VERG Kiny note

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豪快な音を出して回る風車。

ドンキホーテの気持ちがわかる。

でも彼は移動することを止められた風車。

それでもできる精一杯のことをやり続けてる。

そんな姿に感動し尊敬の念を抱きドンキホーテが戦いを挑んだ。

どんなときでも精一杯生きることが大切なんだよと静かに語りかけてる。

2006.08.28:K.Yコメント(0):[メモ/コラム]
以前、1度だけ通りすがりに見た記憶がある。

鶴岡市を流れる赤川で今年も8/10にあるらしい。

広報では、去年は 蝉時雨 の挿入歌で一青窈の曲に合わせての

花火でオープニングだったとか。必要な持ち物に涙をぬぐう

ハンカチは必待でというらしい。今年はどうかはわからないけれど、

あの広い川面に映る花火は幻想的だった気がする。

2006.07.21:K.Yコメント(0):[メモ/コラム]
W杯も間もなく終わる。総評するにはまだ早い気もするけど、

今年の大会は、審判のつらい大会のようだ。ボールがゆっくり収まらないのだ。

どの試合を観てもスピーディで、速い展開が多く、

メカを導入しようかと迷った大会でもあったようだが、やはり早い。

今まで予選リーグで良く目にした試合は、たいていはどちらかのチームがボールを支配すると

相手チームは、チーム全員の呼吸を合わせるかのようにインターセプトを確実に出来るまで

前に出なかったが、本大会に入ってからの試合は、まったくと言っていいほど、どちらかのチームが

ボールをゆっくり支配したのを見たことが無い。

つまりどのチームも自分のチームの得意の戦術体系に入っていけないほど早い奪い合いなのだ。

つまりチーム全体が 動くのを待つのじゃなくて 個々がそれを考えひらめきで展開切り替えして

やっていくことが重要で、待つと言うことがないのだ。いかにその気持ちを持った選手が多くいるかで

試合の勝敗が決まっているような気がする。

まさに ZICOの言ってきたことそのもののなんだろう。

後残り少ない試合だが、その辺を感じて観ていても感動を得られる。

8月には次のアジア予選が始まる。そう言う選手を多く育てるのが、ファンなんだろうと思う。

2006.07.01:K.Yコメント(0):[メモ/コラム]
2006ワールドカップドイツ大会が開幕した。

開幕試合のドイツvsコスタリカから幕を開けた。

ドイツ主将のバラックは、強化試合で負傷して初戦欠場してしまい、ドイツサポーターから

かなりの非難を浴びた。

だが 強化試合とはいえ、直前のチームコンディションを整え戦術上のバランスやコンビプレイを

見るには 彼は不可欠で、彼が居て初めて今回のドイツとしてのメンタリティやコンビプレイが

目指すものだとわかってて強化試合を欠場出来るはずが無い。

ここ というときは、彼を中心に置いた今回のドイツのプレーが必ず必要となるはずだ。

ただあまり聞こえてこないが、彼は初めての統一ドイツの旧東側選出の主将であり、旧西側としては

表立っては出せないが、どこか底の方での不満が見え隠れしてる気がする。

東西の経済格差は大きいもので、貧困に苦しむ旧東側の希望と評されている彼に、

旧西側としてはちょっとしたこともつつきたい人間もいるのだろう。

だが、ロッペンが1得点を挙げたときに、彼とうれしそうに抱き合ってたバラックが、印象的だった。

やはりバラックが今大会のドイツチームの精神的な支柱であることを痛感して安心した。

バラックに限らず、各チームの選手は監督や国の期待を背負っていることを感じて

必死に戦っているのはどこも同じだろう。

スポーツ選手も人間であり、無理なスケジュールを与えてしまえば彼らは、その期待から

無理な出場をして取り返しのつかない重大な負傷を負ってしまったり、疲労をもってしまったりしても

戦うだろう。久保や田中を始め、前回のジダンや前々回のロベルトバッジョのように。。

彼らがベストコンディションで最高のプレーを出せるような環境でやらせてあげたいと

それ以来願うようになっている。今回もそうあってほしいと願う。

間違っても何年か前の南米のDFのようなことは2度とあってはならないと思う。

2006.06.12:K.Yコメント(0):[メモ/コラム]
歩道は、桜の木が占領しています。人は桜を避けながら歩きます。
人と車ではなく、自然優先。
自然のために少しだけ我慢しましょう。
根性桜なので。。

2006.04.26:K.Yコメント(0):[メモ/コラム]
自分の親は今も 何とか元気で アルバイトの夜勤の警備員をやってくれているが、

いづれ介護が必要になる日が来るだろう

というより、社会貢献はそろそろしなくてもいいころだと思うが、そのうち自分から

やめるとは思う

未だに手のかかる孫の面倒を 見てくれている母親も 曲がった腰を伸ばしながら

ご飯の支度をやってくれている

何もやらなくてよくなると 張合いがなくなってどっと老け込んでしまうから

その方がいいのかもしれないが、まあそれはこちらの勝手な思い込みで、本人たちは

つらいのかもしれない。

川崎市の男子転落死事件の今井容疑者の親も 寝たきりになり介護を要するように

なってから彼はそんな風になって行ったみたいだ。

身につままれる事件だ。

そうなったときに受け入れてくれる社会じゃなくなってきているのかもしれない。

初めのうちは、オーダーカーテン販売で休みを取りながらやっていたのだろうが、

そのうちそうも行かなくなってくる。

ローンで1戸建てを3000万で購入し、親を診れる環境にしたのだろうか?

だが、そうそう奥さんに診てもらうわけには行かない。

カーテン販売店をやめ、もっと自由の利く仕事に就くことを考えたのか?

だが、40歳をすぎてそれほど都合のいい仕事は無い。

半年間 無職で、いらいらがつのり自暴自棄となっていく。

受け入れてくれない社会を恨むようになる。

今の社会で彼のような人を救えそうに無いと思えることが

とても悲しい事件のように思える。

2006.04.05:K.Yコメント(0):[メモ/コラム]
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