでは、スタンディングオベイションに包まれる盛況振りだった。 内容(「Oricon GE」データベースより) 2000年7月、ベルリンのフィルハーモニー・ホールで行なわれたコンサートの模様を収めた作品。全10曲収録。 |
1882〜1953
歌人、医師。山形の鴎外と歌われた。 上山市金瓶(南村山郡金瓶村)生れ。 農家守谷熊次郎の三男。 「最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片」 「最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも」 「蛍火を一つ見いでて目守りしが いざ帰りなむ老の臥所に」 「高原の沼におりたつ鸛ひとつ山のかげりより白雲わきて」 「足乳根の母に連れられ川越えし田こえしこともありにけむもの」 「朝ゆふはやうやく寒し上山の旅のやどりに山の夢みつ」 「陸奥をふたわけざまに聳えたまう蔵王の山の雲の中に立つ」 「たましひを育みますと讐えたつ蔵王のやまの朝雪げむり」 「万国の人来り見よ雲はるる蔵王の山のその生けきを」 逆白波、赤光、白き山、赤蜻蛉、つばくらめ、白雲、乳汁の色など 色彩表現豊かな短歌を多く残した。 明治29年上山小学校高等科を卒業したが、8月上京して親戚の斎藤紀一家に寄寓し府立開成中学に編入学した。紀一は当時浅草で浅草医院を経営していたが、成績のいい茂吉を招き、進学の道をひらいたといわれる。 38年7月斎藤家に入籍、同月一高を卒業し、東大医科大学に進んだ。 39年自作を添えて伊藤左千夫に手紙を送り、それを機に3月自宅を訪ねて入門。 明治41年10月「阿羅々木」(アララギ)が創刊され、左千夫とともに積極的に活動する。また、「アララギ」の編集を担当し、活発な作歌、評論活動を行った。その後新歌風への脱皮をめざしたが、文壇の動揺期にあって、左千夫と対立論争をよぶなど波乱の時期を経る。 大正12年7月左千夫が急逝し、「アララギ」の中心世代の交替をみるが、10月「赤光」が出るにおよんで茂吉の存在が広く一般に注目をひくに至った。 大正3年4月、紀一の次女てる子と結婚。 12月長崎医専教授となり同地に赴任したが、一種のゆきづまりに直面し、一時作歌活動を中断する。 大正10年10月ウィーンおよびミュンヘンに留学。 14年1月帰国したが、その直前に青山脳病院全焼の非運があり、再建のために困難な生活を送った。 しかし、再び歌壇に登場した歌は大正中後期の沈滞を脱し、気概に満ちた万葉調によって新しく「ともしび」の歌境をひらくに至った。島木赤彦死去(大正15.3)後は「アララギ」をも背負っての活動も続けた。 昭和2年4月に青山脳病院長に就任。翌年末には養父紀一の死を見送った。その後生活の安定化にともなう歌境は漸次洗練と平淡の道をたどった。「暁紅」「寒雲」「白桃」 は戦前の代表作であるが、そこには秘められた恋愛にからむ微妙な心情の襞も陰見し、全体として悲哀、寂蓼の感が深い。 昭和20年4月、郷里金瓶に疎開した茂吉はそこで敗戦を迎えるが、一国の非運に逢会しての悲歌は痛哭の情を極めて比類がない。 昭和21年2月、大石田に移居した茂吉は、そこで生涯の高峰「白き山」の歌をなし、22年11月帰京した。次いで「たかはら」「連山」「石泉」の三歌集を刊行した。 昭和26年文化勲章受章。 28年自宅で没した。戒名は自撰の「赤光院仁誉遊阿暁寂清居士」。 日本近代文学館「日本近代文学大事典」より引用 斎藤茂吉歌集 岩波文庫 内容(「BOOK」データベースより) 茂吉(1882‐1953)は近代短歌の第一人者であり、日本の近代精神を体現した文学者の一人でもある。40年にわたる作歌活動によって生まれた全短歌から1688首を精選した。初期の生命感の躍動するなまの表現から、次第に複雑な人生の味わいをたたえる沈静へと移ってゆく。本歌集は、茂吉という個性あふれる作家の、精神の自叙伝でもある。 目次 赤光 あらたま つゆじも 遠遊 遍歴 ともしび たかはら 連山 石泉 白桃〔ほか〕 赤光 岩波文庫 出版社/著者からの内容紹介 万葉以来の日本的伝統と西欧近代の精神と,作者その人の生との完全な融合を示して,茂吉および「アララギ」の歌壇での位置を決定した歌集.強烈な人間感情の表出は,一般文芸界にも衝撃を与えた.作者みずから定本とした改選版に,発表当時ひろく反響を呼んだ初版本(大正2年刊)を付載.新たに初句索引を付す.(解説=柴生田稔) 内容(「BOOK」データベースより) 万葉以来の日本的伝統と西欧近代の精神と、作者その人の生との完全な融合を示して、茂吉および『アララギ』の歌壇での位置を決定した歌集。強烈な人間感情の表出は一般文芸界にも衝撃を与えた。作者みずから定本とした改選版に、発表当時大きな反響を呼んだ初版本(大正2年刊)を付載。初句索引を付す。 目次 自明治三十八年至明治四十二年 明治四十三年 明治四十四年 大正元年 大正二年 初版赤光 |
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023−642−1142
営業時間 9:30〜17:30 火曜定休
(たいやきは10:00〜うりきれ次第終了)
たいやき御三家といわれている
東京四谷の「わかば」の暖簾分け。
ビッシリ入った香ばしい黒糖あんこと
しっぽのカリッとした食感が絶品です。
東京名物 四谷たいやき「わかば」