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「延年の舞」奉納【高畠町】安久津八幡神社 秋季例大祭
9月15日(日)に高畠町安久津八幡神社にて秋の例大祭が行われました。
小学生の男子児童による「延年の舞」が奉納され、次に鏑流馬(やぶさめ)が奉納されました。
安久津八幡神社では、5月3日は春の例大祭として小学生の女子児童による「倭舞・田植舞」が舞われ、9月15日は秋の例大祭として小学生の男子児童(稚児)による「延年の舞」が舞われています。
「延年の舞」は、平安時代終わり頃より、法会・法要などに舞われたものだと伝わる舞楽です。
神社へ奉納するための舞であり、豊作、天下泰平、国家安全、参会者の長寿の祝いなど祈願した舞で、県指定の無形民俗文化財となっています。
舞楽は、振鉾式(燕舞式)、拝舞、三躰舞、太平楽、眺望楽、蛇取舞、姥舞の7曲が伝わっています。
振鉾式と姥舞の2曲が舞師が舞い、他の5曲は男児が舞うため、別名稚児舞とも呼ばれています。
例大祭の模様と、古式を留めた舞をご紹介します。
◆安久津八幡神社例大祭斎行 参進
例大祭の始まりの合図の花火が打ち鳴らされ、 本殿に向かう稚児と参会者ら。 | 舞楽殿に到着。 お祓い、ご祈祷を行います。 |
「延年の舞」、「鏑流馬」の前に、 本殿にて神事を行います。 | 神事の後は「延年の舞」奉納のため、 いよいよ舞楽殿へ移動します。 |
◆延年の舞
「延年の舞」の唱歌 |
今年は新たな稚児を迎え、全員が初参加の舞となります。
「延年の舞」稚児が舞う各演目は、出舞人の唱歌につれて舞います。
演目ごとに唱歌が違い、どの演目も独特で素敵な唱歌でした。
◆演目順 ※小学生による舞は赤印
①振鉾式(えんぶしき) ・・・・・ 大人1人舞。2本の鉾を持つ。
②三躰舞(さんたいまい) ・・・・・ 稚児3人舞。
③拝舞(おがみまい) ・・・・・ 稚児1人舞。扇を持つ。
④太平楽(太平楽) ・・・・・ 稚児2人舞。太刀を用いる。
⑤眺望楽(ちょうぼうらく) ・・・・・ 稚児2人舞。
⑥蛇取舞(へびとりまい) ・・・・・ 稚児1人舞。蛇をあらわす輪を置く。
⑦姥舞(うばまい) ・・・・・ 大人1人舞。老女の面をつけて舞う。
①振鉾式(えんぶしき)
大人1人による舞。2本の鉾を持ちます。
式のはじまりに舞人とよばれる大人が舞います。
②三躰舞(さんたいまい)
男の子3人による舞。
あいにくの雨模様でしたが、舞楽殿前には沢山の観客やカメラマンで賑わっていました。
③拝舞(おがみまい)
男の子1人による舞です。扇を持ち、合掌して拝むような姿勢で舞います。
④太平楽(たいへいらく)
男の子2人による舞です。
白い装束で天冠はつけずに、はちまきを締め、太刀を用いて舞います。
⑤眺望楽(ちょうぼうらく)」
男の子2人による舞です。
太平楽と続けての舞となるため、衣装も同じで似ています。
⑥蛇取舞(へびとりまい)」
男の子1人による舞です。
蛇を捕って、食すまでの流れを表している舞だそうです。
舞楽殿の中央に蛇のかたちをした布を置き、その周辺を舞います。
舞の前半に蛇退治を表現し、後半に退治した喜びを表現しています。
稚児舞の中では最も難しい舞だそうです。
小学校6年生の男の子が舞いました。
⑦姥舞(うばまい)
「延年の舞」のクライマックス、最後を締めくくる演目は、姥舞です。
奥州平泉毛越寺(岩手県)の「老女の舞」と同系のもので、稀にみる秘曲とされています。
昔の人は、姥の面の向く方向で、その年は豊作か不作か判断したそうです。
続いて鏑流馬が行われました。
◆鏑流馬(やぶさめ)
延年の舞が終わると、舞楽殿の横にある馬場で流鏑馬が奉納されます。
全部で一二的あり、一年十二ヵ月を表しているそうです。
昨年は閏年のため一三的あったそうです。
矢は当日朝に神社敷地内で取れた竹を手作りしたものといいます。
百発百中。
無事一二的射抜かれた的と矢は、縁起物として矢と的を1セットで販売されます。すぐ売り切れでした。
取材の事前調べで、矢のことは知っていたので、念願叶って購入できました。
馬は、毎年同じ馬で、粟島からフェリーで運ばれてきたそうです。
雨の中、躍動感ある鏑流馬は見応えがありました。
毎年華やかな衣装で行っているそうですが、悪天候の為、今年は軽装となっています。
安久津八幡神社の本殿には、鏑流馬とみられる画もありました。
延年舞は平安末期から鎌倉、室町時代にかけて行われた寺院芸能の一種でありますが、安久津八幡神社の延年の舞は、かつて盛大に行われた同社に関わる延年の姿をしのばせるもので、芸能の変遷の過程、地域的特色を示すものとして重要であるとされています。
平安時代から約1000年毎年受け継がれてきた「延年の舞」。
現在も日本全国で延年が行われている寺社・地域は約8ヶ所ほどで、安久津の地に伝わっていることは素晴らしいことだと思います。
今年は、高畠町の催しで「延年の舞」を観れる機会があるそうですので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
置賜文化フォーラム編集員の文化リスがお送りしました。
○取材日 平成25年9月15日(日)
詳細:安久津八幡神社 秋季例大祭
会場:安久津八幡神社
時間:午前10時~
○取材協力 安久津八幡神社(宮司:一戸芳樹さん)
安久津八幡神社文化財保存会
○関連記事 昨年度(平成24年)安久津八幡神社 秋季例大祭
山形県能楽の祭典出演【米沢市】伝国の杜こども狂言クラブ
第10回山形県能楽の祭典が、9月8日(日)に伝国の杜・置賜文化ホールで開催されました。
伝国の杜・こども狂言クラブから7名が出演し、和泉流の狂言を披露しました。
能楽の祭典は、山形県内各地から各流派の能楽愛好者を米沢に迎えて能舞台で日頃の成果を披露し、能や狂言など日本の伝統芸能が盛大に繰り広げられます。
金剛流、観世流、喜多流の連吟や仕舞、素謡、舞囃子などが披露される中、こども狂言クラブの発表は始まりました。
◆演目
小舞「宇治の晒(うじのさらし)」
小舞「暁(あかつき)」
狂言「佐渡狐(さどぎつね)」
演目順にご紹介いたします。
演目の解説や子ども達の発表を終えての感想とともにご覧いただければと思います。
◆小舞「宇治の晒(うじのさらし)」
謡: 宇治の晒に、島に洲崎に立つ波をつけて 浜千鳥の友呼ぶ声は、 ちりちりやちりちり、ちりちりやちりちりと 友呼ぶ所に、島陰よりも、櫓の音が からりころりからりころりと 漕ぎ出だいで、釣りする所に、 釣った所が、面白いとの。 |
解説:「釣ったところが、面白いとの~~」とカッコよく舞わなければなりません。
謡の声がセリフの元であり、舞の動きが動作の基本です。
何はなくとも、謡と舞が大事です。
―小舞「宇治の晒」の発表を終えて、感想をお聞かせてください。
リハーサルのときは、声出しなどうまくできなくて、息も合わなかったのですが、本番では息ぴったりで、声出しもできたので良かったです。
―次の活動の目標はありますか?
間違えを直したりと、もっともっと上手に出来るようになりたいです。
―発表を通したり、そういった日々の稽古の積み重ねで、より良いものになるのかなと思います。今後のご活躍も応援しています。
◆小舞「暁(あかつき)」
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謡: 暁の明星は 西へちろり 東へちろり ちろりちろりとするときは 扇(おうぎ)おっ取り 刀差(かたなさ)いて 太刀(たち)の柄(つか)に手打ち掛けて 去(い)のうよ 戻ろうよと 言うては袂(たもと)に取りついた 去(い)のうとも 戻ろうとも 何(なに)ともそなたの御計(おっはか)らいと 言うては小腰(こごし)に抱きついた 愛しにはきりりんの きりりんきりりん かぎりりんの きりりんの 手も力もないものを |
解説:狂言小舞謡の曲名で、男が女の所に泊まったその暁、互いに別れを惜しんですがりつき、いとしいとしと言い合うことをうたったものです。
軽妙洒脱な趣のなかに濃艶な情緒を描き、軽快な狂言ノリのリズムの謡。
単独に謡い舞われるほか、狂言などに用いられ、浄瑠璃や歌舞伎などにとり入れられています。
◆狂言「佐渡狐(さどぎつね)」
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解説:
佐渡の百姓と越後の百姓が、佐渡島にきつねがいるかいないかを、2人は腰の刀を賭けることにします。きつねを知らない佐渡の百姓は、役人に賄賂を渡して、みかえりに役人は、狐を見たことがない佐渡の百姓に細かく狐の姿を教えます。
越後の百姓が佐渡の百姓に狐に関する質問をしますが、役人の助けで賭けに勝った佐渡の百姓は越後の百姓の刀を取って去ります。
納得のいかない越後の百姓は佐渡の百姓を呼び止め、きつねの鳴き声を問いただします。
すると、佐渡の百姓は「ホーホケキョ」と答えてしまい、佐渡の百姓は刀を奪われてしまいます。
「自分の分だけでも返してくれ」と言いながら後を追う。といった笑いを誘うお話です。
―狂言「佐渡狐」の発表を終えて、自分で評価をつけるならば、100点満点中何点ですか?
100点満点中、70点くらいです。
―残りの30点は、どんなところが満足いきませんでしたか?
セリフが詰まってしまい、思い出すまでに間が空いてしまったことや、間違えてしまった部分があったところです。
―とても上手な発表だったと思いますが、反省点もある中で、良かった部分はありますか?
狂言「佐渡狐」を演じている中、客席に笑いが起きていたと聞いて、普段あまり笑われることが少ないので、ストーリーが客席に伝わり、笑いが起きていたことは良かったと思います。
―狂言「佐渡狐」は笑いを誘う面白いお話ですよね。鑑賞するたびに上達が感じられて、上手に演じられており、狂言はやっぱり面白いなぁと思いました。発表の機会を次回に繋げ、これからのご活躍も期待しています。
こども狂言クラブは、発表の機会が多くあるので、鑑賞するたびに子ども達の上達が感じられ、見事に演じ切る姿はとても立派だと思います。
引き続き、こども狂言クラブのご活躍を楽しみにしております。
置賜文化フォーラム編集員の文化リスがお送りしました。
○取材日 平成25年9月8日(日)
出演:第10回山形県能楽の祭典
会場:伝国の杜・置賜文化ホール(米沢市)
時間:開演/午前9時30分 終演/16時40分
○取材協力 伝国の杜 こども狂言クラブのみなさん
伝国の杜・置賜文化ホール能舞台の移動リポート【米沢市】
9月5日(木)に、伝国の杜・置賜文化ホール(米沢市)のエントランスにある能舞台の移動作業が行われました。
能や狂言の公演時には、置賜文化ホールのステージ(舞台迫り)に能舞台を移動して、ホールは本格的な能楽堂になります。
9月8日(日)に「山形県能楽の祭典」が開催されましたので、このような公演ごとに年に数回程度、移動が行われています。
通常、能舞台の移動作業は非公開となっており、一般公開はされておりませんが、
今回、こちらの様子を取材させていただきました。
普段見ることが出来ない模様を写真と共にお伝えしたいと思います。
伝国の杜を入るとすぐに、立派な能舞台が目に入ります。
この能舞台はホバークラフトの原理を利用し、空気浮上しながら移動させる全国初の能舞台です。
鏡板に描かれている松と竹の絵は、米沢市出身の福王寺法林画伯によるものです。
①浮上→前先行
空気圧により能舞台が浮上 | 前方に約3.5メートル移動 |
ホバークラフトの原理により、石床から数センチ、能舞台が浮上します。
ホバークラフトは上から吸い込んだ大量の空気を能舞台の下に吹き込み続けることで浮上します。
総重量が約50トンある能舞台も空気浮上することにより、約1トンの力で牽引することが可能になります。
浮上後、ワイヤーで前方に引っ張り、約3、5メートル移動させます。
②旋回
ホールに向かって旋回 | 徐々に進んでいきます。 |
ホールへの入口も丁度良く設計されています。 | 90度旋回します。 |
能舞台を裏から見た光景 | 旋回完了です。 |
浮上後、能舞台を90度旋回させます。
ウインチで牽引しながら後ろのホール内に移動します。
1分間に約1メートルの速度で移動します。
④横走行
横に走行していきます。 | ステージから見た光景 |
徐々に動いていきます。 | ステージへ走行完了です。 |
旋回が完了したら、続いて横に走行します。
移動距離は、約23、5メートルです。
置賜文化ホールのステージに向かって進んでいきます。
⑤前走行→着床
前走行していきます。 | 着床完了です。 |
ステージに移動が完了したら、続いて前走行です。
客席側に向かって、能舞台が進んでいきます。
⑥舞台迫り下降→移動完了
着床を終え、続いてステージが降りていきます。 | ゆっくりと下がるステージ |
客席との段差がなくなっていきます。 | ステージ下降完了 |
置賜文化ホールに能楽堂が完成 | 脇見所と呼ばれる席もあります。 |
客席側との段差をなくすため、ステージが下降し、下降が完了した後は、本格的な能楽堂が完成します。
◆移動後、伝国の杜エントランス
能舞台が移動され、広い空間となったエントランス | いかに大きい能舞台だったか実感します。 |
写真では、伝わりづらい部分もあるかと思いますので、
一連の流れをパラパラ風の写真で作ってみました。
能舞台の移動という、貴重な現場にお邪魔できたことを大変光栄に思います。
全国でも珍しい動く能舞台が身近にあるということも、米沢地方の歴史、上杉文化の伝承が続いているからこそだと、改めて素晴らしいと感じました。
いずれの芸事もそうですが、人々は、自らの師匠の姿を真似ることで受け継いできたのだと、わかりました。
次回は、こちらの置賜文化ホールの能舞台で行なわれた「山形県能楽の祭典」の様子をお伝えしたいと思います。
置賜文化フォーラム編集員の文化リスがお送りしました。
こども狂言クラブお稽古の取材【米沢市】伝国の杜
8月25日(日)に『伝国の杜こども狂言クラブ』のお稽古の取材に伺いました。
こども狂言クラブは、9月8日(日)に伝国の杜・置賜文化ホールで開催される平成25年度山形県「能楽の祭典」に出演します。
この日は、和泉流狂言師の山下浩一郎先生のご指導のもと、次回の発表の場である「能楽の祭典」のリハーサルを行い、また今年習う小舞・狂言の演目ごとにクラスに分かれてお稽古を行いました。
◆お稽古演目
・小舞「宇治の晒(うじのさらし)」
・小舞「七つ子(ななつご)」
・狂言「盆山(ぼんさん)」
・狂言「佐渡狐(さどぎつね)」
・狂言「仏師(ぶっし)」
・狂言「鐘の音(かねのね)」
お稽古の様子をお伝えいたします。
◆小舞「宇治の晒」
伝国の杜エントランス能舞台で「能楽の祭典」発表のリハーサルを行いました。
浴衣で練習を行うことで本番の着物を着ての足の動きなど、同じ感覚をつかむことができます。
◆小舞「七つ子」
「七つ子」の舞を、初めて最後まで型をつけました。
山下先生が「七つ子」の謡を歌いながら、全体の動き、扇を持つ手の高さや、立ち位置などを確認しました。
◆狂言「盆山」
小学生の女の子2名が参加し、セリフ覚えを行いました。
初めに山下先生がセリフを読み、言葉の発音などを確認しながら、
そのあとに続いて、セリフを読み、発声練習を行います。
狂言を演じるにあたって、ストーリーや長いセリフを頭に入れ、
まずは正確に発音・発声できるように習得していきます。
山下先生は次回までの課題に、『お客さんに"ここはこういう場面ですよ。"と伝えるために、大事なところに印をつけてきて、その場面をしっかり演じ切れるように、家でおさらいしましょう。』
とご指導なさっていました。
月に一度のお稽古なので、次回の稽古まで各自での自主練習が必要となってきます。
◆狂言「佐渡狐」
「能楽の祭典」のリハーサルをかねて、演者が能舞台で合わせ稽古を行いました。
狂言「佐渡狐」は、3月のこども狂言クラブ春休み発表会で披露した演目です。
能舞台で一通り演じ、山下先生がご指導なさいます。
能舞台から見た光景は照明が明るく、客席側から見る光景とは雰囲気が違いました。
「能楽の祭典」の発表まで約2週間ほどですが、リハーサルはこの日だけです。
その後は各自が復習稽古をし、発表の場に望みます。
この日のお稽古を代表して、こども狂言クラブに入って7年目となる中学二年生の男子生徒にインタビューさせて頂きました。
習ってきた演目のレパートリーも多く、狂言を立派に演じられています。
―今年習う演目は何ですか?
狂言「仏師」と小舞「七つ子」です。
小舞は、舞と謡を両方習ってから、どちらかを担当します。
―今日のお稽古はどうでしたか?
いつも通り、順調で面白かったです。
―どんなところが面白かったですか?
今日稽古した演目の小舞「七つ子」は、初めて習う謡なので、謡以外にもその舞を習うのも初めてで、全く知らない演目だったので、日々新しいことに挑戦できるのが面白いです。
―次の発表は「能楽の祭典」ですが、発表に向けての意気込みはございますか?
今までやってきた演目の中から披露するのですが、山下先生にも一度見ていただいているので、
精一杯できるだけ練習して発表できるように頑張りたいです。
―山下先生のお稽古は月一回ですが、それまでに自主稽古を行なっているのですか?
家でもそうですが、能舞台を借りて練習をしたりしています。
―7年間、狂言を習ってこられて山下先生から教わることはございますか?
山下先生は、狂言師としてもプロですし、話題も豊富で面白いですし、教え方もうまいし、
そういった部分を通して、頭にすんなり入ってくるので、尊敬しています。
―ありがとうございました。次回の発表も楽しみにしています。
次回のこども狂言クラブの発表の場は、9月8日(日)に置賜文化ホールで開かれる「能楽の祭典」です。
◆第10回記念 平成25年度山形県「能楽の祭典」
米沢の金剛流を初め、山形県内には各地に能楽の文化が受け継がれています。
毎年9月に一堂に会して発表し研さん、交流の場となっているこちらの公演は、今年で10回目を迎えます。
平成13年、伝国の杜が開館した年に、能楽は世界無形遺産となりました。
しかし、かつて能楽がカラオケ同様に庶民の娯楽だった時代と比べると、おそらく今は歌詞がまるで外国語のように難解に感じられるようになったのでしょう。
10回目を数える今年は、能楽を楽しむためのちょっとしたコツと基本的な知識を知っていただけるよう、ご来場の方にオリジナルしおりを差し上げます。
能楽を一番上演するのではなく、謡だけを楽しむ「謡曲」、謡と舞の「仕舞」、楽器によるお囃子と舞の「舞囃子」、楽器と謡による「連調」といった、能楽の楽しみを県内各地で活動している会が流派を超えて集まります。
(伝国の杜・置賜文化ホールWEBサイトより抜粋)
◇日時 : 9月8日(日) 開演 9:30
◇会場 : 置賜文化ホール
◇入場料 : 全席自由・入場無料
◇出演団体 : 県内各流の能楽愛好団体、伝国の杜こども狂言クラブ など
◇問合わせ : 伝国の杜 0238-26-2666
能舞台で繰り広げられる日本の伝統文化を一度ご覧になってみませんか。
入場無料ですので、お時間がございましたらぜひ足を運んでみてください。
置賜文化フォーラム編集員の文化リスがお送りしました。
○取材日 平成25年8月25日(日)
場所:伝国の杜(米沢市)
○取材協力 伝国の杜 こども狂言クラブのみなさん
ご指導者 和泉流狂言師 山下浩一郎さん
八乙女八幡神社 拝殿内にて『八乙女の舞』奉納【白鷹町】八乙女八幡神社例大祭
8月16日(金)に、白鷹町荒砥甲にある八乙女八幡神社の例大祭が行われ、荒砥小学校5、6年生の女子児童が巫女になり「八乙女の舞」を奉納しました。
「八乙女の舞」は、約20年以上大切に受け継がれてきた荒砥地区の地域伝統文化であり、平成24年度より荒砥地区公民館事業の一環で行なっております。
前回の記事でご紹介した15日の前夜祭「宵宮祭」での披露の様子も併せてご覧ください。
8月15日(木):「八乙女の舞」披露【白鷹町】上町ポケットパーク
白鷹町の八乙女八幡神社です。
八乙女八幡神社は、平安時代後期に源義家が京都・石清水八幡宮の分霊を祀り、
源義家が東征の時、八人の乙女に戦勝祈願として舞を奉納させたと言い伝えられています。
荒砥町生誕100年の記念碑もありました。
平成2年に荒砥町誕生100周年記念行事として、八乙女の舞の奉納を開始しました。
荒砥町という地名は、昭和29年に合併のため、白鷹町となりましたが、歴史は残っています。
例大祭の前に、拝殿前にて神事を行います。
神事を行なった後は、いよいよ拝殿内へ移動し、「八乙女の舞」が奉納されます。
拝殿内に入り、奉納前の舞姫のみなさん。
いよいよ舞姫による「八乙女の舞」の奉納が始まります。
動画もご紹介します。併せてご覧ください。
拝殿内では、一度の奉納で4人ずつ舞います。
一組目の舞の披露が終わった後、続いて二組目の披露です。
今年新調されたばかりの袴、千早を身にまとい、
優雅に清らかに舞い、神聖な雰囲気を醸し出していました。
今年参加初めての一年目となる小学5年生の5名です。
来年も引き続き、八乙女の舞に参加なさるとのことで今年の経験を、来年にも繋げたいと意気込みが感じられました。
今年から参加された5年生を引っぱってこられ、
今年で参加が最後となる小学6年生の2名にインタビューさせて頂きました。
―発表の日まで練習を重ねてきて、いよいよ発表ですが意気込みなどがあれば教えてください。
一緒にやってきた後輩の5年生は、初めての参加ということで、踊りを覚えるまでが大変だったと思うけど、間違ってもいいので、最後まで一緒に踊りきれたらいいなと思います。
―小学生の自分達が「八乙女の舞」を舞うことで、どのような意味合いを持つと思いますか?
大人とは違った小学生が持つ個性や雰囲気で、大人とはひとあじ雰囲気が違う舞になるのではないかと思います。
―2年間、「八乙女の舞」に参加されてみてどうでしたか?
神社に入るのが去年初めてだったので、神社で踊ってみて狭かったと感じました。
本番は練習とは雰囲気が違うので、緊張感もあったけど良い経験となりました。
―これからも「八乙女の舞」を受け継いでいく後輩へメッセージがあったらお聞かせください。
八乙女の舞がなくならないように、守っていって欲しいです。
舞は難しくても間違ってもいいから踊りきって欲しいと思います。
―ご指導してくださった新野先生へ何かあればお聞かせください。
2年間優しく教えてくださってありがとうございました。
―「八乙女の舞」をずっとご指導されてきて、練習も10回以上重ねてきたとのことですが、今日の子ども達の発表はいかがでしたか?
「八乙女の舞」を舞う前に、注意するところを子ども達にアドバイスしたのですが、言ったところをきちんと守っていて、大変良かったと思います。
また、私から言わなくても、子ども達の方から"ここはどうしたらもっと良くなるか"ということをほとんどの子ども達がひとりひとり、聞きに来たんですよ。
積極的にそういう気持ちや舞に対する思いなどが、本番の日に全部実を結んだので、大変立派だったと思います。
―舞を拝見し、とても清らかでお上手でした。子ども達の巫女姿は綺麗でしたし、優雅な舞がとても美しかったです。
そうですね。今年初めて参加した一年目の5年生の5人も頑張って、6年生2人も経験者としてそれを引っ張ってきまして、とてもまとまって、発表できたと思います。
それから、裏で支えてくださるお母様方の協力があってこそですし、公民館の蒲生さんの影でのお力や、荒砥小学校の校長先生のお力、当然それがあってでないと、「八乙女の舞」は出来ないものなので、そういった結果が出たと思います。
―舞に関して、立ち位置だったり、先生が細かくご指導されたとお聞きしましたが、ご指導するにあたって大変だったこともあるかと思いますが、八乙女の舞を綺麗にみせたいという先生の思いもあるのでしょうか?
子ども達が主体ですので、今まで一生懸命練習してきたものが、一番良くみなさんに見ていただければと考えて、子ども達の披露が本当にみなさんに喜ばれて、"上手だったね"と言われることが、私も一番嬉しいですし、指導者や裏方がいてこそもあるのですが、一番の主役は、やはり舞姫である子ども達なんです。
―子ども達がいなければ八乙女の舞は出来ないものですよね。これから先も、八乙女の舞がずっと途切れずに続いていくことが、先生の願いでもありますか?
そうですね。伝統でここまで20年近く続いてきているので、この先続いていくにあたって、いろいろな事情があるかもしれませんが、それでも"舞ってみたいな"、やってみたいな"と思ってくれる子ども達がいる限り、続けられると思っています。
―これから先も八乙女の舞がずっと代々続いていくことを私も願っております。
お忙しい中、ありがとうございました。
この由緒ある八乙女の舞に参加することは、子ども達にとってすばらしい体験と思い出となり、大人になっても宝物になることでしょう。
これからも子ども達が舞う「八乙女の舞」を多くのみなさんに見ていただけますように。
次回の「八乙女の舞」披露の場は、荒砥小学校での学習発表会となります。
引き続き、子ども達のご活躍を見守っていきたいと思います。
置賜文化フォーラム編集員の文化リスがお送りしました。
○取材日 平成25年8月16日(金)
詳細:八乙女八幡神社 例大祭にて「八乙女の舞」奉納
会場:八乙女八幡神社 拝殿内(荒砥地区)
時間:午後10時~
○取材協力 ご指導者 新野 早苗さん(手ノ子鎮座 八幡神社 禰宜)
白鷹町立荒砥小学校(鈴木 雄次校長)5、6年生のみなさん
荒砥地区公民館(白鷹町 荒砥地区)
八乙女八幡神社(白鷹町 荒砥地区)
八乙女八幡神社 前夜祭『八乙女の舞』披露【白鷹町】上町ポケットパーク(荒砥地区)
白鷹町八乙女八幡神社の例大祭が8月15日・16日の2日間行われました。
前夜祭である15日の「宵宮祭」、16日の「例大祭」にて、白鷹町立荒砥小学校の5、6年生女子児童が舞姫となり「八乙女の舞」を奉納しました。
八乙女八幡神社は、平安時代後期に源義家が京都・石清水八幡宮の分霊を祀り、
源義家が東征の時、八人の乙女に戦勝祈願として舞を奉納させたと言い伝えられています。
この伝承にちなんで、平成2年に荒砥町誕生100周年記念行事として、「八乙女の舞」の奉納を開始しました。
神社本庁が制定した「豊栄の舞」を「八乙女の舞」とし、以来、荒砥小学校5、6年生の女子児童が毎年奉納し、先輩から後輩にその伝統を受け継いできました。
「八乙女の舞」は、約20年以上大切に受け継がれてきた荒砥地区の地域伝統文化であり、平成24年度より荒砥地区公民館事業の一環で行なっております。
今年は5年生5名、6年生2名の計7名が参加し、12回ほど練習を重ねてきました。
以前に練習の様子にも伺っています。こちらも併せてご覧ください。
◆八乙女八幡神社「八乙女の舞」練習風景(7月12日)
奉納の様子を、両日ともご紹介いたします。
まずは8月15日の「宵宮祭」での上町ポケットパーク(荒砥地区)で披露された模様からお伝えします。
袴に千早(ちはや)を身にまとい、舞姫となった女の子たち。
こちらの衣装は今年新調されたばかりだそうです。
新しい衣装に身をつつみ、とても美しいです。
巫女姿の舞姫となった女の子たちは、手に榊(サカキ)の枝を持ち、優雅に清らかに舞い、ライトアップされたステージで神聖な雰囲気を醸し出していました。
衣装の特徴として、髪飾りには繭花(まゆばな)、白鷹町の「深山和紙(みやまわし)」がほどこされています。
使用する花飾りの繭花は、15日と16日の2日間では違う種類を使い、髪につけます。
一度の奉納で、4人ずつ舞いますので、計2回の披露となりました。
小学6年生の女子児童1名が2回参加しています。
八乙女の舞は本来は8人で踊る舞なのですが、参加する人数が減ってきているということで、今年は7人での舞の発表となりました。
八乙女の舞の披露が終わり、司会進行の方より舞姫にインタビューがありました。
ご紹介したいと思います。
―(6年生へインタビュー)
昨年も「八乙女の舞」をこのステージで披露されたとのことですが、今年の舞はどうでしたか。
今年はとても楽しく、みんなでうまく舞うことが出来たので良かったです。
―2年目ということで余裕を持って舞うことができましたか。
はい。できました。
―練習は何回やってこられましたか。
10回くらいです。夏休み中も練習しました。
発表では練習の成果を披露できたので良かったです。
―特に難しかったところはどんなところですか。
ゆっくりとした音楽に合わせて回る場面が難しかったです。
―今年の舞は、自分で点数をつけるなら何点ですか。
50点くらい・・です。
―(5年生へインタビュー)
今年初めての「八乙女の舞」の発表のステージはいかがでしたか。
また、どんなところが大変でしたか。
・難しい部分もあったけれど、披露の場でみなさんに見て欲しいという気持ちで練習をやってきたので、みんなと楽しくできたので良かったです。
また、みんなで間奏の部分を合わせるところがとても綺麗にできたので良かったです。
・ゆっくりとした音楽に合わせて回るところが難しく、大変でした。
みんなとの息の合わせ方もあるので、また来年も頑張りたいです。
・お客さんが沢山いる中で緊張したけれど、みなさんに披露できるので嬉しかったです。
・人がいっぱいいるところで踊ったことがなかったので、恥ずかしかったです。
失敗したところもあったけど、大体成功したので良かったです。
失敗した部分は、来年に活かしたいと思います。
―来年はどんなところをがんばって、またどんなところを見て欲しいですか。
みんなで合わせるところをがんばって、間奏などの全体の部分を見て欲しいです。
―昔々からの「八乙女の舞」を、今もみんなでできることについてはどんな気持ちですか。
八乙女の舞を、みなさんにもっと見てもらって、伝統を知ってもらいたいです。
―お化粧してこの衣装を身に着けてみてどうですか。
とても綺麗だと思います。
舞がこれから先も絶えることなく、みなさんの子ども達の代にも伝えていければいいですね。
5年生のみなさんは、来年は6年生ということで、新しく入ってくる後輩の5年生と併せてステージに登場して欲しいと思います。
6年生のおふたりは、このすばらしい経験と思い出を、これからも忘れずに過ごしていって欲しいと思います。
発表の前には、ご指導者の新野早苗先生が直前まで子ども達にご指導されていました。
子ども達も積極的に先生へ質問をしており、意気込みが伝わってきました。
次回の記事では、いよいよ8月16日の本番の例大祭での、
八乙女八幡神社拝殿内「八乙女の舞」奉納の様子をお伝えしたいと思います。
置賜文化フォーラム編集員の文化リスがお送りしました。
○取材日 平成25年8月15日(木)
詳細:八乙女八幡神社 例大祭「宵宮祭」にて「八乙女の舞」披露
会場:上町ポケットパーク(荒砥地区)
時間:午後7時頃~
○取材協力 ご指導者 新野 早苗さん(手ノ子鎮座 八幡神社 禰宜)
白鷹町立荒砥小学校(鈴木 雄次校長)5、6年生のみなさん
荒砥地区公民館(白鷹町 荒砥地区)
八乙女八幡神社(白鷹町 荒砥地区)
【飯豊町】中獅子踊りのご紹介【無形文化財】
■平成25年度「中獅子踊り」
8月14日に、飯豊町中地区で「中獅子踊り」が公民館前や広場など計5ヶ所で行われました。伝統ある中獅子踊りは、中獅子踊り保存会の方々によって披露され、メンバーは大人約23名、子ども約18名、合計で約41名が在籍しています。
今年から新たに小中学生も参加し、活気ある中獅子踊りとなりました。当日の模様をご紹介します。
◆中獅子踊り
日時:平成25年8月14日(水)
巡演順番:中地区公民館前など計5ヶ所
(沖公民館→新田自治館前→中西公民館前→中北公民館前→中公民館前)
◆三匹の獅子(雄獅子・雌獅子・友獅子)
三匹の獅子(雄獅子・雌獅子・友獅子) | 雄獅子 |
雌獅子 | 唄と笛に合わせて踊る |
雌獅子を中心にして、雄獅子と友獅子が守っている形で踊り、服装は雄獅子と友獅子は同じですが、顔面は三様です。
獅子役は男の子で、なるべく年齢、身長が低ければ低いほど良いとされています。中獅子踊りに参加する子どもは、初めはこちらの獅子役から始めます。
◆踊り子について
“花吸いの踊り“獅子と花吸いの共演 | 中立ちが踊る① |
中立ちが踊る② | 花吸いと中立ち① |
花吸いと中立ち② | 中立ちが踊る③ |
中獅子踊りは、「前唄(まえうた)」「長唄(ながうた)」と呼ばれる歌を歌いながら踊ります。中獅子踊り保存会の大人の方が歌い、それに合わせて子ども達が獅子役、太鼓役となって、踊ります。
・中立ち(なかだち)
花笠の腹太鼓を持っていて太鼓を打ち鳴らし、盛んに左右に行ったり来たり、太鼓を打ちながら動き回ります。
・花吸い(はなすい)
顔を花笠で覆って女装した数人が獅子の後方で太鼓を打ち鳴らします。獅子と花吸いが共演する“花吸いの踊り”は、獅子が花にたわむれる形、獅子が花のみつを吸う形があります。中立ち、花吸いは、獅子の経験を経てから担当します。
・笛吹き
若干10人程度を理想とします。当初は、笛吹きも男の子が担っていたそうですが、近年の人出不足と存続の関係から、女の子も笛役に参加しています。
・唄い手
前唄、長唄とよばれる唄を歌います。唄に合わせて獅子が踊ります。若干7~8名程度を理想とします。唄い手は大人の方が担当します。
・まとい持ち
色男(いろおとこ)と称する者が1人持ちます。中獅子踊りのまといの特徴として、桜の花が付いています。
・面すり
踊り子の先だちをしたり、踊りに一層栄をもらせる役のものです。
◆輪くぐり(雌獅子狂い)
雌獅子狂い“輪くぐり”① | 雌獅子狂い“輪くぐり”② |
中獅子踊りのメインとなる“輪くぐり”です。“輪くぐり”は雌獅子狂いとも呼ばれ、輪の中をくぐります。
―七つから八つまでつれて雌獅子をば此れのお庭にかくしとられた。
何と雌獅子がかくしてもひとむらすすきを分けてたずねる。
天竺から岩がくずれかかるとも心急がずあそび獅子ども
(中獅子踊り 長唄より)
本来、獅子(獣)は火を恐れますが、怖いものに立ち向かっていく姿勢を表しているとされています。中獅子踊りの“輪くぐり”ですが、火をつけての“火の輪くぐり”を行った年もあったそうです。
◆夜公演
夜の中獅子踊り① | 夜の中獅子踊り② |
夜の中獅子踊り③ | 夜の中獅子踊り④ |
日が暮れてからの中獅子踊りも風情があります。各公民館前を巡演し、夜の部は中北公民館前、中公民館前で踊ります。
灯りに照らされ、踊る姿は勇敢で美しいです。
―かくして前の庭・後の庭の唄と踊りが続けられ、終わればみち笛により、次の踊りの庭へと移動するのです。
豊作を祝う喜びに満ちた村人達は、その後を追って、その次、その次の庭へと、そして夏の夜は次第に更けていくのであります。
みち笛は、夜空の遠くへ流れ去っていきます。
お互いの喜びを交わすが如く・・・・やがてそれも消えて三三五五に、うちつれた人々は、やがて我が家へと急ぐ―‐-・・・・・・。
(中獅子踊り 資料より)
昔から、夏の夜の風物詩として、中獅子踊りが踊られていたことがわかります。
■中獅子踊りの言い伝え
―獅子踊り連中の言い伝えは、何年も何年も続いて、夏の夕涼みや「お盆」の頃、或いは豊年の喜びを共に分かちあう秋祭りの頃、その昔の古きよき時代の思い出にひたる折々に、ややもすると失われがちな風物詩の中から、語り踊りつがれている「中獅子踊り」の由来をご紹介します。
(中獅子踊り 資料より)
いにしえの日本に、まだ米のなかった時代、唐・天竺には稲穂がたわわに実っていました。日本の神々は、狐をお使いになり、稲穂をとり入れることを考えつかれました。
そこで狐は使命をおびて、唐・天竺に出かけましたが、唐・天竺では稲穂を国外に持ち出すことを禁じていたため、狐は仕方なく、こっそり稲穂をくわえて逃げ帰ったのです。
中獅子踊りイメージ |
唐・天竺ではそれを知って、獅子三匹に命じて、狐を追いかけさせました。 狐は、かろうじて日本にたどり着きましたが、獅子が追ってくるので、稲穂を土の中に埋めて、目じるしに葦を立てておいたのです。
獅子は、ついに狐に追いかけず、稲の穂をとりかえせないまま、それに、国へ帰ることもできず、そのままその土地に住みついてしまいました。哀れな獅子は自分を慰めてくれる人もなかったので、毎年桜の花の咲く頃、踊りによって我が心を慰めたと言われています。
まといには桜の花 |
そのために、そちらのまといの上の方には桜の花が付いています。 それ以来、獅子を慰めるために、その踊りに加わる人が、毎年に多くなって相当な人数になったようです。また、狐の埋めた稲の穂からはりっぱな稲がはえ、稲作が日本各地に伝わったと言われています。
それを起源として、狐の稲穂にちなんで地域の豊年満作を祝う踊りとなり、獅子踊りが始まってから約700年経つと言われています。
中獅子踊りはこのようにしてできたと言われています。以前は、町内の各地区ごとに獅子踊りがあったそうですが、今に受け継がれているのは中獅子踊りだけとなってしまいました。
■歴史
豊年満作を祝うための獅子踊りというのは今の事で、そもそもの起源は明確ではありませんが、今から600~700年前と言われています。
昭和33年新調の獅子踊用具 |
現在踊られている「中獅子踊り」はいつ頃から踊られていたかは、明治時代からはあったとされています。
こちらの道具からも昭和33年に新調されておりますので、それ以前からも盛んに踊られていたことがわかります。
「踊り宿」を中心にして、踊りのグループがつくられ、唄や踊りは次々に代々の人に伝えられて、今日に及んでいるのです。かつては「踊り宿(宿元)」制があって用具類一式を船山家に保管し、その庭でシシ踊りを披露したというが、現在はその制度はなくなっています。
大分盛んであった時代の獅子踊りは、各字毎にあったのですが、一時は、戸長(かつての区長)に禁止された時代もあったと言い、その理由はさだかではないですが、仕事もしないで踊ってばかりいては困る、と言うことだったらしく、踊りの道具の全部をとりあげられている背景もあります。
明治19年10月15日の記録では、踊り宿は船山荘四郎の名であり、獅子は、旅職人最上天土と言う獅子細工人の手によったものとなっています。
○取材協力 中獅子踊り保存会(会長舟山新二郎さん)
○写真提供 中獅子踊り保存会