VERG Kiny note

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俵雪、庄内ではそう呼ばれているらしい。内陸では、雪まくりとか呼ぶそうだ。
天気のいい日に斜面の雪が表面だけ温められて下層の雪と剥離を起こして
転がりだす。下層の雪は乾燥した雪の状態とそれ以前の層との境で剥離する。
何はともあれ、春に近づくためにはこれが起こる。
春よ来い、早く来い。
待ち続ける人にはまだまだ今年は長い冬になりそうだ。
2006.01.11:K.Yコメント(0):[メモ/コラム]
植物は、特に秋に赤く紅葉する落葉樹は、冬に備え葉を落とすために離層という物を持ち

秋になるとそれが膨らみ、葉に水分が行かなくなり 光合成による葉緑素の生成がなくなって

糖分が残り赤く色づく物質が残ると。。簡単言えばこのようなことらしい。

ただ不思議なのは、冬に備え葉を落とすために離層を膨らませるということ。

何かそこに植物の意図めいたものを感じてしまう。そのような意思はないのだろうが。。

寒暖差に反応してそう言う風になることまではわかる気もする。

踏みしめて歩く足元には、乾いた かさかさと言う音と赤や黄色に色を染めた葉が

敷きこまれている。

時々ぱちんと言う音がかすかに聞こえる。種を弾き飛ばす音のようだ。

やがて来るものに気を回さずに、今の色どりを楽しみたい。

これも日本人独特の感覚なのかもしれないけど。。
2005.11.10:K.Yコメント(0):[メモ/コラム]
夏が精一杯の声を上げて叫んでいる。
今を生きているんだーー。と言わんばかりに、じりじりの太陽に向かって。

その挑戦を受けるかのように太陽の方もヒートアップして治まるところをしらない。

全てを焼き尽くすかのほどの勢いだ。

この夏を生きるものへの試練でもあるかのように。

滴る汗を拭きながら日陰に避暑して水分を摂ると幸福感さえ感じる。

この暑さを受容しながら精一杯生きる事の喜びこそ、自然との共存なんだろう。

エアコンの避暑だけでなく、出来ることなら木陰や日陰の避暑してみるのは、

本当の意味での生きている証の一つかもしれない。

2005.08.05:K.Yコメント(0):[メモ/コラム]
また、桜の季節はやってきた。

人に愛でて欲しいわけじゃないだろう。それでも咲く桜を待っている自分が居る。

寒かった冬との決別の確実な知らせに誰もが心躍らせる。まるで恋焦がれるように。

咲く前のつぼみのうちから膨らみ具合を確かめて、かすかに若芽の香りを発して、漂わせる香りはほのかにくすぐり心を奪われてしまう。

4月のはっきりしない山の稜線のグレーの空に、淡いピンクの花を一杯につけると、色のトーンが合っていて心地がいい。

淡雪を思わせる散り始め。散ることにさえ美しさを感じる花は少ない。

自然現象であるにもかかわらず、これほど待ち焦がれることは他の自然現象にはないだろう。

暖かくなった喜びと一緒に春の香りと淡い色に包まれ、厳しい冬を乗り越えた幸福感と達成感に。。

広がるほの暗く青い宇宙空間に薄ピンクの花びらを散り広がってくれ。ぐるぐると渦を巻きながら桜の花びらの銀河となって宇宙全部を染めてくれ。

2005.07.11:K.Yコメント(0):[メモ/コラム]
1試合の中でシュートチャンスがめぐってくるのはシュート直前で、辞めてしまうのはそれまでのプロセスをすべて消すことになってしまう。

すべてはそのシュートをするためにディフェンスが走り、競り合い、中盤に繋げ、そこでも走り競り合いながら

必死のパスでシュートチャンスを作る。それが相手のわからない戦いなら何度訪れるかわからない。

ましてコンビネーションや、チームワークとなれば何度もあわせて相手の考えを知り合いながら積み上げたもの。

そこまでしてようやくできるシュートのチャンスなのに直前でやめてしまう。

それは確かに、シュートしてゴールになる確率は多い方じゃないかもしれない。

でもシュートもしないでゴールはありえない。

絶対にシュートは打ってみるべきだ、途中でやめるべきじゃない。

それだけは絶対にだめだ。

やること、やれることが君に存在価値を見出す。

失敗を恐れないで。。
2005.07.11:K.Yコメント(0):[メモ/コラム]
この宇宙の星たちの動きの中で人間の生死はほんの一瞬の営みなのに

何であなたは、ほんの小さな悩みで宇宙全部の悩みであるかのように考えて行動してしまうのだろう?

あなたの小宇宙は、悩みで一杯になっているのだろう。その小宇宙とは宇宙のほんの一部であることを知ってほしい。

そのほんの一部の中で、自分と本当に会うと思える人間同士が出会う確立はどのくらいあるのだろう?

100通りの人間が居るとしたら1/100なのだろうね。

それでは人間が悩みに襲われる確立はどのくらいだろう?悩みの無い人間は居るのだろうか?

恐らく人間は皆、悩みを持っているだろう。つまり100%ということだ。もちろん私も持っている。

どの悩みが大きくてどの悩みが小さいのだろうか?

悩みのほとんどは、自分ではどうする事も出来ない相手があるために起きるのだろう。相手があると言うことでその相手と話し妥協点を見出さない限り消えない。

その相手との対峙のしかたを間違えてしまえば、心に傷として残りまた同じ悩みに出会うようになってしまうだろう。つまり悪い言い方だと”逃げてしまう”ような対峙をすればそうなってしまうということだ。

そう言うことにだけは、あなたにはなってほしくない。

あなたの小宇宙は、その今の悩みにとらわれていることで、その宇宙は悲しい色になっているだろうね。

そんな小宇宙に閉じこもらないでほしい。

全てはどこまでも広い宇宙なんだから。。

2005.07.11:K.Yコメント(0):[メモ/コラム]
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