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コーヒーカップの下の皿
今日のMSNに 昨年の秋に教育現場で話題になった
いただきますを言わせなくてもいいんじゃないか というのが載ってた
母親が学校にあてた手紙のことで 給食費を支払う方がいただきますとは
言わせなくてもいいのではないでしょうかという
永六輔氏の”命に対するいただきます”のコメントも載せてあった
母親はお金を支払う側と支払ってもらう側の立場のことを言っているのだろうが
それは広義的な意味で 今のホリエモンと同じ金銭至上主義に相通じてしまう
危険性が潜んでいると思う
もちろん宗教的にしたり、全員で唱和したりするのも嫌だが
感謝ということがあるが いただきますも ありがとうも感謝が入っている
何に対して感謝するかという対象の問題なのだろう
感謝の対象を目の前の支払う人にするか いただいた自然の命にするかだろう
コーヒーを注文したときにカップの下には皿がついてくる
多少こぼしたりしても飲むには 問題は無い
それでもこぼさずに運んできてくれる
ときには皿まで暖めたもので運んできてくれる
海外でコーヒーを頼んだとき ほとんどと言っていいほどこぼれて運ばれてきた
皿やカップは店主が暖かくして入れて飲んでもらおうと
暖めておくようにしたのだろう
給仕係は こぼさずに運ぶ練習を仕事以外で練習したりホールの状況を気遣って
運んでいけるようにしてるのだろう
ありがとうやいただきますには育てることを目的として言われることもある
個人主義化する今 他人は他人としてそれを認めて育てるためにも
いただきますやありがとうを言わなくてはいけないのかもしれない
少なくても感謝されて嫌がる人は居ない そこには何かの和が存在する気がする
それと日本には 針供養とか草木塔とか自然や物に対して
畏敬と感謝を持ってきた史実がある
これは世界的にも認知されるところで それがMOTTAINAIと言う言葉を生んでいる
世界から言われて気づく前に 自分たちで気づく努力が必要だと思う
2006.01.25:
K.Y
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