伊達政宗

1380年ころから父8代伊達宗遠と置賜郡に侵攻し、1385年には長井氏を滅ぼして、置賜を伊達氏の拠点とした。
伊達家の中興の祖と呼ばれており、中興の祖とは「一度途絶えていた物を復興させた」という意味があり、9代政宗のように家を盛り返してほしいという願いで17代政宗の父が名付けたと言われております
1402年には高畑城に入り、1405年に同地で没しています

全くの別人ではありますが
似た半生を過ごしたと言われており、17代同様
素晴らしい活躍をしたということは言うまでもありません。




非常に古い立て看板です

右が9代政宗公の墓
左がその室、紀氏の墓


調べていくうちに、伊達儀山政宗公を供養する墓は高畠町内において
他にもあることがわかったので、ゆくゆく行ってみることにする

場所は
夏刈りの資福寺跡地と七ヶ宿東光寺


この墓がある場所は屋代地区野手倉(のでくら)という部落であり、
近くには日向洞窟、温泉が湧く自然豊かな土地である

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参照:さみだれ高畑城についての記事
2010.05.18:umai:[高畠の史料]